ぐう聖

Last-modified: 2022-06-21 (火) 10:21:11

ぐうの音も出ないほどの人」の略。ぐう畜の対義語。
非常に優れた人柄の人物へ贈られる尊称である。
元々は日ハム小笠原に対して使われていた。


【目次】


聖人エピソードの一例

以下、選手名は五十音順に列挙。

  • 李承燁(イ・スンヨプ)

    2004年に千葉ロッテマリーンズへ入団し初来日。その後は読売ジャイアンツを経て2011年にオリックスバファローズへ移籍。後半戦で大活躍したにも関わらず、シーズン前半の不調の責任からか「自分が居てはチームの足手まとい」と自ら2年契約を破棄して帰国した。
    また、巨人時代にも「二軍でも腐らず、チームメイトを焼肉に連れていってくれる」という証言が報告されている。
    イマイチな成績で帰国したあげくNPBの悪口を広めた*1ことで韓国国内でも批判の声が上がった金泰均と対比されることもあり、韓国でもぐう聖の呼び声が高い模様。

  • ブラッド・エルドレッド

    2012年途中から広島に加入し、2018年シーズンまで活躍。非常に真面目な人柄で知られており、元々は2013年限りでの退団が濃厚だったが、当時積極的にコミュニケーションを取っていた監督・野村謙二郎がフロントを強く説得して残留に漕ぎつけたという経緯がある。チーム事情ゆえに本職ではない外野手での出場を求められても守備練習からしっかりこなすなど、“中軸を担う助っ人”という立ち位置にも胡坐をかかずチームの為に常に真剣に野球に取り組む姿は球団内外問わず高い評価を集めていた。
    移動手段としてママチャリを愛用していたというのは有名なエピソードであるが、それも含めて日本文化をこよなく愛している事で知られている。現役引退時は外国人選手としては極めて異例となる引退セレモニーが日本のマツダスタジアムで行われており、「カープ史上最も愛された助っ人」との呼び声も高い。
    現在は広島の駐米スカウトを務めている。

  • 大瀬良大地
    以下のエピソードから「良い人」のイメージが強い。
    • 藤浪晋太郎死球をぶつけられた時もにこやかに対応*2
    • 自らが打ち込まれた時はベンチでグラブを3度叩きつけようとして3度我慢し道具を大切にする。
    • 2018年6月22日の阪神戦で両リーグ最速の10勝目をマーク。怒った阪神ファンから自身のそばにメガホンが投げ込まれる事態も「買ったお金がもったいないなあと思っていました」と大人の対応。
  • ボビー・ケッペル
    2010年に北海道日本ハムファイターズへ入団、2年連続2桁勝利を挙げるなど活躍。
    打線を組めるほどの聖人要素満載のエピソードの数々から、当初名前をもじって「ケツペロ」と揶揄していた一部のなんJ民も沈黙せざるを得なくなった模様。退団時には栗山監督が「何とか怪我の癒えた状態*3で送り出せてよかった」とコメントしていた。
    • 死球を与えた際には、帽子を取り一礼という日本式のやり方で打者に詫びる。
    • 東日本大震災に心を痛め、家族を呼び寄せてチャリティー試合前には志願してスピーチ*4
    • 球団の病院訪問メンバー(主に子供たちへの激励)を外された事に憤慨、直訴して以降は定期的に訪問。
    • 試合を観戦した障がい者たちと対面しガッチリと両手で握手、サインボールを手渡す。
    • 右肩故障からの復帰登板後に勝利すると、同じ故障でリハビリ中の斎藤佑樹にウイニングボールを渡して激励。
    • 連敗中のバス移動ではピザを振る舞う(チームメイトに分け与えたため、自身は食べられなかったという)。
    • スポーツ紙の番記者にも、退団の際には自身の記事について感謝を述べる。
    • その後シンシナティ・レッズとマイナー契約。日本球界での実績からメジャー先発間違いなしとされた。しかし同時に父が癌に侵され、家業の造園事業を継ぐためにあっさりと引退。キャリアよりも家族を優先させた。現在は宣教師として活動している。
  • フレデリク・セペダ

