○崎

Last-modified: 2025-10-03 (金) 23:41:59

山﨑武司(元中日→オリックス→楽天→中日)の現役時代の別称。
上述の通り山﨑の「﨑」の字は異体字であるが、簡略化のため各別称は全て常用漢字の「崎」を使用している*1

概要

1986年ドラフト2位で愛工大名電高から中日に入団。若手時代は恵まれた体格とパワーを持ちながら怪我がちな体質などが災いして二軍暮らしが続くロマン枠だったが、9年目の1995年に初の2桁本塁打を記録して頭角を現すと、10年目となる翌1996年には39本塁打を放ち、初タイトルとなる本塁打王*2を獲得。
しかし1997年、本拠地が狭いナゴヤ球場からだだっ広いナゴヤドームに変わったことから打撃成績が急降下*3
チャンスにめっぽう弱く、2001年には中軸を任され25本塁打を放ちながらたったの51打点という貢献度が高いとは言い難い選手であった。
当時の中日ファンからの不満は相当なもので、併殺が多いことにも引っかけられ当時存在した「帳尻戦隊ウテンジャー」スレの主役にされ当該スレが発祥の「イエローゲッツー」という蔑称もあった。
また、あだ名の「ジャイアン*4」の如く我の強い選手であったため*5、成績面でチームに貢献できないと邪魔者扱いされ、そこから邪魔崎(ジャマサキ)と呼ばれたのが由来*6

移籍後も蔑称が使われ続けていたが、2004年末に新規加入した楽天に移籍してからは二軍レベルのチームにおいて貴重な長距離砲として黎明期から活躍、田尾安志監督と野村克也監督の指導が合致したのも幸いしチャンスでの弱さを克服し、2007年には最多本塁打と最多打点の2冠を獲得するなどチームを牽引し様々な尊称バリエーションが考案された。
その中で邪魔崎がソフトに変化した「ジャーマン*7」が引退した現在では最もポピュラーな別称として定着している。

別称一覧

現役時代は成績面の浮き沈みが激しかったため、活躍度合いによって「○」の部分が下記のように変化し尊称にも蔑称にもなりうる。

低)邪魔崎<ジャーマン<帳尻崎<山崎<必要崎<神崎<X崎*8<伝説崎 (高


伝説崎の例*9

yamasaki_01.jpg

関連項目

Tag: 中日 オリックス 楽天


*1 1999年シーズン途中から戸籍上の表記である「山﨑」に変更した。
*2 中日の日本人選手としては2025年時点で最後である。
*3 とはいえ1998年は27本塁打・86打点・OPS.838、リーグ優勝した1999年はシーズン途中に不調でスタメン落ちが増える&優勝決定戦で真中満と交錯したことにより負傷してリタイアしながらも28本塁打・75打点・OPS.873と、それぞれ及第点(というより近年ので見ればかなり優秀)と言える成績を残してはいる。
*4 相撲力士を想起する見た目と下の名が同一にあたることから、こちらも山﨑を代表する渾名の一つとして定着。当時の正捕手・中村武志と同じ名だったため区別を兼ねる側面もあった。
*5 この性格が災いしてオリックス時代には造反事件を起こし、戦力外となった一因にもなった。
*6 ちなみに山崎のローマ字“Yamasaki”をスペイン語(の一部の方言)で読むと「ジャマサキ」になる。
*7 先述のジャイアンが変化したものとされている。
*8 1999年9月26日の阪神戦で福原忍からリーグ優勝を大きく手繰り寄せる逆転サヨナラ3ランを放った際、打った瞬間に本塁打を確信し取った両手を掲げての仁王立ちポーズが「X」の字の形であったことが由来。
*9 画像は2007年5月17日の日ハム対楽天(東京ドーム)の試合での成績。この試合では日ハムの田中幸雄が通算2000本安打を達成しているが、結果はそのまま楽天が6-11と大勝することとなった