ラビットボール

Last-modified: 2022-01-31 (月) 23:41:31
  1. 反発係数が異常に高いボールの通称。「飛ぶボール」とも呼ばれる。対義語は濡れスポ加藤球
  2. 読売ジャイアンツの選手がエラーした際に書き込まれる言葉。いわゆる巨人版ベイスボール

本項では1.について解説する。


【目次】


概要

反発係数を上げることで通常のボールよりも飛距離が出るようにしたボールを、飛び跳ねる動物であるウサギに例えてこう呼ぶ。
1940年代から野球ファンの間で一般的に使われてきた言葉であるが、現在のなんJではネタとして使われている。また、ラビットボールがよく使われていた時代を「ラビット時代」などと言う。


ジュン石井製ラビットボール(1948~1950年)

現在は話題に上がることが少ないが、元祖ラビットボールと言うべきボールである。

そもそも戦前から戦後すぐのボールは現代の目から見ればいびつな粗悪品で全く飛ばなかった。事実、1947年以前の年間最多本塁打記録は大下弘の20本塁打*1(1946年)、それ以前は試合数が少ないとは言え、中島治康(1938年秋)*2・鶴岡一人(1939年)の10本塁打という有様であった。

そこでボールメーカーのジュン石井の社長だった石井順一が機械を使って良質なボールを作る技術を開発。1948年シーズン終盤から公式戦でこのボールが導入されると一気に本塁打が増加した。1949年には藤村富美男(大阪)が46本塁打を放ち*3、大幅に記録を更新した。そして、このボールは大変良質な飛ぶボールとして「ラビットボール」と命名された。

さらに翌1950年は、ラビットボールに加えて、セ・パ分裂に伴ってチーム数が2倍になり、7球団がプロ野球に新規参入。これらの球団の投手陣が総じて貧弱だったことから、強打者たちがとんでもない記録を残すことになる。
小鶴誠(松竹)が打率.355、51本塁打161打点、藤村富美男が打率.362、39本塁打、146打点というあまりにもハイレベルなタイトル争いを繰り広げ、藤村が首位打者、小鶴が本塁打王と打点王を獲得した。
特に小鶴の161打点は未だに破られないアンタッチャブルレコード*4となっており、そもそも藤村の146打点を超えたのが歴代で1999年のロバート・ローズと2005年の今岡誠の2人だけである*5。前後の時代と比較して、あまりに突出した記録であるため、「神代の記録」とまで呼ばれたという。
また、その小鶴を擁する松竹ロビンスの通称「水爆打線」は一試合平均6.63点、2021年シーズン終了時点で歴代最多となるチーム総得点908点を記録した*6

この異常事態を受けて、やむなくラビットボールの使用は1951年から中止。本来は粗悪な戦前のボールに代わる良質なボールを意味していたラビットボールという言葉に対して、「飛びすぎるボール」という不名誉なニュアンスが含まれるようになってしまった。


第1期ミズノ製ラビットボール(1978~1980年)

その後、プロ野球では、球場(球団)ごとに使用球が選択できるようになった。

そして1970年代後半、当時のミズノ社は他社より10数メートル飛距離が出る反発力の高いボールを生産していた。そこに目を付けた阪急ブレーブスが1978年に同社のボールを導入し圧倒的な打撃成績(参考)でパ・リーグ前後期完全優勝*7を遂げた。次いでそれを知った近鉄バファローズも1979年に同社のボールを導入しリーグ1位の打率・本塁打数を記録して初のリーグ優勝を遂げた。1980年にはパ・リーグの他の球団にも波及しその結果近鉄の239本*8を筆頭にパ・リーグ3球団でチーム本塁打数が200本超え、リーグ最少の日本ハムでも167本で、リーグ全体で歴代最多の1196本(1球団平均199.3本)もの本塁打が飛び出し当時の「オフィシャル・ベースボール・ガイド」にも「飛び過ぎボール」と記述される事態となった。