    キューバの至宝*5にしてNPBのネタ助っ人。初来日の時点で既に高齢*7だったため守備・打撃ともに精彩を欠いており、2年目はほぼ二軍に幽閉されていた。
    しかしキューバリーグが終わったらすぐに巨人のキャンプに合流、二軍でも練習は真面目に参加、若手選手にコーチのようにアドバイスしていたため、同じ巨人ネタ助っ人のフアン・フランシスコ、キューバ出身で2年目に来日しなかったユリエスキ・グリエル(元DeNA)と比較され、「成績こそ悪いが人間性は最高」と評され愛されていた。

  • 梨田昌孝
    • 球界再編で近鉄球団の消滅が決定した2004年の出来事。近鉄最後の試合のミーティングにおいて、梨田は監督として「みんな、胸を張ってプレーしろ。お前たちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」と語り、悲しみや今後への不安を抱きながらプレーに臨む選手たちを鼓舞し勇気付けた。これは今でも球史に残る言葉として語り継がれている。
    • また合併に際して、近鉄側のチーム色を配慮していたオリックス球団、および監督に就任した仰木彬からはヘッドコーチへの転任という形で残留を要請されていたが、「選手・スタッフやファンがばらばらになり、その進路も決まらないうちに自分一人が残るのは望ましくない」と自ら辞退。ここでも指揮官として周囲への気遣いを見せると共に、あくまで近鉄の一員として最後までその立場を貫いた*8
    • 楽天監督就任直後の2015年の秋季キャンプのこと。この時、戦力外となっていた選手*9が入団テストの為に秋季キャンプ地に合流していた。キャンプ終盤の紅白戦後、「これだけお客さんが入ってるんだから裏で合格を伝えるより、生で喜びの声を聞いてほしかったと入団テストの合格発表をファンの目の前で行う粋な計らいを見せ、4選手全員の合格を発表した*10
    • 日本ハムは栗山英樹が監督として長期政権*11を敷いていたため、梨田は楽天の監督を務める間は“先代の日ハム監督”という立場であった*12。それ故、自身の日ハム監督時代を支えた選手達(飯山裕志など)が楽天監督在任中に引退することも多かったが、敵チームの監督という立場ながら殆どの選手にコメントを寄せる。
  • ケーシー・マギー
    2013年に楽天で、2017~18年に巨人でプレー。楽天球団初のリーグ優勝・日本一に大きく貢献し、セリーグのシーズン最多二塁打記録を更新するなど活躍。
    近年の助っ人外国人ではかなりの人格者で知られており、現役引退後は巨人の駐米スカウトを務める。
    • 自身の子が先天性の病気を持つため小児医療への関心が高く、啓蒙活動も行っている。車椅子を寄付したり、病気を持つ子どもたちを試合に招待したりした。
    • 東日本大震災で被災した宮城県へは、復興のため1000万円以上も寄付
    • 2017年の交流戦期間中、楽天ファンへビデオメッセージを送り、「アメリカにいる間も楽天は気になっていたから結果をチェックしていたよ」とコメント。仙台での打席では大きな拍手で出迎えられた。
    • 試合中、審判の判定に不満を爆発させた同僚のマイルズ・マイコラスに対し「ガタガタ言ってないで、いいから早く投げろ!」と一喝。マイコラスを落ち着かせると同時にチームのムードを守り抜く。
    • 2017年オールスター第1戦(ナゴヤD)のセリーグ写真撮影の後、ヤクルトから唯一出場した小川泰弘が戸惑っていたところ声を掛けて肩を抱く
    • 代打起用が続き不貞腐れていた村田修一が「暇ー!」と叫んだ件で、殊勲打を放ったマギーは「ムラタは素晴らしい選手。代打で彼が四球を選んで繋いでくれたから、僕は打つ機会を得たんだ。僕がこうして仕事を出来るのはムラタあってのことだ」とコメント。
    • 2018年のクライマックスシリーズ敗退後、涙を浮かべながら「これから何が最善か考えるので結論はまだだが、チームは若返るもの。自分は歳をとった」とチームのための引き際まで考える
  • 三浦大輔

