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何億積まれても大学時代には戻りたくない

Last-modified: 2019-10-08 (火) 18:37:08

赤星憲広(元阪神)が大学時代を回顧したときの感想。

概要 Edit

赤星は愛知・大府高校時代に甲子園に出場するなどの実績からプロ入りの候補として挙げられるほどだったが、プロでやっていく自信がなかったため進学を選択。亜細亜大学へ入学し、野球を続けることとなる。
しかしいざ入部してみると「軍隊」や「地獄」とも形容される厳しい練習や上下関係が待っており、赤星も一時は野球部から逃げ出したほどであった。その後野球部に戻り、厳しい環境に対して反骨心が芽生えた赤星は4年間を全うし、JR東日本へと就職することとなる。
この時の厳しさを後に自著の本で「もう1回、あの4年間をやるかと言われたら、絶対に無理」「何億とお金を積まれても無理」と記しており、今ではタイトルのような文面に変わって広まっている。

 

これは赤星に限らず、井端弘和(元中日→巨人)など他のOBも同様の感想を述べており、あまりの厳しさに高校時代に有望視されていた選手が亜大に入学した途端に退部というケースも珍しくない。亜大OBどころか他の大学の野球部OBですら散見する亜大野球部の環境を見て引いていたほどである。
厳しい環境だったことを示す一部の事例を挙げると

  • 練習中の嘔吐は当たり前
  • 寮では同部屋の先輩が戻ってくるまで後輩は全員正座して待つ
  • 規律を破った者は部員一人一人ずつに謝罪する

などの時代錯誤のようなエピソードが伝わっている。
吉川尚輝(巨人)も亜大に進学を決めており、入学前に入寮、入部をしたものの厳しい環境に馴染めず、間もなく退部、退寮したため、結果として入学直前に入学を取り消したほどであった*1
次々出てくるエピソードからなんJ民も震え上がるほどであり「大学野球界の最大の闇」とも言われ恐れられている*2

 

ただし、厳しい環境ではあるものの、卒業後プロ入りした選手も一定の成績を挙げた選手が多いのは事実で、(表沙汰になってない可能性もあるが)不祥事が起こることはほとんど無いため、かつてのPL学園および現在の大阪桐蔭高校*3と同様にこの環境がプロで成功した要因と挙げるOBも少なくない。


特殊な例 Edit

亜大野球部のとんでもない話が出てくる中、SB松田宣浩だけは他のOBとは真逆の感想を述べている。

ソフトB・松田「熱男」の原点、亜大野球部の強さの秘密を語る - ココカラnext
https://cocokara-next.com/athlete_celeb/nobuhiromatsuda-origin-01/

「よく、亜細亜の野球部は厳しいと言われますが、僕は厳しいって思ったことはないですね。人間的に成長させてもらいました。
あの4年間が、今を作っている、頑張らせてくれていると思っています。
いい時も悪い時もありましたが、チャレンジできる精神力を作ってくれたと感謝しています。
4年間、アツい気持ちを持ってやってくることができました。」


関連項目 Edit






*1 吉川はその後中京学院大学に進学した。
*2 現役の選手においても、コミュ力お化けとして名高い山崎康晃(DeNA)ですら「亜大時代に笑顔を見たことがない」と言われていた程である。
*3 OBの藤浪晋太郎に「刑務所」と揶揄される程の厳しい環境として知られ、藤浪曰く「プロの練習の方が楽」とのこと。