フライング・スコッツマン

Last-modified: 2022-05-04 (水) 14:07:37

「レースは残念だったな、弟よ。だけど、お前達ソドー島の機関車達は思ったよりやるじゃないか。」

名前フライング・スコッツマン
英名Flying Scotsman
性別
車体番号4472
1472→4472→502→103→60103*1
車軸配置4-6-2
製造年1923年2月24日
改造1947年1月4日
所属鉄道ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道イギリス国鉄→個人所有*2イギリス国立鉄道博物館*3
TV版:イギリス国鉄
運用メインランドから長距離走行の急行列車の牽引。
分類蒸気機関車
テンダー機関車
原作初登場巻第23巻『機関車のぼうけん』第1話「ヘンリーと炭水車」
原作初台詞「ゴードン、きみもずいぶんかわったねえ」
TV版初登場シーズン第3シーズンたんすいしゃがほしい
※正式登場は長編第12作『きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち
TV版最終登場シーズン第24シーズンA New Arrival
TV版初台詞「へぇ、そうかい?ここには有名な機関車なんていないと思ってた。おや、やあゴードン。」
一人称僕(原作)
俺(TV版)
二人称
お前
説明・79台生産された『クラスA1/A3蒸気機関車』の唯一の現存機である実在のテンダー機関車
ゴードンの唯一生き残った*4
・名前の由来はロンドン-エディンバラ間を結ぶ急行列車『フライング・スコッツマン*5』から。
・炭水車が2つ付いているのは、イギリス国内での蒸気機関車の定期運行の廃止に伴って給水塔給炭所が撤去された為であると同時に、長距離運転時の水を確保する為。
第3シーズンは予算の都合上ダブルテンダーだけの登場で、他所の機関車と説明されている為、ゴードンとの会話は無かったが、長編第12作で正式に登場し*6ゴードンとの兄弟設定が見事に生かされた。
・原作で登場したダブルテンダーもそのままTV版に生かされている*7が、イギリス国鉄所属時代に見られたライニング無しのバッファービームとランボード、ドイツ式除煙板、ダブルチムニー等を装備しており、LNER仕様とイギリス国鉄仕様を掛け合わせたような実車では一度も見られない仕様となっている。
・原作ではゴードンと同様の顔だったが、CGアニメではゴードンと区別を付ける為、目が縦に大きく、鼻の形が異なり、眉毛も太くなっている。
性格・性格は義理人情に厚く世話好き、悩みを抱えた仲間にアドバイスをする事も。
ゴードンとは違い、紳士的で穏やかな性格だが、少し気さくで鈍臭い一面も有る。
・競争好きな反面、『速さ』より『安全』を優先するタイプ。
・無愛想だという事を自覚しているゴードンとは対照的にやたらと愛想が良い。
・TV版ではトーマスに対しては優しく接するが、弟であるはずのゴードンに対してはやや嫌味ったらしく、若干見下しているかのような偉そうな発言をしている*8。但し、見下していると言うよりは、単にゴードンをからかって楽しんでいるような素振りがある。
・偶に失礼な発言をする時が有る。
原作での経歴第23巻兄弟のスクラップに憂鬱になっていたゴードンを励ますために太っちょの局長彼の持ち主に手配をし、ゴードンと再会する為にイギリス本土からやってきた。
ゴードンに励ましの声をかけ、ちゃんとした鉄道で元気に働いているゴードンを羨ましがった。
・2つの炭水車を持っていることでヘンリーから嫉妬されてしまうが、その後でダックに騙され、汚い6つの炭水車を牽くヘンリーを見てほくそ笑んだ。
ドナルドと共に、199号7101号を抱介するヘンリーを出迎え、7101号の急行列車を引き継いだ。
ダグラスオリバーを連れて本土からソドー島に戻った後、皆に見送られて彼の持ち主と共に本土に戻っていった。
・その際、ドナルドダグラス「オールド・ラング・サイン」を歌ってもらった。
TV版での経歴第3シーズンで初登場するも、炭水車のみの登場で、「別の鉄道の機関車」として扱われており、ゴードンとの兄弟設定は無い。原作におけるフライング・スコッツマンとは別の機関車と取れる。また当時は、スタッフがダブルテンダーの特徴を理解出来ていなかったのか、炭水車と貯水車ではなく、両方とも炭水車であった。
第22シーズンCGシリーズの短編初登場となる。対面して早々にレベッカを説教している。
第23シーズンではトーマス妄想内のみ登場。
第24シーズンではカメオ出演のみ*9