    1991年に横浜大洋ホエールズ時代に入団し、横浜ベイスターズ時代の1998年には日本一を達成その後チームは暗黒時代を迎え、2008年オフにFA宣言。阪神が興味を示しファンは移籍を覚悟するもファンの声に応え残留 *13貧打で負けても「点を与えた自分の責任」などとチームメイトを庇いつつ、25年の現役生活を横浜一筋で終えた。なお横浜スタジアムの打者優位ぶりやベイスターズ守備陣の頼りなさも相まって積み上げたWAR(セイバーメトリクスの総合指標の一つ)は歴代でも屈指の水準にある、という分析もある。(参考
    また、自身のサインの転売について「もっと書こうと思うよ。売るのも買うのもバカらしくなるぐらい書こうと思う。 『えっ?三浦のサイン買った?アホやなぁ・・・球場行ったらナンボでももらえるのに』みたいな」と発言するなど、常にファンサービスを忘れないナイスガイである。
    チームメイトの信頼も厚く、引退試合当日のブログの写真には一軍メンバー全員に加え故障中の須田幸太も収まっていた。
    2021年からは監督を務め、主力の流出や、外国人選手の来日遅れに対しても「若手にとってはチャンス」と前向きに捉え、開幕から8戦連続勝ちなしの際にも、自分の継投ミスを認める等、毎試合ポジティブなコメントを残し続けた*14


その他、ぐう聖と言われる人物

  • 木佐貫洋
    謙虚で前向き、真面目な人物として知られており、移動中などでサインが出来ない状況でファンに配布する目的で自身のサインを入れたベースボールカードを持ち歩いている。
  • 高谷裕亮
    シーズンオフに助っ人外国人が帰国する際に空港まで見送りをする、ファンサービスの精神を忘れることなく常にチームを盛り上げる、相手投手から死球を受けても常に優しい表情を見せる等、チームからもファンからも常に愛される存在で現役時代からチームを鼓舞してきた。
  • 秋信守(チュ・シンス)(MLB)
    新型コロナウイルスの影響を受け、マイナーリーガー選手の生計が脅かされている現状から、所属するレンジャーズのマイナー選手191人全員に対して総額19万ドル(2300万円)の生計資金援助や、地元の韓国で最も多くの感染者が発生した大邱(テグ)市の市民に対しても約1800万円の経済支援を行ったことから。
  • ブランドン・ディクソン
    2013年から8年間オリックスで活躍し、丁寧なファンサービスにも定評のあった優良助っ人。長女の名前を奈良県にちなんで『ナラ』と命名、球団を介して大阪のPR活動を行うなど、日本の文化や日本人を愛していた事で知られる。新外国人へのサポートも怠らない。
    2021年、コロナ禍により家族での来日が困難なため退団。
    その後、同年の東京オリンピックでアメリカ代表として再来日。銀メダルを獲得した際はオリックスファンからも歓喜や祝福の声、さらには日本球界復帰を望む声を多く集めた事からも、人柄の良さが伺える。
  • 平田良介
    難病の子どもを試合に招待するなど普段は温厚だが、チームメイトのダヤン・ビシエド差別的な野次を飛ばした客に対して血相を変え大激怒。自身が出演したラジオ番組でもこの事について「僕個人へ言うのは構わない。けど同じ仲間への言葉は許せない」と語っており、本気で仲間を想う男として知られるようになった。
  • 堀内恒夫
    現役時代はその実力もさることながら「悪太郎」「甲斐*15の小天狗」の異名を持つほどヤンチャかつ傲岸不遜で、あまりの悪童ぶりに王貞治からも制裁を受けたほどで*16あった。
    しかし、2004年に監督に就任する*17と、起用に応えられなかった内海哲也に対し、内海が号泣するほどの労いの言葉をかけるなど、情に篤い面も知られるようになる。またその内海が炭谷の人的補償で西武へ移籍した際には、感謝と労いの言葉をかける一方で「西武に骨を埋めるつもりで頑張れ」と巨人への未練を断ち切るよう諭しており、移籍先への敬意をも欠かさない愛情溢れるコメントは功労者を失った悲しみに暮れる巨人ファンの感動を呼んだ。さらに自身のブログで読者の質問やコメントに対して非常に丁寧な返信を行う点も、なんJでは評価が高い。
  • 森本稀哲
    幼少期に汎発性円形脱毛症を患う。現在は治癒しているものの敢えてスキンヘッドにしているのだが、それは同じ病気に苦しむ人々に勇気を与えたいという思いから。日本ハムで新庄剛志らとともにムードメーカーを買って出たり、移籍先のDeNAと西武で不振に陥り二軍生活であっても腐らずチームを鼓舞。引退試合の「稀哲さんに(打席を)回せ*18は彼の人望を示すエピソードとして有名。また、ホームランを打ってもホームベースまで全力疾走を怠らない模範的姿勢の選手でもあった。
    引退後は怖くないOBとして知られる。
  • 山﨑康晃
    2021年8月3日に急逝した木下雄介(中日)の追悼試合として行われた9月5日の中日対DeNA戦(バンテリンドーム)のエキシビションマッチにて、木下が生前背負っていた背番号98*19をユニフォームの帽子などに書き込んで試合に臨むことを自ら発案。この試合は無観客での開催だったが、チームの垣根を越え全員一丸となって追悼の意を表するきっかけになった彼の行動は哀しみに暮れる多くの中日ファンの感動を呼んだ。
    普段から非常に明るい性格でも知られており、チーム問わず若手から大ベテランに至るまで様々な選手と楽しげに写真に映る姿を度々披露している事などから、球界屈指の『コミュ力お化け』とも称されている。なお大学時代
  • 山下大輔
    社長の御曹司で慶応ボーイという恵まれた経歴から「グラウンドの貴公子」と呼ばれた。しかしそれでいて尊大なところは全くなく、寧ろ場を盛り上げるためなら自身の頭髪をギャグにすることも厭わない明るい人格者として知られる。横浜ヘッドコーチ時代には監督の権藤博や選手たち*20から全幅の信頼を寄せられ、監督時代では成績こそボロボロだったがチーム内の不協和音の解消に尽力した*21。また現役時代にチームメイトの高木豊が「オレらが点をとってもピッチャーがこう打たれちゃあなぁ」とぼやいた際、「みんな一生懸命やっているんだから、そういうことは言うな!」と一喝したという逸話がある。
  • ウィリン・ロサリオ
    こちらも肝心の打棒はサッパリだったため日本とは短い縁となったが、持ち前の陽気な性格で監督やチームメイトらを勇気づけようと努めた。メンチ同様に人柄面では好評で、豪雨被害に対しては個人で100万円を寄付するなどした。


