埼玉西武ライオンズ・中村剛也の蔑称。
概要
2005年の交流戦*1で鮮烈なデビューを飾った中村は2008年に本塁打王を獲得し球界を代表するホームランアーチストとして覚醒。統一球の導入に伴い超投高打低と呼ばれた2011年にも一人異次元レベルで次々と本塁打を量産*2した。
翌年開幕前にはNPBシーズン本塁打記録の更新を期待する声も挙がるなど注目が集まったが、開幕から1ヶ月間で打率.151 本塁打1 打点8と極度の不振に陥り、「不動の4番」にも関わらず本塁打量産どころか打線のブレーキとなり西武のシーズン序盤の低迷の一因となってしまった。
当然なんJでもネタにされ、中村のニックネーム「おかわり君」をもじった「おわり君」という蔑称が誕生した。
他にも「いちわり君」「おきもの君」「おにもつ君」等、散々な言われ様となった。
しかし…
後半戦は持ち直し結局は27本で本塁打王を獲得。なんJ民の見る目が節穴である正岡民ネタの一例となってしまった。
その後は2013年は故障に泣き僅か4本塁打も、2014年は34本、2015年は37本で2年連続本塁打王となるなどものの見事に復活を果たし、これらの蔑称はすっかり廃れていた。
再びのおわり君呼ばわり~復活
2017年は前半戦がまたも不調、後半戦になるとクリーンアップを剥奪される。本塁打数こそ27本だったが打率は規定到達としては自己最低を記録*3した*4。
2018年は開幕から1軍で使われるも、絶好調な打線の中ただ一人絶不調でまったく打てず、怪我による抹消もあり交流戦が終了するまで本塁打はわずか1本、「一時は引退も頭をよぎった」と本人も語るほど深刻な打撃不振に陥った。この時点でなんJでは「今度こそ本当におかわりはおわり」と断定され、2012年のリベンジだとばかりにこの蔑称が飛び交うこととなった。
一方、あくまで頭をよぎっただけで諦めてなどいなかった本人はここから試行錯誤*5*6を繰り返す。その結果、突如全盛期のように本塁打を量産、6月まで1割強だった打率も7月以降の月間打率はすべて3割を超える大幅な改善をみせ8月には月間MVPに、最終的には.265、74打点、本塁打は森、外崎、秋山を抜いてチーム3位の28本とまたしても復活を果たしたのだった。
なお、打ち始めた時期が時期であった為、饅頭キメてる*7というネタができた模様。
同時に、なんJ民に「1度やらかした正岡民エピソードを、懲りずに再びやらかす」という大変恥ずかしい正岡民ネタもできてしまった。
2019年は故障もなく年間を通してプレーし、特に満塁での場面での際立った勝負強さを見せた*8。5月には自身の持つ通算満塁本塁打記録を更新*9。7月には西武の生え抜きとして初の400号をサヨナラ本塁打で飾った。8月には不調の山川穂高に替わって4番に返り咲き、最終的には規定打席到達・打率がキャリアハイの.286・4年ぶりに30本塁打超え・123打点で打点王を獲得。4年ぶりとなるベストナインも獲得し、全盛期年度の1つと言えるほどの成績を残して完全復活。「全盛期をおかわりした」と言われた。
おわり君の蔑称もすっかり廃れ、逆に敬意を表して「おかわり君さん様*10」「満塁神」といった尊称も生まれるなど、もはや見かけるのは当時使用していたJ民たちを揶揄する時くらいとなった。