ぐう聖

Last-modified: 2020-06-08 (月) 21:16:02

ぐうの音も出ないほどの人」の略。ぐう畜の対義語。
元々は日ハム小笠原に対して使われていた。


聖人エピソードの一例

文句なしのぐう聖達

  • 三浦大輔
    1991年に横浜大洋ホエールズ時代に入団し、横浜ベイスターズ時代の1998年には日本一を達成。その後チームは暗黒時代を迎え、2008年オフにFA宣言。阪神が興味を示しファンは移籍を覚悟するもファンの声に応え残留 *1貧打で負けても「点を与えた自分の責任」などとチームメイトを庇いつつ、25年の現役生活を横浜一筋で終えた。
    また、自身のサインの転売について「もっと書こうと思うよ。売るのも買うのもバカらしくなるぐらい書こうと思う。 『えっ?三浦のサイン買った?アホやなぁ・・・球場行ったらナンボでももらえるのに』みたいな」と発言するなど、常にファンサービスを忘れないナイスガイである。
    チームメイトの信頼も厚く、引退試合当日のブログの写真には一軍メンバー全員に加え故障中の須田幸太も収まっていた。
     
  • 李承燁
    2004年に千葉ロッテマリーンズへ入団し初来日。
    その後は読売ジャイアンツを経て2011年にオリックスバファローズへ移籍。後半戦で大活躍したにも関わらず、シーズン前半の不調の責任からか「自分が居てはチームの足手まとい」と自ら2年契約を破棄して帰国した。
    また、巨人時代にも「二軍でも腐らず、チームメイトを焼肉に連れていってくれる」という証言が報告されている。
    イマイチな成績で帰国したあげくNPBの悪口を広めた*2ことで韓国国内でも批判の声が上がった金泰均との対比されることもあり、韓国でもぐう聖の呼び声が高い模様。
     
  • ボビー・ケッペル
    2010年に北海道日本ハムファイターズへ入団、2年連続二桁勝利を挙げるなど活躍。
    打線を組めるほどの聖人要素満載のエピソードの数々から、当初名前をもじって「ケツペロ」と揶揄していた一部のなんJ民も沈黙せざるを得なくなった模様。退団時には栗山監督が「何とか怪我の癒えた状態*3で送り出せてよかった」とコメントしていた。
    • 死球を与えた際には、帽子を取り一礼という日本式のやり方で打者に詫びる
    • 東日本大震災に心を痛め、家族を呼び寄せてチャリティー試合前には志願してスピーチ*4
    • 球団の病院訪問メンバー(主に子供たちへの激励)を外された事に憤慨、直訴して以降は定期的に訪問
    • 試合を観戦した障がい者たちと対面しガッチリと両手で握手、サインボールを手渡す
    • 右肩故障からの復帰登板後に勝利すると、同じ故障でリハビリ中の斎藤佑樹にウイニングボールを渡して激励
    • 連敗中のバス移動ではピザを振る舞う(チームメイトに分け与えたため、自身は食べられなかったという)
    • スポーツ紙の番記者にも、退団の際には自身の記事について感謝を述べる
    • その後シンシナティ・レッズとマイナー契約。日本球界での実績からかメジャー先発間違いなしとされたが、同時に父が癌に侵された事から、家業の造園事業を継ぐためにあっさりと引退。キャリアよりも家族を優先させた
 
  • ケーシー・マギー
    2013年に楽天で、2017~18年に巨人でプレー。試合中はエキサイトする場面もあったが、その裏では人格者で知られる。
    • 自身の子が先天性の病気を持つため小児医療への関心が高く、啓蒙活動も行っている。車椅子を寄付したり病気を持つ子どもたちを試合に招待した。
    • 復興のため、故郷でもない宮城県に1000万円以上も寄付
    • 2017年オールスター第1戦(ナゴヤD)のセリーグ写真撮影の後、ヤクルトから唯一出場した小川泰弘が戸惑っていたところ声を掛けて肩を抱く
    • 代打起用が続き不貞腐れていた村田修一が「暇ー!」と叫んだ件で、殊勲打を放ったマギーは「ムラタは素晴らしい選手。代打で彼が四球を選んで繋いでくれたから、僕は打つ機会を得たんだ。僕がこうして仕事を出来るのはムラタあってのことだ」とコメント。
       