例外

一口に「ぐう聖」といっても、上述のような良いエピソードばかりが目立つ選手だけではなく、中には同時にぐう畜なエピソードなども持っていたり、それと誤解されやすい一面を併せ持つ選手も存在する。

  • 赤星憲広
    盗塁の数に応じて車椅子を寄付する活動に取り組み、なんと301台もの車椅子を養護施設や病院へ寄付。「ボランティアは生涯現役」をスローガンとし*22、引退後もパートナーとなる企業を探し車椅子の寄付を続ける聖人ぶり。
    しかしながら観客のヤジに「入ってねえんだよこの野郎」と怒ってしまうなど短気な面もあるため畜生と誤解される。
  • 江尻慎太郎
    日本ハム、DeNA、ソフトバンクと渡り歩いた球団全てで仲間に慕われた好人物。故郷の宮城県が東日本大震災で被災した際には義援金の寄付に加え、医療現場の危機を知りAEDの寄付にも力を入れた聖人
    しかし道具を粗末にした黒歴史を蒸し返されてしまう。
  • ダヤン・ビシエド
    日本を愛し球団を愛する現役屈指のぐう聖外国人選手として知られる。
    毎年最後まで日本に残りNPBの表彰式やファン感謝祭にも出席*23、定期的に和服で家族写真を撮る、愛犬に日本由来で『富士』と名前を付ける、中日で引退したい旨の発言をするなど聖人エピソード多数。
    特に中日が「ビシエド個人軍」とも揶揄される歴史的に貧打に苦しんだ2019~2020年の期間ではビシエドへの厳しい攻めが続き、それに伴い死球も多かったがビシエドは死球を受けても一切怒るそぶりを見せず、それどころか他球団の外国人が怒った際には率先して止めに行くなど人柄の良さが伺える。
    しかし2022年4月1日の広島戦ではチャンスで凡退を続ける自分自身への怒りからかベンチ裏で一人暴れる姿が中継され、プロ野球ファンに衝撃を与えた*24
    なお、中日入団前は巨人・阪神も獲得調査に乗り出していたもののメジャーで素行不良の噂があったため撤退したという過去があるが、それはビシエドを獲得したい中日が流したデマであり、本人が単に英語が苦手なこと、シャイで寡黙であったことも重なり誤認されてしまったただけとされている。
  • 福良淳一
    小谷野栄一とのエピソードをはじめとした聖人エピソードが複数存在。
    オリックスGM就任後は厚い人望・人脈を活かした敏腕を振るっているが、一軍監督時代の専横ぶりから賛否両論ある人物である。

