コンパクト教

Last-modified: 2024-11-08 (金) 18:17:34

元巨人ヘッドコーチ・村田真一を教祖とする宗教。教義は「コンパクトな打撃を意識すること」*1
のち派生形として「右打ち教」が生まれている。

野球用語としてのコンパクト

野球用語としてのコンパクトは、「バットを最短距離でボールに当てること」を指し、打撃の基本技術として「バットを遠回りさせずに最短距離でボールに当てることが、力のロスをなくしボールを確実に捉えるコツ」とされている。

MLBの大打者であるバリー・ボンズのほか、NPBで本塁打王獲得経験のあるブラッド・エルドレッド(元広島)やブランドン・レアード(元日本ハム→ロッテ)ら数多くの強打者がスイングのコツについて「コンパクトに振ること」と述べている*2。もちろん相応にスイングスピードの速さを求められるなど、技術やフィジカルが必要となってくる部分である。

宗教用語としてのコンパクト

宗教においては、一般的な意味とは異なる使い方をされる言葉が数多くあり、コンパクト教における「コンパクト」という用語もこの一つである。

コンパクト教の教祖・村田はことあるごとに「コンパクト」という言葉を使うが、これは野球用語のコンパクトとは異なる独自の宗教用語であり、「三振を悪とし、バットを短く持ってボールに弱く当てに行く」ことを意味する*3。野球用語のコンパクトは前述のように軌道のみを指していたが、コンパクト教用語のコンパクトは、バットの長さと打球の飛距離がコンパクトであるという違いに注意してほしい*4
時に、「テープで両腕をガチガチに固めてミート(要するに軽打)する練習をする」という、極端に思える打撃練習が行われていた事もあったとされ、「野球の実力を犠牲にする精神修行」との指摘がなされることがある。

例として堂上剛裕(元中日→巨人)など、二軍で結果を残してきた選手が一軍で教祖・村田の説法を受けて入信してから打てなくなったり、逆に大田泰示は日本ハム移籍で還俗したところ成績が急上昇*5小林誠司が2017年のオールスターでパ・リーグチームから「バットを短く持たずに思い切り振れ」と邪教の教えに染まり、出場初打席初球でホームランを放ったなどの事例がある。

宗教よりも野球での結果を望む巨人ファンの間では「村田コーチの放出が最大の補強」と言われるようになる。
プロの野球関係者の間でも疑問の声が上がっており、過去には金本知憲も名前こそ出してはいないものの村田の打撃理論を批判していた*6

ちなみに、教祖・村田の打撃成績は実働15年で打率.234、98本塁打打率は低いが出会いがしらの一発があったコンパクトとは正反対の選手だった。

その後

2017年オフ、“若返り”を名目に野手の村田が切られた一方でコーチの村田は残留。野球よりも宗教を優先する球団の姿勢は巨人ファンの逆鱗に触れた。

しかし、2018年に入ると若手を中心に打線が躍動してオープン戦1位、シーズンではあの小林までが好調な打撃を持続*7。巨人ファンの間では「やっとカルビがコンパクト教をやめたのか」「(打撃コーチとして加入した)吉村禎章*8が有能なのではないか」などと戸惑いながらも喜ぶ声が多くなった。
しかしながら相次ぐ故障で中継ぎ陣が兎達化し、2018年よりバッテリーコーチを兼任となった村田への風当たりは弱まる事はなく、高橋由伸監督が辞任を表明したことにより阪神・片岡篤史コーチ同様責任を取る形で辞任しコンパクト教も終焉を迎えた。


コンパクト教の後継者現る

2023年オフ、2024年より矢野謙次が一軍打撃コーチに就任が発表された。
しかし、2024年の巨人はシーズンを通して本塁打数は164本から81本に半減、得点は523から462に減少するなど貧打に陥る。
その中で、矢野は相手先発投手への対応について毎試合のように「コンパクトにコンタクトして」と繰り返し、「コンパクト教の再来」であると話題となった。(ソース)
なお矢野自身は、2025年シーズンにおいて二軍打撃チーフコーチに配置転換されることとなった。
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関連項目

Tag: 巨人 絶許


*1 実際は巨人打線に対する不満の捌け口として「とにかく村田ヘッドが悪い」ことにするためによく言われている理論である。実際には村田ヘッドばかりが選手に悪影響を及ぼしているわけではない。しかし村田ヘッドがコーチとして挙げた実績はほとんど無く(2013年、不振に陥っていた村田修一の打撃フォームを改造させ、復調させたことがある程度)、不満の捌け口として叩かれるのも仕方のない事とも言える。
*2 鳥谷敬らが唱える、変化球への対応力を高めるためには最短距離でバットを出さない方がいいという打撃理論もあるが、ここでは省略。
*3 極論を言えば中島卓也(日本ハム)のような打撃である。
*4 本来の野球用語ではこの打撃は軽打という。
*5 なお、本人も巨人時代に結果が残せなかった理由として「コンパクトにいくしかないなと思っていた。それで小さくなって、逆にミートできなかったりしたのかな」と発言している。ただし、一方で巨人在籍最後の年の大田は逆に振り回す事を強要された(本塁打こそ当時のキャリアハイを記録したものの、119打席で45三振を記録して迷走)とファンから指摘されている。
*6 当時の阪神監督で打撃理論が村田と似ている和田豊に対する遠回しの批判にもなっている。
*7 4月末までは首位打者をキープしていた。ただし5月以降は悪化しており、最終的に前年とあまり変わらない成績に終わった。
*8 村田とは同い年かつ同じ関西出身で、1981年ドラフト同期(吉村は3位、村田は6位)でもある。