  • 梨田昌孝
    • 近鉄球団の消滅が決定した2004年の出来事。近鉄最後の試合のミーティングにおいて、梨田は監督として「みんな、胸を張ってプレーしろ。お前たちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」と語り、悲しみや今後への不安を抱きながらプレーに臨む選手たちを鼓舞し勇気付けた。これは今でも球史に残る言葉として語り継がれている。
    • 楽天監督就任直後の秋季キャンプで、その年戦力外となっていた選手の入団テスト結果をファンの目の前でサプライズ発表し、全員の入団を決定。
    • 日本ハムは栗山監督が長期政権を敷いているため、梨田は楽天の監督を務める間は「先代の日ハム監督」という立場であった*5。それ故、自身の日ハム監督時代を支えた選手達(飯山裕志など)が楽天監督在任中に引退することも多かったが、敵チームの監督という立場ながら殆どの選手にコメントを寄せる。
       
  • つば九郎
    ご存知No.1畜生系マスコットにしてNo.1聖者系マスコット。詳しくはこちら
     
  • 山本由伸
    2019年に先発再転向した山本は凄まじいムエンゴに苦しむも、試合後のコメントでは常に自ら責任を背負い、冷静に反省点を分析して前を向くなど極めて大人びた言動を見せる。*6
    • 2019年初登板となった4月3日・ソフトバンク戦では9回を1安打で失点ゼロに抑えるも0-0のまま降板。結局そのままドローとなりプロ初完封勝利を逃したが、試合後の取材では四球について反省を述べ「ピンチの場面で野手の方々に助けて頂きながら、9回まで0点で抑えることが出来た」と野手への恨み節もゼロだった。
    • 5月16日・ロッテ戦。野手も反省する所があると思うを参照。
    • 6月15日・阪神戦。オリックスはドリスから逆転サヨナラ勝利。山本は自身のインスタグラムのストーリーに「逆転のオリックス みんなナイスッ」という文字付きでテレビ中継の画像を投稿した。山本はその4日前の中日戦で114球を投げ抜き7回1失点に抑えるもチームは敗戦という凄惨なムエンゴに襲われていたばかりであったため、自身の境遇にも関わらずチームの勝利を本気で喜ぶ姿は感動と憐憫の涙を呼んだ。
    • 7月19日・西武戦。山本は7回を自責0に抑えるも9回に守護神ディクソンが痛恨の3ラン被弾で同点とされ、延長で増井浩俊被弾し敗戦。試合後、山本は取材に対して―
      「ディクソンはこれまで抑えてくれていた。たまたま自分の投げた日に当たっただけ。去年、自分がリリーフのときに打たれても先輩方が優しい言葉をかけてくれた。そういういい教育を受けているので何かを思うことはありません。
       
  • 大瀬良大地
    以下のエピソードから「良い人」のイメージが強い。
  • フレデリク・セペダ
    キューバの至宝にしてNPBのネタ助っ人。
    高齢での来日だったため守備打撃ともに精彩を欠いており、2年目はほぼ2軍に幽閉されていた。
    しかしキューバリーグが終わったらすぐに巨人のキャンプに合流、二軍でも練習は真面目に参加、若手選手にコーチのようにアドバイスしていたため、同じ巨人ネタ助っ人のフアン・フランシスコやキューバ出身で2年目に来日しなかったユリエスキ・グリエル(元DeNA)と比較され「成績こそ悪いが人間性は最高」と評され愛されていた。
     