    主な聖人エピソード

    主な聖人エピソード

    • 日本ハムの二軍監督代行を務めていた2006年、イースタンリーグの試合に出場していた小谷野栄一(現オリックス野手総合兼打撃コーチ)が打席途中パニック障害を発症。その後も症状が出た為、小谷野の私生活にまで影響が及んでいた。
      その状況に陥っていた小谷野に、福良は「何分かかってもいいから、何回タイムをかけてもいいから、とにかくバッターボックスに入ってみよう。まずはそこから始めてみたらどうだ? 審判から怒られたら、俺が謝ればすむ話だから」と声をかけ、病が原因で現役引退も考えていた小谷野の野球人生に大きな影響を与えた。
      2018年に小谷野は現役引退をするが、その際にも「福良監督は憧れであり尊敬できる存在の人」と語っている。
    • 野手転向した佐野皓大に寿司を差し入れする。
    • 福良が選手時代に背負った背番号1を付ける福田周平に対して、笑顔で「(自分を)抜いてほしいよね、全部の成績。それぐらいやってもらわないと」とコメントする。
    • 不振で育成再契約となり、投球への自信を失っていた榊原翼に「慌てずにゆっくりとやっていい。ボールは持ちたくなるまで持たなくていいよ。やりたい事があれば言ってこい」と声をかける。
  • 松田宣浩
    亜大時代に先輩の不祥事により2部リーグに降格し、井口資仁の持つリーグ通算本塁打記録への挑戦が閉ざされてなお腐ることなく主将としてガタガタになった部を立て直す。
    明るいキャラクターで有名だが、これは移籍する川崎宗則にムードメーカーの役割を託されて以降のもので、ベテランになってもその役割を全うする。「自分は代表に選ばれたら辞退の選択肢は無い」と言い切り*25、代表での国歌斉唱時に律儀に歌っていたのが監督の稲葉と松田だけだったなど。
    しかし、時折行き過ぎた言動が批判の槍玉に上がる事もある。

    物議を醸した言動

    物議を醸した言動

    • ホームラン後の「熱男」パフォーマンスについて掛布雅之等から「相手投手に対しての品を欠いている」との苦言を呈される*26
    • 2022年1月に熊本で開催していた合同自主トレ中、自身を含む参加者7名が新型コロナウイルス感染した事が1月18日に球団より発表*27され、NEWSポストセブンでは「(自主トレ参加者による)キャバクラでの会食も行われていた」という記事が取り挙げられてしまい、「オフとはいえ引率者として軽率だったのでは」と批判される。
  • 森友哉
    高校3年の11月に、JR新今宮駅の線路に転落した盲目の男性をチームメイトの久米健夫捕手(元東京ガス野球部)と消防士とともに救助し、JR西日本から感謝状を贈られた。新型コロナウイルスの影響からペットの飼育放棄が増えているという現状を知った際は、動物保護団体への支援活動を即断即決したという大の愛犬家でもある*28
    しかし西武の年上の選手に対するエピソード*29から、“悪ガキ”のイメージが先行しがち。更に2022年4月2日、途中交替した後にZOZOマリンのビジターロッカールームでマスクを投げつけた際に利き手を骨折し翌日このことが発表された際にファンの間で「メンタル面の成長を望む」「年齢相応の言動をしろ」と言われてしまった。
  • 山本由伸
    先発に転向した2019年以降凄まじいムエンゴに苦しんでいるが、試合後のコメントでは常に自ら責任を背負い、冷静に反省点を分析して前を向く大人な言動を見せた事からぐう聖扱いされる。