長編作品での経歴長編第12作で正式に登場、トーマスグレート・レイルウェイ・ショーの事を教えた。
グレート・レイルウェイ・ショーの参加種目は「グレート・レース」。然し、優勝は出来なかった。
長編第13作ではカメオ出演で、ヒロと並走しているシーンが存在する*10
長編第14作では横から急に飛び出して来たエースに迷惑そうにしていた。そして、魚の無蓋貨車を連結した状態で急行列車を牽引してヴィカーズタウン駅に到着したゴードンに迷惑そうな顔をした。
その他の経歴・『世界・ふしぎ発見!』ではミステリーハンターの濱田岳氏とテレビの視聴者に自己紹介を行い、「長距離選手」を自称した。
モデルクラスA3蒸気機関車 4472『フライング・スコッツマン』(ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道
実車の経歴・1923年2月24日にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道のドンカスター工場で、ナイジェル・グレズリー設計のクラスA1蒸気機関車1472号機*11として製造された。
・この機関車はロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道のフラッグシップ機関車のような存在となり、1924年2月には、機関車名『フライング・スコッツマン』とLNER番号「4472」が与えられ、以降プロモーション用に使われるようになった。
・1924年と1925年にウェンブリーパークで開催された大英帝国博覧会にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道を代表して参加している。
・この機関車は、ロンドンのキングス・クロスからエディンバラのエディンバラ・ウェイヴァリーまでを結ぶ名門急行列車『フライング・スコッツマン』の牽引機5台のうちの1台となり、1928年5月1日のノンストップ運行の一番列車を牽引し、キングス・クロスからエディンバラ間392マイル(631km)を8時間ノンストップで走行した。
・この際、長時間無停車運転を行うための乗務員交代の対策として、炭水車には新設計のコリドーテンダー*12が使用され、給水作業にはウォータースクープ*13が使用された。
・1928年8月22日には、クラスA1の改良型であるクラスA3が登場し、以降古いクラスA1がそれに合わせて改造されることになった。
・1934年11月30日、シティ・オブ・トルーローに次いで時速100マイル(161km/h)に達し、公式記録として証明された。
・1945年4月25日、当時まだ改造されていなかったクラスA1は、グレズリー後任の技師長エドワード・トンプソンが改造したクラスA1/1やトンプソンの後任のアーサー H. ペパコーンが設計したペパーコーンA1に対応するためにA10に再分類された。
・1947年1月4日、フライング・スコッツマンはドンカスター工場でA3として改造され、「バンジョー」と呼ばれる長いドームを装備したボイラーが搭載された。
・1948年1月1日の鉄道国有化に伴い、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道イギリス国鉄に編入される。
ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道のほぼ全ての機関車の番号が60000番台に編入。1948年12月に当時103号機だったフライング・スコッツマンは60103号に改番され、ブランズウィック・グリーンの塗装となった。
・1950年6月5日から1954年7月4日までの間と、1954年12月26日から1957年9月1日までの間、イギリス国鉄所有下のグレート・セントラル鉄道のレスター・セントラルに配属され、レスター・セントラルを経由してノッティンガム・ヴィクトリアからロンドン・メリルボーンまでの運行を行っていた。
・その後、すべてのクラスA3は、性能と経済性を向上させるために、ダブルチムニーを装着し、1960年からはドイツ式の除煙板が装備され、機関車の外観が多少変化した。
・1962年、イギリス国鉄はフライング・スコッツマンをスクラップにすることを発表した。 以前から「Save Our Scotsman」というグループが保存を提案していたが、機関車のスクラップ価格である3,000ポンドを集めることができなかった。
