セリフ/【何にだって心が宿る可能性はあるのだ】

Last-modified: 2021-01-15 (金) 00:07:03

3D

ソラの心の中のデスティニーアイランドに現れた賢者アンセムのデータが語った「心」に対する見解。
賢者アンセムはソラの記憶の修復中に、自分の復讐のために犠牲になる人々への償いとして、失われた存在を取り戻す手掛かりになるかもしれない自分の研究とデータ化した自分をソラの中に隠しており、この話は彼の研究によって出した結論と思われる。
 

「心とは生まれ育むもの
 光に触れ 自然を感じ 人と繋がる
 それらの積み重ねによって 心は形成されていく
 それは心を持たぬ ノーバディであっても同じ
 
 ソラは唯一 本体に戻っても ノーバディをそのまま存在させられた
 それは彼の心に繋がる人々の思い 心の繋がりの強さ
 おそらく彼と繋がる者は その心を失ったとしても 消えた心や存在でさえ取り戻し 生み出せるのではないか
 
 自分だけの宝物 もの言わぬ人形 森の木々 風に揺れる花々 何にだって心が宿る可能性はあるのだ
 
 特別な能力が必要なのではない
 誰もが子供のころに持っていた心の光 ただ まっすぐな思い
 それがソラの信じて疑わない 純粋な心の強さ
 
 誰かがそこに心を感じれば心は存在する
 失われた心さえ 再び繋ぐことができるかもしれない」

 
KHシリーズでの「心」についての一つの結論である。
Daysで初めはぼんやりしていたロクサスや、反応の薄かったシオンが時がたつにつれ自我を獲得し、人間らしくなっていく様子を目の当たりにしたプレイヤーが感じていたことが、作中できちんと言葉にされた。

  • ただし、COMの時点でリク=レプリカは彼自身の心が存在することがはっきりと明示されている。本人は「ニセモノ」扱いしているが、ソラは「おまえだけの心」と認めている。
  • ナミネに関しては、ノーバディに関して説明される前に登場したためかあまり触れられないが、最初はマールーシャたちの命令通りソラの記憶を操るため黙々と絵を描いている様子のみ映されるが、リク=レプリカの記憶を書き換え、ソラとリク=レプリカが敵対したころからソラやリク=レプリカの記憶を操作したことを悔やむ様子や、アクセルの言葉に怒る様子が描かれている。
  • シオンについては、KHIIIでの真XIII機関としてのシオンは時間移動で現在に来ている「XIII機関に加入して間もないころのシオンの心」がレプリカに入っているので、逆に言うと「XIII機関に加入して間もないころ」には心が芽生えていたということになる。

KHIIIでは、この話を受けてか、「トイ・ストーリー」のおもちゃたちベイマックスなど、無機物に心が宿ったことに焦点が当たるキャラクターが多い。

  • しかし、思えばこの設定はピノキオサリー100エーカーの森のキャラクターたちがKHIから登場している時点で今更すぎる話である。KHシリーズの基礎にディズニー作品がある以上、この設定はある意味自然なのかもしれない。
    • ちなみに、ピノキオはブルー・フェアリーに命を吹き込まれたのでオラフなどに近いが、プーたちは元々は作者が息子のために作った彼のぬいぐるみが活躍する話のキャラクターであるため、「持ち主の愛情で心を得た」ということになっているウッディたちとは少し異なり、ぬいぐるみ自身が心を得たというより、元から「心を持ったぬいぐるみ」というキャラクターとして成り立っている。
    • 「長い間持ち主に大切に扱われていた道具には魂が宿って付喪神となる」という考え方がある。ウッディ達の在り様はどちらかというとそういった「付喪神」と近いだろうか。

話の中で心の繋がりによって「消えた心や存在でさえ取り戻し、生み出す」可能性について話がされている。

  • 実際にソラがハートレスから本体に戻ったとき、ノーバディとは別に肉体や魂が出現したことになる。
    • ロクサスの肉体と魂がこの時点で登場していないヴェントゥスのものを利用していたとしても、ナミネの方にもソラの身体が関わっている。
  • また、3Dではすばらしきこのせかいからのゲストメンバー達が心の繋がりを拠り所にした存在の再生に成功したらしいことがヨシュアの発言からも確認できる。

KHIIIではチリシィが「心を失った人の心を取り戻す力」について言及しているが、その力が実在するのか、この見解が関わってくるのか、後の作品に期待したいところである。

我々は心を無くしたままではなかった

アンセムの話の前に、ソラ編の存在しなかった世界でも、ゼムナスが(内容はノーバディに限定されているが)話し出しからして似たような話をしている。

「そう 我々は心を無くしたままではなかった
個体差はあるが 中には心が生まれようとしていた者もいた」
「心とは芽生え 育むもの
ハートレスを生み出す実験とは 精神を支配して 自我を放棄させる試み
そうやって心を失わせても 人は何度もその器たる肉体に心を宿す
我々も心と肉体 ハートレスとノーバディに分かれたが 再び心を宿すことはわかっていた」

  • 賢者アンセムの方はディズとして活動していた時期の研究による結論であることがBbSアルティマニアで明かされているが、二人が「心が無いものにも心は宿りうるか」という同じテーマについて語っているので、賢者アンセムとゼアノートがともに心の研究をしていた頃に出ていたテーマなのかもしれない。
  • ノーバディが存在として不安定で対策をしなければ容易く闇に溶け消えてしまうのは心がないゆえとされてきたが、実際に心が宿るとなると、なにゆえノーバディは容易く闇に溶けるのだろうか?
    • 闇に溶けやすいのは闇に心を奪われて抜け殻となった後遺症のようなものに過ぎず、新しく心が宿る宿らないはあまり関係がないかもしれない。
    • あるいは、本来の脱け殻となった身体と魂が消滅する作用の延長とも考えられる。また、賢者アンセムの言葉からすると、ノーバディ自身が闇に溶けないだけの強さの心のつながりを持っていないからという可能性も考えられる。
      その場合、実際は心が宿れば(さらに強い心の繋がりを持てば)闇に溶けることはなくなると考えられる。
    • 「普通の人間の心」と「ノーバディに新しく芽生えた心」では本質的になんらかの差異があるのかもしれない。というより、まったく同じだとすると、ノーバディからもハートレスが誕生する可能性がでてきてしまうわけで、「ハートレスを倒して心を解放しても、魂と肉体の方がノーバディになってそのノーバディからハートレス’とノーバディ’が生まれ、ハートレス’を倒して(以下繰り返し)になっているため、人間に戻らない」という事態が発生しかねない。
      • 「ノーバディ化した肉体」という状態がそもそもの人間の体の状態とは見た目が同じでも異なっている、というのは、例えば電子配置の安定・不安定みたいな違いだったりするのかもしれない。