    山本の敗戦後コメント傑作選

    山本の敗戦後コメント傑作選

    • 2019年初登板となった4月3日・ソフトバンク戦では9回を1安打で失点ゼロに抑えるも0-0のまま降板。結局そのままドローとなりプロ初完封勝利を逃したが、試合後の取材では四球について反省を述べ「ピンチの場面で野手の方々に助けて頂きながら、9回まで0点で抑えることが出来た」と野手への恨み節もゼロだった。
    • 5月16日・ロッテ戦。「野手も反省する所があると思う
    • 7月19日・西武戦。7回を自責0に抑えるも9回に守護神ディクソンが痛恨の3ラン被弾で同点とされ、延長で増井浩俊被弾し敗戦。試合後の取材に対して「ディクソンはこれまで抑えてくれていた。たまたま自分の投げた日に当たっただけ。去年、自分がリリーフのときに打たれても先輩方が優しい言葉をかけてくれた。そういういい教育を受けているので何かを思うことはありません。
    • 2021年開幕戦(対西武)、味方のエラーで自責点以外に3点失い敗戦投手になった後のコメント。「開幕戦ということもあって雰囲気は多少違いましたね。プレーボールのところから野手もこんなに緊張してることはない。難しいバウンドだったり、打球があったのでそこはなんとか抑えられたらなと思いましたけど。仕方ないプレーだったかなと思います」
    • 4月28日・楽天戦。9回無失点も、打線が相手先発の則本昂大を攻略できず0-0のドローに終わる。試合後の取材に「とにかく負けたくなかった。打てなかったというより、則本さんがいい投球。逆に負けなくてよかった」と、則本を称えるだけでなく野手陣も庇うコメントを残した。
    一方でグラウンド外ではナチュ畜な一面が目立ち、球団のファンフェスタでは公式に有罪判定を下されている

