ラビットボール

Last-modified: 2021-03-09 (火) 07:49:58
  1. 反発係数が異常に高いボールの通称。「飛ぶボール」とも呼ばれる。対義語は濡れスポ加藤球
  2. 読売ジャイアンツの選手がエラーした際に書き込まれる言葉。いわゆる巨人版ベイスボール

本項では1について解説する。

概要

反発係数を上げることで通常のボールよりも飛距離が出るようにしたボールを、飛び跳ねる動物であるウサギに例えてこう呼ぶ。
1940年代から野球ファンの間で一般的に使われてきた言葉であるが、現在のなんJではネタとして使われている。また、ラビットボールがよく使われていた時代を「ラビット時代」などと言う。

ジュン石井製ラビットボール(1948年~1950年)

現在は話題に上がることが少ないが、元祖ラビットボールと言うべきボールである。

そもそも戦前から戦後すぐのボールは現代の目から見ればいびつな粗悪品で全く飛ばなかった。事実、1947年以前の年間最多本塁打記録は大下弘の20本塁打*1(1946年)、それ以前は試合数が少ないとは言え、中島治康(1938年秋)*2・鶴岡一人(1939年)の10本塁打という有様であった。

そこでボールメーカーのジュン石井の社長だった石井順一が機械を使って良質なボールを作る技術を開発。1948年シーズン終盤から公式戦でこのボールが導入されると一気に本塁打が増加した。1949年には藤村富美男(大阪)が46本塁打を放ち*3、大幅に記録を更新した。そして、このボールは大変良質な飛ぶボールとして「ラビットボール」と命名された。

さらに翌1950年は、ラビットボールに加えて、セ・パ分裂に伴ってチーム数が2倍になり、7球団がプロ野球に新規参入。
これらの球団の投手陣が総じて貧弱だったことから、強打者たちがとんでもない記録を残すことになる。

小鶴誠(松竹)が打率.355、51本塁打161打点、藤村富美男が打率.362、39本塁打、146打点というあまりにもハイレベルなタイトル争いを繰り広げ、藤村が首位打者、小鶴が本塁打王と打点王を獲得した。

小鶴の161打点は未だに破られないアンタッチャブルレコード*4となっており、そもそも藤村の146打点を超えたのが歴代で1999年のロバート・ローズと2005年の今岡誠の2人だけである*5。前後の時代と比較して、あまりに突出した記録であるため、「神代の記録」とまで呼ばれたという。

小鶴を擁する松竹ロビンス*6の通称「水爆打線」は一試合平均6.63点、2020年シーズン終了時点で歴代最多となるチーム総得点908点を記録した*7

この異常事態を受けて、やむなくラビットボールの使用は1951年から中止。本来は粗悪な戦前のボールに代わる良質なボールを意味していたラビットボールという言葉に対して、飛びすぎるボールという不名誉なニュアンスが含まれるようになってしまった。

第1期ミズノ製ラビットボール(1978年~1980年)

その後、プロ野球では、球場(球団)ごとに使用球が選択できるようになった。

そして1970年代後半、当時のミズノ社は他社より10数メートル飛距離が出る反発力の高いボールを生産していた。そこに目を付けた阪急ブレーブス*8が1978年に同社のボールを導入し圧倒的な打撃成績*9でパ・リーグ前後期完全優勝*10を遂げた。次いでそれを知った近鉄バファローズ*11も1979年に同社のボールを導入しリーグ1位の打率・本塁打数を記録して初のリーグ優勝を遂げた。1980年にはパ・リーグの他の球団にも波及しその結果近鉄の239本*12を筆頭にパ・リーグ3球団でチーム本塁打数が200本を超え*13、リーグ全体で1196本(1球団平均199.3本*14もの本塁打が飛び出し当時の「オフィシャル・ベースボール・ガイド」にも「飛び過ぎボール」と記述される事態となった。

その後近鉄が2年連続で日本シリーズで広島に敗れて日本一を逃したことやコミッショナーの指示により反発力テストの規定を見直した結果当時の飛ぶボール問題は一応の収束を見た。

第2期ミズノ製ラビットボール(1998年~2010年)

時は下って2000年頃、最も多くの球場(東京ドームなど)で使用されていたのがミズノ社のボールである。ミズノのボールは、他社よりも反発係数が高く、「新ラビットボール」などと呼ばれた。

2001年ごろにはほとんどの球団がミズノ製ボールに切り替え、本塁打が激増。2002年はストライクゾーンが変更されたためやや投高化した*15が、2003年にはストライクゾーンが戻された上にミズノ社がさらに飛距離をアップさせたスーパーラビットボールを開発したことで急激に打高化が見られた*16

ミズノ製ラビットボールの最盛期にあたる2001年~2005年の5年間には50本塁打超えが5度*17達成されており、40本塁打達成者もこの5年間での達成者が他の期間と比べても圧倒的に多い。
特に堀内恒夫監督時代における2004年巨人の「史上最強打線」は大型補強の繰り返しにより各球団の4番が勢揃いしていたことも相まって本塁打を量産し、30本塁打以上4名、40本塁打以上2名、チーム本塁打数259本を記録した*18

2005年からはミズノ社もスーパーラビットをやめて飛距離を抑えるように方針転換したものの、依然として他社よりも飛びやすいボールを製造し続けた。これが問題視されたことで2011年に統一球(違反球)制度が導入され、ラビットボールは終焉した。
なお、2011年に導入された違反球もミズノ社製であるが、スーパーラビット時代と比べてリーグ本塁打数は半減している。