その他、ぐう聖扱いされがちな人物

  • 平田良介
    普段は温厚だが、ビシエドに差別的な野次を飛ばした客に対して血相を変え大激怒。本気で仲間を想う男として知られるようになった。*8
  • 松田宣浩
    亜大時代に先輩の不祥事で部が2部リーグに降格し、更新が期待されていた井口資仁の持つリーグ通算本塁打記録への挑戦が閉ざされてなお腐ることなく主将としてガタガタになった部を立て直す、移籍する川崎宗則にムードメーカーの役割を託されて以降ベテランになってもその役割を全うする、自分は代表に選ばれたら辞退の選択肢は無いと言い切る、国歌斉唱時に監督の稲葉と2人だけ律儀にしっかりと歌っていたなど。
  • 堀内恒夫
    現役時代はその実力とは裏腹に悪太郎、甲斐*9の小天狗の異名を持つほどヤンチャで、あまりの悪童ぶりから王貞治に制裁を受けたほどだった。
    しかし、2004年に監督に就任すると、起用に応えられなかった内海哲也に対し内海が号泣するほどの労いの言葉をかけるなど、情に篤い面も知られるようになる。また自身のブログで読者の質問やコメントに対して非常に丁寧な返信を行う点もなんJでは評価が高い。
  • 森本稀哲
    幼少期に汎発性円形脱毛症を患う。現在は治癒しているものの今でもスキンヘッドにしているのだが、それは同じ病気に苦しむ人々に勇気を与えたいという思いからである。
    プロ入り後は先輩の新庄剛志に感銘を受け、プレーヤーとしてもムードメーカーとしても日本ハムの優勝に三度貢献。
    移籍先のDeNAと西武で不振に陥り二軍生活であっても腐らずチームを鼓舞。引退試合の「稀哲さんに繋げ*10は彼の人望を示すエピソードとして有名。引退後は怖くないOBとして知られる。
  • 和田一浩
    単打を打てばサイクルヒットが掛かった打席で2打席連続死球という災難に遭ったが、「相手も打たせないように厳しいコースにきた。当てにきたらあんな球にならない。それも勝負です」と相手バッテリーを責めなかった。
  • 秋信守(MLB)
    新型コロナウイルスの影響を受け、マイナーリーガー選手の生計が脅かされている現状から、所属するレンジャーズのマイナー選手191人全員に対して総額19万ドル(2300万円)の生計資金援助や、地元の韓国で最も多くの感染者が発生した大邱(テグ)市の市民に対しても約1800万円の経済支援を行ったことから。
  • 山下大輔
    社長の御曹司で慶応ボーイという恵まれた経歴から「グラウンドの貴公子」と呼ばれた。しかしそれでいて尊大なところは全くなく、寧ろ場を盛り上げるためなら自身の頭髪をギャグにすることも厭わない明るい人格者として知られる。横浜ヘッドコーチ時代には監督の権藤博や選手たちから全幅の信頼を寄せられ、監督時代では成績こそボロボロだったがチーム内の不協和音の解消に尽力した。また現役時代にチームメイトの高木豊が「オレらが点をとってもピッチャーがこう打たれちゃあなぁ」とぼやいた際、「みんな一生懸命やっているんだから、そういうことは言うな!」と一喝したという逸話がある。

例外

  • 赤星憲広
    盗塁の数に応じて車椅子を寄付する活動に取り組み、なんと301台もの車椅子を養護施設や病院へ寄付。ボランティアは生涯現役をスローガンとし、引退後もパートナーとなる企業を探し車椅子の寄付を続ける聖人ぶり。
    しかしながら入ってねえんだよこの野郎と怒ってしまうなど短気な面もあるため畜生と誤解される。

関連項目


*1 残留会見前にはわざわざ阪神の球団事務所を訪れ謝罪、沼沢球団本部長からもその人柄を賞賛された。
*2 「日本では誰も話しかけてくれなかった」等の発言を行うが、直後に韓国の掲示板でチームメイトと談笑している画像が貼られるなど「信用できない」と評判になった。2017年のWBCでは兵役中でもないのに挙手敬礼で国歌を聴いたことでさらに顰蹙を買った。
*3 退団の前年に故障で投げられずフロント内部に退団論が浮上するも、栗山監督が説得してもう一年待ってもらった。
*4 ちなみにその前日は、楽天・嶋基宏(現ヤクルト)による「見せましょう、野球の底力を」のスピーチが行われている。
*5 梨田は2008年から4シーズン日本ハムの監督を務めて栗山に交代。解説者を経て2016年から2018年シーズン途中まで楽天を指揮した。
*6 なお、プロスピA対決動画や球団公式インスタライブで先輩の若月の打撃をイジり倒すなど、ぐう畜な冗談を言う一面もある。ただしそれでも即座のフォローは忘れない好青年である。
*7 ただしこの件については黒田博樹に苦言を呈されている。
*8 出演したラジオ番組で平田は「僕個人へ言うのは構わない。けど同じ仲間への言葉は許せない」と語っていた。
*9 出身地である山梨県の旧国名。
*10 当時の西武はロッテとCS出場権を争い消化試合が無く、森本の引退試合は守備だけでの出場に終わると思われた。しかし最終回、1番から始まる攻撃で7番の森本に回す西武打線の執念は多くのファンの感動を呼んだ。