    山本のぐう畜エピソード

    山本のぐう畜エピソード


関連項目


*1 「日本では誰も話しかけてくれなかった」等の発言を行うが、直後に韓国の掲示板でチームメイトと談笑している画像が貼られるなど「信用できない」と評判になった。2017年のWBCでは兵役中でもないのに挙手敬礼で国歌を聴いたことでさらに顰蹙を買った。
*2 ただしこの件については黒田博樹に苦言を呈されているが、その黒田に対しての批判も強い。
*3 退団の前年に故障で投げられずフロント内部に退団論が浮上するも、栗山監督が説得してもう1年待ってもらった。
*4 ちなみにその前日は、楽天・嶋基宏(現ヤクルト)による「見せましょう、野球の底力を」のスピーチが行われている。
*5 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)においては安打、得点、打点、二塁打の4部門での通算記録保持者*6でもある。
*6 32安打、23打点、19得点、8二塁打。なお二塁打はカナダ代表のジャスティン・モルノー内野手と並んでタイ記録である。
*7 1980年生まれであるため、来日した当時は33歳だった。
*8 これに対して、一部では「大先輩である仰木の直訴を断った」として批判的な意見を持つ者も存在していたが、当の仰木本人は梨田の胸中を理解しており、両者の間に確執があったわけではない。
*9 山内壮馬(前中日)、金無英(前ソフトバンク)、栗原健太(前広島)、川本良平(前ロッテ)の4人。
*10 ただし、この4選手は全員が1年でクビになってしまった
*11 2012年以降10シーズンに及ぶ。一方の楽天はこの間に星野(2011-2014)→大久保(2015)→梨田(2016-2018途)→平石(2018途-2019)→三木(2020)→石井(2021-)と5回も監督交代を経験している。
*12 梨田は2008年から4シーズン日本ハムの監督を務めて栗山に交代。解説者を経て2016年から2018年シーズン途中まで楽天を指揮した。
*13 残留会見前にはわざわざ阪神の球団事務所を訪れ謝罪、沼沢球団本部長からもその人柄を賞賛された。
*14 しかし、その一方で怠慢走塁をした桑原将志に(代わりとなる選手がいないことを差し引いても)ペナルティを課さず、話し合いでの注意だけで済ませるなど一軍監督としては優しすぎる点が問題視されてもいる(ただ、結果として桑原はこれで発奮、不動の1番・センターとして自身初の打率3割達成という好成績を残した)。更に、2022年シーズンを持ってしても一向に采配は改善するどころか、悪化が見られているため「選手としての番長は好きだけど、監督としての番長は嫌」と嘆かれる声も少なくない。
*15 堀内の出身地である山梨県の旧国名。なお堀内が尊敬する人物は武田信玄である。
*16 なお王も荒川博コーチ(当時)により更生する前はかなりヤンチャで、鬼寮長・武宮敏明から王も堀内も「三悪」と呼ばれた。残り1人は女優・伊東ゆかりとの熱愛で名高い柴田勲。なおこの三悪は全員名球会入りを果たした(堀内は退会)。
*17 当時の無計画な補強のせいでチームがガタガタだったと言う事情があったとはいえ、采配面のダメさや■■軍団との内紛もあって監督としては無能という評価が多い。しかし堀内本来の人となりを知るなんJ民からは「監督をするには優しすぎた」と言われるようになり、高橋尚成ら一部選手も「当時は上から下まで風通しが悪く、誰が監督でも一緒だった」と擁護意見も多い。
*18 当時の西武はロッテとCS出場権を争い消化試合が無く、森本の引退試合は守備だけでの出場に終わると思われた。しかし最終回、1番から始まる攻撃で7番の森本に回す西武打線の執念は多くのプロ野球ファンの感動を呼んだ。
*19 前述の通りこの日は木下の追悼試合であったため、中日チームは全員が背番号98のユニフォームを着用していた。
*20 駒田徳広が造反した際も彼を庇い、後日感謝の言葉を述べられたという。
*21 森時代に不調だった金城龍彦などの主力選手を復調させるなど功績もある。ただし「ピッチャーデニーで8敗」「最下位が確定しているのに本塁打王争いをしていたウッズにバント」「代走に代走」「試合終盤にライトとレフトを交換」など、見るものの苦笑を誘う珍采配を連発していた。それでも2004年の最終戦まで指揮をとり、2年連続最下位ながら胴上げされて一軍監督から退いた。
*22 スローガンは引退翌年の2010年~2011年に赤星が出演したACジャパンの関西地域キャンペーンのCMでも使われた。なおこのCMはABC制作の全国ネットの阪神vs巨人戦等で関西以外の地域でも見ることができた。
*23 毎年どんどん短くなっていくアメリカへの帰国が「アメリカ旅行」と表現されるほど日本に在住しているが、それはキューバからの亡命でありアメリカ自体が出身地ではないことも影響していると思われる。
*24 とはいえ、初めて見せた怒りが自分自身への怒りというところも責任感の強いビシエドらしい、とファンは納得した。
*25 なお近年は自らがどんなに絶不調の際でも出場しているため、日本代表の聖域と化する事もある。
*26 特に掛布はこの手のパフォーマンスを好まずグラティを批判した過去がある。
*27 その翌日には熊本市の発表により、(松田らの名前や職業こそ挙げられていないものの)「7名の感染を確認」「計12名で熊本市内の飲食店を2件貸し切り利用した事でのクラスター発生」という詳細が判明した。
*28 同じ愛犬家の同志として、チームメイトの髙橋光成も災害救助犬協会への支援活動を行っている。
*29 金子侑司などに平気でタメ口を使う、高校の先輩でもある中村剛也のまんじゅうを盗み食いする(疑惑)など。山川穂高に対しては「おい、デブ」と発言したり、運転手にさせて森自身は助手席でふんぞり返っている、という逸話がある(一応フォローを入れておくと、森と山川は同期入団であり特に仲が良い事で知られている)。
*30 ドラフト指名時からとても高卒ルーキーには見えない風貌で話題を集めた。高校時代のニックネームは当時の監督が命名した「琉球じじい」。
*31 ただしそれでも即座のフォローは忘れない。
*32 ちなみに柳田悠岐や同僚の吉田正尚もロッカーが汚いため、「スター選手はロッカーが汚い」などとも言われる。
*33 これについて山本は警備員に責任転嫁していた
*34 相手選手への挑発、侮辱にならないか確認をとる気遣いもあった。
*35 この通訳はラミレス自身の頼みで共に横浜へ移籍した盟友である。
*36 この試合はシーズン勝率5割がかかった最終戦でもあったが、6回10失点と打ち込まれた三浦に代打を送らず「マウンドの上で交代させたかった」「今日のお客さんが見にきたのは三浦さん」と7回のマウンドに1打者限定で送り出している。結果三浦は先頭の雄平を空振り三振に切って有終の美を飾り、多くのDeNAファンの感動を呼んだ。
*37 2017年7月2日、古巣DeNAに4回9安打6失点と打ち込まれ移籍後初黒星を喫した山口を「いつもと変わらない山口でした」と評した件。試合前に「タフないいピッチャー。簡単(に勝てる相手)ではない」とコメントしておいてのこの発言である