長野久義(巨人→広島→巨人)に対する読売ジャイアンツの状態を指す。
概要
日本大学→Honda硬式野球部出身の長野は、アマチュア時代から巨人へ入団希望する旨を公表していた。ドラフトでは過去3度の指名機会があったが、日本大学時代の2006年(1度目)には北海道日本ハムファイターズから4巡目で、「巨人以外の指名は拒否(Honda残留)」をあらかじめ明かした2008年(2度目)には千葉ロッテマリーンズから2巡目*1*2で指名されているものの、そのいずれに対しても拒否し、巨人入りへの強固な意思を見せている。
この顛末から、2回連続の指名漏れがあった巨人へのプレッシャーが高まり、翌2009年2月には「長野を1位で指名する」と早々に宣言。この年は花巻東高校の菊池雄星(現マリナーズ)や中京大中京高校の堂林翔太(現広島)ら、センバツや夏の甲子園で活躍を見せた高卒の話題選手が現れる中、「ドラフトを2回も拒否してるため高齢*3」「外野専門*4」「社会人時代に“打の野本(圭)*5、守の長野”と呼ばれた打撃力への懸念」など、そこそこの不安材料を持った長野を宣言どおりに1巡指名した巨人は、他球団ファンから「長野に囲い込まれた」と揶揄を受けてしまう。
しかし2010年、蓋を開けると開幕から即戦力らしい安定した活躍を見せ、シーズン成績で.288・19本・52打点・OPS.821の好記録を残す。こうなると開幕前まで長野ならびに巨人をマイナス評価していた人間はすっかりと消えたものの、逆に「長野は囲い込みだった」と主張する人間が現れ始めるようになってしまった。