私の周りには、かなり気まずい空気が満ち満ちている。 目の前にはひどく落ち込み、悲しみと怒りが綯い交ぜになった顔をして俯いている少年、苗木君がいる。 この状況を作ってしまったのは他でもない私だ。 私どんな顔をしているか。それは自分でもよく分からないが、少なくともその心中はひどく動揺していた。 #br 「霧切さん、よかったら散歩でもしない?」 #br 彼はいつものようにやってきて、いつものように私を誘った。 #br 「…断る理由もないし、構わないわ」 #br そして私もいつものようにそれに応じた。 特に何をするでもない。談笑しながらただ歩くだけ。 取りとめのない話をしながら、いつものようにあれやこれやと彼をからかっていた。 私はおそらく彼に惹かれている。そういうことに疎いので自分の感情もよく分からないのだが、それ以外の答えは私の中には無い。 そして彼をからかうことは私なりのそういう表現だ。 ちゃんとした言葉は、分からないし、恥ずかしい。それに彼はそうさせるオーラを発している。 そんな中ふと、昨日のことを思い出した。 #br 昨日、流れで私がいつもしている手袋のことについて話した。 正直あまり思い出したくもないことなのだが、苗木君には、と私はかいつまんで事を話した。 深くまで話すのはさすがに憚られたので、あまり理解できていないようだったが。 #br 「私がこの手を見せることになるのは…私の家族になるような人だけでしょうね…」 「家族になるような人って…」 #br 説明の最後に付けた内容に対して、彼は戸惑ったような顔をした。 いままでのように意味が分からないわけではない。むしろ逆だ。 ここぞとばかりに私は言った。 #br 「立候補する?」 「えっ?」 #br 彼は顔を真っ赤にして狼狽した。たまらない。これだから彼をからかうのはやめられない。 #br 「また騙されたわね」 #br これを使って、さらにからかってやろう。 いつものような軽いからかいも今でも十分楽しいが、それよりもっと大きなものも見てみたい。 簡単な好奇心だった。 #br 「ねぇ苗木君、ちょっと一緒に来てくれない?」 「え…?うん別にいいけど」 #br 散歩も終わった時、私は彼を部屋に誘った。 異性の部屋に入るのは慣れてないようで、彼は申し訳なさげにおずおずと部屋に入ってきた。 私はベッドに腰掛けさっそく切り出した。彼は私の前に立った。 #br 「…昨日のことなんだけど」 「…え?」 「苗木君、本当のところどうなの?私、返事を聞いていないわ」 「返事も何もっ!騙されたわねって霧切さん言ったじゃん。…からかっただけのくせに」 「それは…悪かったわ。その…ちょっと…恥ずかしくなっちゃったのよ」 「…」 「そもそも…どうでもよかったんなら、バカ正直なあなたに誤解されそうなこと言わないわ。 まぁ騙したってとこもそのまま信じちゃったみたいだから、私がどう思ってようが関係なかったかもしれないけど」 #br 彼の表情が変わった。戸惑いの中に嬉しさのようなものが滲み出ている。 #br 「…それで、どう…なの…?」 #br 私は上目遣いで立ったままの彼を見上げた。 #br 「僕…は」 #br その後、彼の口からはたどたどしく私への思いの丈が吐き出された。 私は真顔でそれを聞きながら、内心では嬉々としていた。 彼の思いの丈が嬉しかったのではない。これもからかいだと知った時の彼の反応が楽しみだったのだ。 今思えば、酷いというレベルではない。本末転倒もいいところだ。 しかしこの時の私は、好奇心に飲み込まれおかしくなっていたのだろう。 相手が気を許した苗木君だったのも暴走の手助けをしていた。 普段の私なら好奇心が肥大しても飲み込まれはしない。飲み込まれていては命取りだ。 #br 「え…?」 #br 微笑みながらたった一言で彼が吐き出した言葉を無に帰してしまった私への彼の反応は予想外のものであった。 いや、むしろ当然のリアクションであった。 #br 「…そ…そんなの…。そんなのって酷いよ!!」 「え?…苗木く…」 「霧切さんはお…お遊びかもしれないけど、ぼ…僕は本気だったんだ…。 誤解されそうなこと…言わないとか言っといて…。 やっていいレベルってもんがあるよ!! 霧切さん…特に大人びてるから…わきまえてるかと思ってた…。酷すぎるよ…。 僕自身で告白して…フラれるならまだしも…。うぅ…」 「いや…違うの…」 #br そこで私は我に返り、自分が引き起こした事態の重大さを理解した。 彼はそのまま駆けだし、部屋を飛び出していった。 #br 「まっ…待って、苗木君!!」 #br 私はすぐに後を追い、苗木君の部屋の前に立った。 インターホンを押しても反応はない。当然だ。 #br 「苗木君!?お願い、話を聞いて!」 #br 必死に呼びかける。しばらくは反応がなかった。 #br 「苗木君!!」 #br 私の目には涙が盛り上がり、声も震えていた。 今日はもう諦めようかと思った時、部屋のドアが開いた。 #br 「…入って…いいよ」 #br 彼はひどく沈んだ声で私を室内へ誘った。 #br 部屋の中に入っても彼は何も言葉を発さなかった。 ただひどく落ち込み、悲しみと怒りが綯い交ぜになった顔をして俯いていた。 #br 「ごめんなさい…」 「…」 「こんな…こんなつもりじゃなかったの…。からかったときのあなたの顔が好きで…。 もっと見たくなって…。私、おかしくなっていた…」 「…言い訳なんて…。結局、お遊び…」 「違うわ!!」 #br 私が彼の言葉を遮るように急に叫んだため、彼は驚き顔を上げた。 #br 「確かに…お遊びも入ってたわ…。でも、私が言ったことには…本心も混ざってるわ」 「…」 「からかってたのは…あなたが…その…好きだったから。 でも…それを言うのが恥ずかしくて…言い方も分からなくて…冗談っぽくしてしまっていた。 その冗談も…それはそれで楽しくて…。 あなたは最終的に笑って応えてくれるから…過信もしてたのかもしれない。 言い訳にしかならないけれど…」 「…霧切さん…」 #br 私は自分でも何を言っているかよく分かっていない。出てくる言葉をそのまま発していた。 ふと気付くと心なしか彼の表情が柔らかくなっている気がした。 #br 「本当のこと…言っちゃったから…もう…ハッキリ言うわ…。 苗木君…私は…あなたが好き。あなたが吐いた思いの丈も…冗談で切り捨てずに受け止める」 「…それも…冗談…じゃないよね…?」 「そんな人でなしじゃないわ」 「…ありがとう」 #br まだ硬いながらも彼は微笑んだ。 #br 「本当に…ごめんなさい」 #br もう一度謝って、私も微笑みかけた。 そこで気付く。彼の顔が歪んでいる。微笑みというレベルを超えた笑みを浮かべていた。 #br 「な~んて、全部ウソだったりしてね…?」 「…え?な…何が…」 「霧切さんへの思いの丈も、それを踏みにじられて怒ったことも」 「え…?う…ウソなの…?」 #br 私の心中は再び不安に彩られた。 私が崩し、建て直したものが今度は彼によって崩されそうで、私はどこか恐ろしくなっていた。 この発端が手袋であったことを思い出した。 これに誓ったはずのことを私は再び繰り返そうとしているのではないか。 崩されてしまったら今度こそ完全な人間不信に陥るかもしれない。 今の私の顔はおそらくとても酷いものなのだろうと、どこかで客観的に思った。 #br ぴろり~ん♪ #br 急に間の抜けた音が鳴り響いた。 彼が私の顔を携帯電話で写真に撮っていた。 #br 「ごめん…。つい撮りたくなっちゃって」 #br 頬をぽりぽり掻きながら彼は苦笑して言った。 「…」 あまりの事態の転換に私は茫然としていた。 彼は私の惨めな顔を撮って笑い物にでもするつもりなのか?訳のわからない考えが頭をめぐる。 #br 「あ、ウソって言ったの、ウソだから。ごめんね」 「え…?」 「霧切さんのこと好きなのは確かだし、冗談で一蹴されて傷付いたのもホントだよ」 「…ほ、ほんと…?ひ…人が悪いわ…」 「霧切さんが言う?ちょっとした仕返しだよ」 「う…。ごめんさない」 「いいよ別に。 でも霧切さんも、動揺とかしてるとウソ見破れないんだね。 前騙そうとした時は簡単に騙され返されたけど」 「私だって人間よ…。それに…あんな状況の後で…」 「ごめんね」 #br 彼の様子がいつもどおりに戻ったのを見て、私は心の中でほっとし、喜びが湧いてくるのを感じていた。 #br 「これからもよろしくね霧切さん」 #br 不意に彼が言った。 #br 「え…?」 「僕の気持ち受け止めてくれるんだよね」 「え、ええ。あなたの方こそよろしく頼むわよ」 「もちろん。僕でよければ」 「それと…私きっとまた、素直じゃなくなるから」 「その方が霧切さんらしくていいよ。でも行きすぎないでね」 「どう…かしらね…?あなたをからかうの、ホントに楽しいから」 #br もちろん冗談だ。 苗木君と元の関係、いや一歩進んだ関係になれて、結果オーライというやつだろう。 でも同じ紆余曲折をもう一度辿る気は起きない。 #br 「………………」 #br 不思議な沈黙の間が流れた。 #br 「…じゃあ、からかわれるのは?」 「え…?」 #br 彼の返答に嫌な予感がした。 #br 「今日は珍しいものが撮れたし、皆に見せにいこう」 「えっ!?ちょっとそれって…。 駄目よ!携帯を渡しなさい苗木君!!」 #br 嫌な予感と言ったが、嫌なのはもちろん皆に惨めな写真を見られることだ。 彼とのやり取りには楽しさを感じていた。からかわれるのも悪くはないかもしれない。 彼が笑いながら言った。 #br 「冗談だよ」 #br ----