・イギリス出身の資産家アラン・ペグラーは、フライング・スコッツマンが廃車になる予定だった1963年、後のイギリス首相となる政治家、ハロルド・ウィルソンの政治的支援を得て、この機関車を買い取った。
・彼が購入した直後の1963年1月14日の定期運行を最後にイギリス国鉄での運行を終了した。
・保存される際にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道アップル・グリーンの塗装に変更、シングルチムニーの装着、コリドーテンダーへの交換、除煙板の撤去など、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道時代の状態に可能な限り復元*14された。
・ペグラーは、英国鉄道委員会を説得して愛好家向けの特別列車を走らせ、当時、イギリス国鉄の本線を走る唯一の蒸気機関車となった。
・フライング・スコッツマンのノンストップ運行開始40周年であり、イギリス国鉄の蒸気機関車による定期運行を正式に終了した年でもある1968年には、キングス・クロスからエディンバラまでのノンストップ運行*15など、数多くの鉄道ツアーに参加した。
蒸気機関車の定期運行の廃止に伴って給水塔が撤去され、長距離運転時の水を確保する為に、補助水タンクとして使用できるコリドーテンダーを購入し、貫通路を残して通常のテンダーの後ろに連結した。
・1968年から69年にかけてオーバーホールした後、政府は英国の輸出促進を目的とし、ペグラーがアメリカカナダでこの機関車を走らせることに同意した。
・現地の鉄道規制に対応するため、カウキャッチャー、ベル、ジャニー式連結器、アメリカ式の汽笛、エアブレーキ、高輝度ヘッドランプなどが装備された。
・1969年、マサチューセッツ州のボストンからツアー運行を開始し、同年にボストンからニューヨーク、ワシントンD.C.、アニストン、ダラスへ向かった。
・1970年、エドワード・ヒース首相率いる保守党政権により、このツアーに対する政府の財政支援が打ち切られたため、初年度は黒字だったツアーが、2年目は赤字になってしまった。
・ペグラーは収支を改善するためにツアーを続行。1970年にはテキサスからウィスコンシン、モントリオールへ、1971年にはトロントからサンフランシスコへと、合計15,400マイル(24,800km)を走破した。
・このツアーは、運営上はうまくいったが、財政的には大失敗だった。ツアー終了時には資金が底をつき、ペグラーは13万2,000ポンドの負債を抱え、1972年に高等裁判所で破産宣告を受けた。
・機関車は差し押さえのためにアメリカ陸軍シャープ停車場に保管された。
・その後、この機関車の将来を危惧する声が上がり、アメリカに残るか、あるいは解体されるのではないかという憶測が流れた。
・1973年1月にイギリスの実業家、ウィリアム・マカパインが弁護士と交渉して債権者への返済と機関車の購入をした。同年2月、パナマ運河を経由してイギリスに帰国。
・リバプールに到着し、修復のためダービー工場へ向かう際、陸送が提案されたが、マカルパインは自走することを主張した。ダービーまでの道のりには大勢の人が集まった。
・1973年夏、マカルパインが会長を務めていたペイントン・アンド・ダートマス蒸気鉄道で試運転が行われた後、蒸気機関車を集めた観光スポットであるスチームタウン・カーンフォースに移され、そこから定期的にツアーが行われた。
・1977年12月、バロー・イン・ファーネスのヴィッカーズ製作所に入り、大規模な修理を受けた。
・1988年10月、オーストラリア政府の招待で、オーストラリアの建国200周年記念行事である「Aus Steam '88」フェスティバルの中心的な列車として参加*16し、世界を一周した初の蒸気機関車となった。
・1989年にはオーストラリアの鉄道を45,000キロ以上走破し、シドニーからアリス・スプリングスを経由してパースに戻る大陸横断路線では、当時建設されたばかりのアリス・スプリングスへの標準軌線を蒸気機関車として初めて走行した。
・他にも、ニューサウスウェールズ州政府鉄道のパシフィック機関車3801とのダブルヘッダーや、広軌のビクトリア鉄道Rクラス機関車との3連並行運転、南オーストラリア鉄道の機関車クラス520*17、クラス621との並行運転などが行われ、パースでは、1924年の大英帝国博覧会でフライング・スコッツマンと一緒に展示されていたGWR 4073クラスのペンデニス・キャッスルと再会した。