その後近鉄が2年連続で日本シリーズで広島に敗れて日本一を逃したこと*9やコミッショナーの指示により反発力テストの規定を見直した結果、当時の飛ぶボール問題は一応の収束を見た。


第2期ミズノ製ラビットボール(1998~2010年)

時は下って2000年頃、最も多くの球場(東京ドームなど)で使用されていたのがミズノ社のボールである。ミズノのボールは、他社よりも反発係数が高く、「新ラビットボール」などと呼ばれた。

2001年ごろにはほとんどの球団がミズノ製ボールに切り替え、本塁打が激増。2002年はストライクゾーンが変更されたためやや投高化した*10が、2003年にはストライクゾーンが戻された上にミズノ社がさらに飛距離をアップさせたスーパーラビットボールを開発したことで急激に打高化が見られた*11

ミズノ製ラビットボールの最盛期にあたる2001年~2005年の5年間には50本塁打超えが5度*12達成されており、40本塁打達成者もこの5年間での達成者が他の期間と比べても圧倒的に多い。
特に堀内恒夫監督時代における2004年巨人の「史上最強打線」は大型補強の繰り返しにより各球団の4番が勢揃いしていたことも相まって本塁打を量産し、30本塁打以上4名、40本塁打以上2名、チーム本塁打数259本を記録した*13

2005年からはミズノ社もスーパーラビットをやめて飛距離を抑えるように方針転換したものの、依然として他社よりも飛びやすいボールを製造し続けた。これが問題視されたことで2011年に統一球(違反球)制度が導入され、ラビットボールは終焉した。
なお、2011年に導入された違反球もミズノ社製であるが、スーパーラビット時代と比べてリーグ本塁打数は半減している。


その後

現在では球が統一されていることから、ラビットボールの問題は起きていない。しかし、過去の強打者たちの記録を振り返る際に「○○はラビット時代だから参考記録」などの形でイチャモンがつけられる原因になっている。

また、何らかの原因によって打高投低のシーズンが訪れると、必ずと言っていいほど「ミズノ社が密かに統一球をラビットボールに変更した」という陰謀論が書き込まれる。さらに、特定の選手・チームだけが本塁打を量産している場合には、「このチームだけ密かにラビットボールを使っているのではないか」という疑惑が(ネタ半分言いがかり半分で)囁かれることがある。例として、2018年、2019年シーズンには西武打線が好調をキープしたためラビット認定を受けた。


MLBにおける飛ぶボール問題

2010年代前半のMLBは、NPBの違反球の印象が強いために影に隠れているが、NPBほどでないにしろホームランの減少による投高打低傾向が顕著であった。
2010年代後半になると、「フライボール革命」のためにホームランが急激に増加し(2014年比で約1.5倍)、90年代後半から2000年代前半のステロイド全盛時代をも上回るほどになった一方で三振数も増加の一途をたどっており、また低打率の傾向も残ったままという、いわゆるアダム・ダンタイプの選手が大量発生してしまった。近年のMLBでは、三振の数が安打の数を上回るという異常事態に陥っている。

フライボール革命は画期的な打撃理論とも言われているが、「実際には飛ぶボールなだけなのではないか?」「飛ぶボールなんだからホームラン狙いに大振りするのが有利に決まってる」という疑いの目を持つものも多く、ダルビッシュやバーランダーといったメジャーの投手陣の中にも「飛ぶボールだ」と指摘する声が出ていた。

MLBのコミッショナーであるマンフレッドは、これらを「陰謀論」として否定したものの、2018年3月にはX線検査が行われたり、2019年シーズンよりマイナーリーグの3Aで使用するボールを、メジャーリーグで使用される米ローリングス社製のボール(ちなみにすべてコスタリカ製)に変更した結果、開幕2週間で2018年シーズン比1.35倍のホームランが出る結果となってしまった*14為、窮地に陥いる事になってしまった。