その後

現在では球が統一されていることから、ラビットボールの問題は起きていない。しかし、過去の強打者たちの記録を振り返る際に「○○はラビット時代だから参考記録」などの形でイチャモンがつけられる原因になっている。

また、何らかの原因によって打高投低のシーズンが訪れると、必ずと言っていいほど「ミズノ社が密かに統一球をラビットボールに変更した」という陰謀論が書き込まれる。さらに、特定の選手・チームだけが本塁打を量産している場合には、「このチームだけ密かにラビットボールを使っているのではないか」という疑惑が(ネタとして)囁かれることがある。例として、2018年シーズンには、西武打線が好調をキープしたため、ラビット認定を受けた。逆に貧打に喘いだ阪神楽天は「違反球を使っている」とネタにされた。

NPB以外での事例

清宮球

2017年の夏の甲子園はホームラン数が例年に比べ激増、違反球にならって「清宮球」と揶揄された。これは同年に高校三年生のシーズンを迎え、高校通算の公式試合本塁打記録を狙う早実高・清宮幸太郎(現日本ハム)が活躍するために用意された「飛ぶボール」が原因なのではないかという風説によるものである。ただしこの大会では清宮自身は西東京大会敗退で出場しておらず、実際に打ちまくったのは広陵高・中村奨成(現広島)である。

       HR数 試合数 平均

2013年春 20本 35試合 0.57

2013年夏 37本 48試合 0.77

2014年春 13本 32試合 0.41

2014年夏 36本 48試合 0.75

2015年春 17本 31試合 0.55

2015年夏 32本 48試合 0.67

2016年春 16本 31試合 0.52

2016年夏 37本 48試合 0.77

2017年春 23本 33試合 0.70

2017年夏 68本 47試合 1.45

2018年春 20本 35試合 0.57

2018年夏 51本 55試合 0.93

関連項目


*1 これはリーグ全体の本塁打の9.5%に相当し、2011年に中村剛也が更新(10.6%)するまで戦後のNPBにおける本塁打シェア率の最高記録であった。戦前も含めると1944年の金山次郎(産業(現在の中日))の13.0%(23本中3本)が最高記録。
*2 なお当シーズン(40試合制)の中島は打率.361、本塁打10、打点38という成績を残しNPB史上初の三冠王となっている。
*3 同年の大阪タイガース(現阪神タイガース)は他にも別当薫が39本塁打を放つなど打線がリーグトップの得点・本塁打を叩き出し「(第一次)ダイナマイト打線」として後世にその名を残している(なおダイナマイト打線の命名者は日刊スポーツの記者)。ただし失点はリーグワースト2位と投手陣が今一つだったこともあり結局8チーム中6位でシーズンを終えている。
*4 更に言えばこの年小鶴は未だに破られていないシーズン143得点も記録している。2位は2001年のタフィ・ローズの137得点。2010年代で最も近づいたのは2018年の山田哲人の130得点。
*5 この他、1950年には西沢道夫(中日)も135打点で歴代9位タイとなっている。
*6 1953年に旧・大洋ホエールズと対等合併して大洋松竹ロビンスとなる。その後、いろいろな経緯を経て現在の横浜DeNAベイスターズとなる。
*7 1番に74盗塁(セリーグ2位記録)の金山次郎が入り、この年史上初のトリプルスリーを獲得する岩本義行と30本塁打100打点を記録した大岡虎雄の4番5番、打率.314、36打点を記録したこの年の沢村賞投手である真田重男など小鶴以外にも記録に残る打者が多かった。
*8 1988年オフにオリエントリース(現オリックス)へ身売り。現在のオリックス・バファローズの前身の一つ。
*9 参考
*10 1973年から1982年までのパ・リーグは2シーズン制で前後期で優勝チームが違う場合は3勝先取制のプレーオフを施行していた。なおその期間で前後期完全優勝を達成したのは1976年と1978年の阪急のみ。
*11 大阪近鉄時代の2004年オフ、当時のオリックス・ブルーウェーブと合併し消滅。これがオリックス・バファローズと東北楽天ゴールデンイーグルス誕生の要因となる。
*12 当時歴代最多(後述の2004年の巨人が259本を記録し更新)。また同年の近鉄のチーム総得点791点は当時は上述の1950年の松竹に次いで歴代2位(2019年シーズン終了時点では2003年のダイエーと2018年の西武に抜かれ歴代4位)。ただし130試合制では未だに歴代最多。
*13 リーグ最少の日本ハムでも167本。
*14 リーグ本塁打数1196本は2019年シーズン終了時点で歴代最多。
*15 この前後と比べれば投高というだけであり、他の時代と比べればもちろん打高である。事実、アレックス・カブレラがこの年55本塁打を記録しパ・リーグの本塁打王となった他、セ・リーグの本塁打王も松井秀喜の50本と高水準で両者以外にも好成績を残した打者が続出した。参考
*16 同年のオリックスは2019年シーズン終了時点で歴代最悪となるチーム総失点927を記録してしまっている。
*17 タフィ・ローズおよびアレックス・カブレラが2度、松井秀喜が1度。
*18 チーム本塁打259本は2019年シーズン終了時点で歴代最多。しかし、本塁打数の割に100打点達成者がいなかったことや、盗塁数が25(チーム最多盗塁は鈴木尚広の9個。)と日本プロ野球シーズンワースト記録を樹立。さらに投手陣の崩壊が積み重なった結果、最終的に3位でシーズンを終え「紙上(机上)最強打線」とも揶揄された。