僕が彼女と一つ屋根の下で暮らすようになって、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。 #br 無口でクールな女の子という初対面の時の印象。 探偵の仕事にかける深い情熱。 父親に対する複雑な思い。 ふとした時に見せてくれる、とても綺麗で素敵な笑顔。 今日に至るまで、僕は彼女のいろんな顔を見てきた。 #br そして――ここ最近の間に、僕は彼女の新たな一面を知ることになった。 #br #br 「響子さん、そろそろ起きないと」 「く、うぅん……起きてる、わよ……」 「いや、そうじゃなくてさ……布団から出てこようよ。もう昼の一時過ぎてるよ?」 #br 彼女は朝に弱い。 それも、ひとかたならず。 探偵として他者の前で自分を律している時には決して見せない意外な弱点――といったところだろうか。 #br 「昨日私が何時にベッドに入ったと思っているの……五時半よ」 #br 布団から顔半分だけを出し、薄目を開けて彼女が答える。 いつもの凛とした佇まいからは想像し難い、くぐもった声だ。 #br 「それは分かってるけどさ。でも、五時半から数えても七時間は寝てるよね」 「うるさい……放っておいてよ、もう……」 #br それだけ言うと彼女は頭まで布団を引っ被り、もぞもぞと寝返りをうつと僕からそっぽを向いてしまう。 #br 「はぁ……やれやれ……」 #br #br 本来の彼女は決してルーズな人間ではない。 何事につけても几帳面な性質だし、待合わせの類に遅刻したことだって学生の頃から一度も無かったはずだ。 大人になった今も、普段ならきっかり時間通りに目を覚まし、遅れることなく出かけていく。 しかしながら、『仕事から帰った翌日』で『その日は仕事の予定が無い』という二つの条件が重なった時。 すなわち、探偵としての自分から離れることを許された日の朝の彼女はご覧の通りなのである。 #br 探偵の仕事はとてもハードで、おまけに不規則な生活を強いられるものだ。 僕もそれはよく知っているから、たまにゆっくり休める機会が巡ってきた時にはできるだけ彼女の好きにさせてあげることにしている。 とはいえ、今日に限っては事情が違う。 ここ暫く天気は曇りと雨の繰り返しだったのだが、本日は久し振りの快晴。 そして予報によると、明日からまた曇りがちの天気が続くという。 今日を逃せば、現在彼女の包まっている布団を陽光の下で干せる機会が何時になるか、分かったものではないのだ。 #br 彼女には悪いとは思う。 けれど、僕も本日の家事当番(二人で交代して行うことになっているが、実情はもっぱら僕の専任だ)としての責務を果たさなければならない。 非情に徹する覚悟を決め、僕は彼女の布団に手をかける。 #br 「響子さん、ごめん!」 #br そして一気に引き剥がす。 ばさり、という音と共に彼女の全身が露わになる。 下着に、昨日家を出た時と同じブラウスを羽織っただけの姿。 裾や胸元から覗く白い肌と黒いレース地のコントラストが昼の日の下では一層際立って見えて、思わずドキリとさせられてしまう。 が、当の彼女はそんな僕の様子を気に留めた風もなく。 #br 「ちょっと、何をするのよ」 「本当にごめん……だけど、今日のうちに布団干しておかないと」 「そんなの……別に今日じゃなくてもいいじゃない」 #br ようやくベッドから半身を起こすと、彼女はむっつりとした視線を僕に向ける。 薄目のままの気だるげな表情が、普段とのギャップも相まってかひどく艶っぽく見えてしまう。 ――いや、そんな雑念は今は置いておこう。 #br 「明日からまた天気が悪くなるらしいんだよ。だから――」 「この先ずっと悪いままというわけじゃあないでしょう? それ以前に、天気予報なんて当てにならないわよ」 #br 子供のようにそう言い放つ彼女は、心なしか口を尖らせているように見える。 彼女に存外子供っぽい一面があることは僕も重々承知しているが、寝起きの彼女は殊更にその傾向が強い気がする。 そして彼女が僕より弁が立つことは、たとえ寝起きであろうと子供っぽくなっていようと変わらない。 #br 「わかったわね。わかったら、布団を返しなさい」 「い、いやちょっと待ってよ! ていうか二度寝する気なんだ……」 #br しかし――僕もここは退かない。 いや、退きたくはない。 実を言えば、僕が彼女を起こしたい理由は布団の件だけではないのだ。 #br 「あのさ、響子さん。布団のこともあるんだけど」 「……まだ何かあるの?」 「うん。なんというか……」 #br 正直なところ、出来ることなら口にせずに済ませたかった。 それが結局のところ僕の我侭でしかないからだ。 加えて言えば、言葉にしてしまうのが些か恥ずかしくて、躊躇われてしまう。 でも――僕は思いなおす。 たとえ我侭でも恥ずかしかろうとも、彼女には僕の思うところを知ってもらうべきだろう。 彼女とこうして、共に暮らすようになったからには。 #br 「響子さんは忙しいから……今日みたいに二人で心置きなく過ごせる日も、次はいつになるか分からないでしょ? ほら、前の休みもこんな感じで終わっちゃったし……」 「! それは……」 #br 彼女は一瞬だけ目を見開き、そして僅かに視線を下に落とす。 #br 「そうね……確かにその通りよね」 #br 一拍の間を置いて彼女が再び顔を上げた時には、表情からも声のトーンからも不機嫌さは消えていた。 #br 「ごめん、我侭みたいなこと言っちゃって。だけどさ――」 「いいえ、謝らなければいけないのは私の方よ。ごめんなさい……仕事にばかりかまけていて」 「それはいいよ。僕は仕事している時の響子さん、素敵だと思うから」 「ちょっと……どさくさに紛れて恥ずかしいことを言わないで」 #br 彼女が面映げに僕から目を逸らす。 本気で照れていることは、その横顔から十分察することができた。 そして、僕の気持ちを理解してくれたことも。 やっぱり言葉にするのが正解だったのだ。 良かった――心底そう思う。 #br 「じゃあ、食事の用意するから。その間に着替えておいてね」 #br ともかく、これでようやく彼女も起きてくれる。 さて、今日はこれからどうしようか。 彼女の朝昼兼用の食事を作って、洗濯物と一緒に布団を干して。 疲れている彼女を連れてあまり遠出は出来ないけれど、近場に買物に行くくらいならいいかも知れない。 それから――。 #br 僕がそんなことを考えながらベッドサイドを離れようとした、その時。 #br 「ちょっと待って。その前に私から提案があるんだけど」 「え?」 #br 声と同時に、するりと伸びた彼女の手が布団を掴んだままの僕の手を捕らえる。 #br 「ちょ、ちょっ!?」 #br 次の瞬間、僕の身体はベッドに引き倒されている。 狼狽したままの僕の上に布団が覆いかぶさり、そして目の前にあるのは彼女の顔。 #br 「あ、あの……響子さん?」 「あなたの我侭と私の我侭を同時に満たす休日の過ごし方……悪くないと思わない?」 「いや、その……布団は」 「言ったでしょう? 天気予報なんて当てにならないって」 #br そう口にして彼女は小さく微笑む。 いつの間にやらその両腕は首の後ろに回されており、僕は逃げられないことを悟る。 #br 「まったく……もう……」 「あら、不服かしら」 「いや、そうじゃないんだけど、ね……」 #br 願わくば、どうか明日の天気予報が外れていますように。 #br ----