・1989年8月8日、フライング・スコッツマンはメルボルンからアリス・スプリングスに向かう途中、パークスからブロークン・ヒルまで679キロをノンストップで走行し、蒸気機関車牽引列車による最長無停車運転記録を達成した。
・1990年にイギリスに戻り、ドイツ式の除煙板とダブルチムニーを取り付け、イギリス国鉄のブランズウィックグリーンに再塗装され、イギリス国鉄仕様に戻された後、1993年に本線運行の証明書が失効するまで本線で活躍した。
・その後、ドイツ式の除煙板とダブルチムニーを取り付け、イギリス国鉄のブランズウィックグリーンに再塗装され、イギリス国鉄仕様に戻された後、イギリス各地の保存鉄道で特別列車を走らせた。有名なセトル・トゥー・カーライル鉄道を定期的に走ったり、権威あるオリエント・エクスプレスのプルマン列車を運んだりした。
・イギリスの興行主であり鉄道愛好家のピート・ウォーターマンがマカパインと短期間のパートナーシップを結び、機関車を走らせた。
・マカルパインは2度のオーバーホールを経て、この機関車を23年間所有し続けた。
・幹線運行に必要な厳しい技術基準を満たすための修復や改装にはコストがかかるため、先行きが見えない状況にあり、1995年には、西ロンドンのサウスオール鉄道センターに保管され、オーバーホールを待つことになった。
・1996年にビンテージムーブメントで有名な実業家、トニー・マーキントンがこの機関車を購入、3年間で100万ポンドをかけて走行可能な状態に修復され、この際にクラスA4蒸気機関車用のボイラーが搭載された。
・2002年、マーキントンはエディンバラに「Flying Scotsman Village」を建設し、関連ブランドから収益を得ることを含むビジネスプランを提案し、同年に「Flying Scotsman plc」として上場したが、2003年にエディンバラ市議会が計画を却下し、2003年9月にマーキントンは破産宣告を受けた。
・2004年2月、「Flying Scotsman plc」の代理を務める債務整理業者が、4月2日に機関車の競売を開催すると発表。 外国人の手に渡るのではないかと懸念される中、ヨークの国立鉄道博物館が入札を行うと発表し、この機関車を国民のために保存しようと資金提供を呼びかけた。
・このキャンペーンは、何千人もの人々の支持を集め、国宝としての地位を確立し、2番手より15%高い230万ポンドで落札された*18
・機関車は、博物館が開催する鉄道旅行200年記念イベント「Railfest 2004」の一環として展示されるのに間に合うようにヨークに到着した。
・静態展示ではなく、ヨークからのチャーター列車などに使用することになったが、状態に問題があることが発覚し、修復作業を行うも、その後も数ヶ月の間に何度も故障した。
・大規模なオーバーホールまでの間、信頼性を向上させて運転できるようにするため、2004年9月から2005年5月まで、ワークショップで中間修理が行われたが、信頼性の向上が見られなかったため、オーバーホールとレストアの実施が決定された。
・2006年1月、正式に国立鉄道博物館のワークショップに入り、オリジナル仕様に戻すための大規模なオーバーホールと、ボイラー証明書の更新を行うこととなった。
・修復に備えて、2005年6月に予備のクラスA3蒸気機関車用ボイラーがライリー&サン社に送られ、完全に作り直されることになった。A4ボイラーの代わりに使われることになったのは、機関車をオリジナルの状態に復元したいという願望と、A4ボイラーは前回のオーバーホールで機関車をアップレートした後の高い運転圧力のために、劣化してしまったと考えられたからである。
・2007年7月、博物館はボイラー修復の問題もあり、完成予定日を18ヶ月延期した。
・2009年1月には、フレームのずれや右手シリンダーの亀裂などさらなる問題が発生し、金属価格の上昇もあって、博物館はSOS(Save Our Scotsman)アピールを開始し、2010年までの完成を目指してさらに25万ポンドの寄付金を募った。
・2011年5月、LNERの戦時中の黒の塗装で仕上げられた機関車が博物館のターンテーブルにお披露目されたが、同年6月、軸箱に亀裂が発見されたため、さらなるテストが行われ、フレーム全体に多数の潜在的な亀裂が発見され、修理不可能と判断された部品が交換された。
・2012年10月、まだプロジェクトが完了していない状態で、博物館は遅延と追加コストの理由を検証する報告書を発表した。報告書によると、博物館は機関車の状態が悪かったために必要な作業を大幅に過小評価していたことが判明した。急ぎの検査ではその多くが見落とされており、工学的な現実に基づかない過度に楽観的な評価がなされていた。