最終的に、MLBは2021年シーズンから公式球を変え、ボールを飛ばないようにすると表明し、また各チームに向けた内部文書において飛ぶボール疑惑を認めた。
マンフレッドコミッショナーはアメリカ国内でも評判が悪く、方向性は真逆とは言え、無能なコミッショナーがやることは万国共通のようである。


関連項目


*1 これはリーグ全体の本塁打の9.5%に相当し、2011年に中村剛也が更新(10.6%)するまで戦後のNPBにおける本塁打シェア率の最高記録であった。戦前も含めると1944年の金山次郎(産業(現在の中日))の13.0%(23本中3本)が最高記録。
*2 なお当シーズン(40試合制)の中島は打率.361、本塁打10、打点38という成績を残しNPB史上初の三冠王となっている。
*3 同年の大阪タイガース(現阪神タイガース)は他にも別当薫が39本塁打を放つなど打線がリーグトップの得点・本塁打を叩き出し「(第一次)ダイナマイト打線」として後世にその名を残している(なおダイナマイト打線の命名者は日刊スポーツの記者)。ただし失点はリーグワースト2位と投手陣が今一つだったこともあり結局8チーム中6位でシーズンを終えている。
*4 更に言えばこの年小鶴は未だに破られていないシーズン143得点も記録している。2位は2001年のタフィ・ローズの137得点。2010年代で最も近づいたのは2018年の山田哲人の130得点。
*5 この他、1950年には西沢道夫(中日)も135打点で歴代9位タイとなっている。
*6 1番に74盗塁(セ・リーグ2位記録)の金山次郎が入り、この年史上初のトリプルスリーを獲得する岩本義行と30本塁打100打点を記録した大岡虎雄の4番5番、打率.314、36打点を記録したこの年の沢村賞投手である真田重男など小鶴以外にも記録に残る打者が多かった。
*7 1973年から1982年までのパ・リーグは2シーズン制で前後期で優勝チームが違う場合は3勝先取制のプレーオフを施行していた。なおその期間で前後期完全優勝を達成したのは1976年と1978年の阪急のみ。
*8 当時歴代最多(後述の2004年の巨人が259本を記録し更新)。また同年の近鉄のチーム総得点791点は当時は上述の1950年の松竹に次いで歴代2位(2019年シーズン終了時点では2003年のダイエーと2018年の西武に抜かれ歴代4位)。ただし130試合制では未だに歴代最多。
*9 実は1978年も広岡達朗率いるヤクルトに阪急が敗戦しており、史上初の巨人を含まないセ球団の日本シリーズ3連覇(しかも2022年シーズン末現在史上唯一)という不名誉記録となった。1981年も日本ハムが巨人に敗れてセ4連覇となる。
*10 この前後と比べれば投高というだけであり、他の時代と比べればもちろん打高である。事実、アレックス・カブレラがこの年55本塁打を記録しパ・リーグの本塁打王となった他、セ・リーグの本塁打王も松井秀喜の50本と高水準で両者以外にも好成績を残した打者が続出した。参考
*11 同年のオリックスは2019年シーズン終了時点で歴代最悪となるチーム総失点927を記録してしまっている。
*12 タフィ・ローズおよびアレックス・カブレラが2度、松井秀喜が1度。
*13 チーム本塁打259本は2019年シーズン終了時点で歴代最多。しかし、本塁打数の割に100打点達成者がいなかったことや、盗塁数が25(チーム最多盗塁は鈴木尚広の9個)と日本プロ野球シーズンワースト記録を樹立。さらに投手陣の崩壊が積み重なった結果、最終的に3位でシーズンを終え「紙上(机上)最強打線」とも揶揄された。
*14 しかもアメリカでは大抵4月は気温が低く相対的に気圧も高くなる為、ボールが飛ばないのが通常である。実際2A以下は従来通り中国製を使用しているが、総じて同じく2018年シーズンの同時期と比べ85%前後まで低下している事もその証左であった。