・この報告書を受けて、2013年3月、博物館は機関車が本線に戻るのは2015年になると判断したことを発表し、未解決の作業は外部の入札にかけるべきだと考えた。
・2013年10月29日、博物館はグレーター・マンチェスターのベリーにあるライリー&サンを落札業者として発表し、同日、機関車は2015年夏までに走行可能な状態に戻すために彼らのワークショップに移された。
・2015年1月23日、国立鉄道博物館は、イギリス国鉄の60103号機として可能な限り歴史的に正確な状態を保つために、ブランズウィック・グリーンの塗装に戻すことを含め、除煙板とダブルチムニーを装備すると発表した。
・2015年4月29日、フライング・スコッツマンのボイラーは国立鉄道博物館を離れ、ベリーのライリー&サンで機関車の残りのパーツと再会した。
・その後、博物館は機関車が本線での運行に必要な機器を取り付けられる2015年末から2016年初めまでに運行を再開するように予定を変更した。
・2016年1月にオーバーホールが完了した。当初、この作業には1年しかかからず、費用は約75万ポンドと見積もられていたが、結果としてオーバーホールには10年を要し、修復の最終的な費用は450万ポンドになった。
・2016年1月8日にイースト・ランカシャー鉄道で試運転が開始された。
・同年2月25日には、キングス・クロスからヨークまでの初運行が行われた。
・以後、フライング・スコッツマンは、英国各地でツアー列車として運用されている。
玩具トラックマスター(除煙板付き/スチームイラスト付き)
カプセルプラレール(除煙板付き/ハイライトあり/ライン/ライン)
木製レールシリーズ(除煙板無し/ウィンク顔)/ウッド(2018年発売予定だったが諸事情により2020年に修正)
アーテル*19(除煙板なし/テンダー1両)
アドベンチャーズ
英米版CVルーファス・ジョーンズ長編第12作長編第14作-第22シーズン
日本版CV三宅健太長編第12作長編第14作-第22シーズン
その他CV小室正幸世界・ふしぎ発見!
参照画像・参照はフライング・スコッツマン/画像
セレブリティー
ディーゼル261

*1 実機。
*2 アラン・ペグラー氏が1963年から1972年まで、ウィリアム・マカルパイン氏が1973年から1996年まで、トニー・マーチントン氏が1996年から2004年までそれぞれ所有していた。
*3 実機。
*4 ゴードンはテスト車両であるプロトタイプで、スコッツマンは3号機。だが、日本語版のCGアニメではゴードンの兄という設定になっている。
*5 フライング・スコッツマン』は『空飛ぶスコットランド人』を意味する。
*6 ボディの色はアップルグリーンから濃緑色に変更された。
*7 ただし、テンダーの車輪の数は8つから6つに変更されている。
*8 特にゴードンと久々に話す時のシーン。
*9 ラテンアメリカ版では台詞がある。
*10 但し、メインランドの蒸気機関車として登場。
*11 同年1月よりグレート・ノーザン鉄道とノース・イースタン鉄道が統合し、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道となっていたが、当時LNERがまだシステム全体の番号付けを決定していなかったためGNRの番号が付けられた。
*12 この炭水車には貫通路が設置されており、列車を停車させることなく機関士・機関助手の交代を行うことが可能となった。
*13 蒸気機関車が走行中に給水を受けるために使用する設備で、平坦な区間においてレールの間に長い溝を掘って水を満たしておき、ここを通過する際に装備しているウォーター・スクープを降ろすと、走行中の勢いで水がスクープに流れ込み、炭水車のタンクに入る仕組みになっている。
*14 原作絵本の『元通りにしてくれた』と言う台詞はこれらの事項を指す。
*15 この際、一鉄道ファンとして来ていたウィルバート・オードリーを含めた大勢の客を乗せた。
*16 イベントの主催者は、マラードの来訪を希望していたが、1938年に世界記録を達成した高速走行から50周年を迎えるため、国立鉄道博物館が貸し出しを認めず、代わりに当機が推薦されたという。
*17 シェインのモデル機。
*18 資金の大部分は国家遺産記念基金からの180万ポンドの助成金によるもので、残りは寄付金から集められた35万ポンド、実業家のリチャード・ブランソンが同額を寄付、さらに新聞社ヨークシャー・ポストが7万ポンドを寄付した。
*19 ゴードンの金型を流用。