大正義ドラフト

Last-modified: 2025-12-07 (日) 01:32:46

指名・入団した選手において、目覚ましく活躍した選手が多いドラフトのこと。


概要

ドラフト会議で指名できる選手のレベルは各年でまちまちであり、不作の年もあれば豊作の年もある。
その中の大豊作の年において、ドラフト戦略が成功すれば一軍で活躍できる選手を一回のドラフトで何人も獲得できる可能性がある。後に指名した選手の成績を振り返り、一流クラスの成績を残した選手が特に多いドラフトを「大正義ドラフト」と呼ぶようになった。
明確な判断基準は無いが、長期に渡ってレギュラークラスの成績を残すことができた選手が3人以上、または育成から支配下登録され長期的に一軍出場を果たした選手がより多くいれば大正義ドラフトと見なされる。


大正義ドラフトの例

名球会入会者・入会条件達成者は赤字。(逆)は逆指名での入団。「契約状況」欄は入団拒否の選手が同期に存在する場合のみ記載。


1968年 阪急ブレーブス

 順位    名前   守備位置   出身   契約状況
1山田久志投手富士製鐵釜石入団*1
2加藤秀司内野手松下電器入団
3長谷部優投手岸和田高拒否*2
4柳橋明投手日大山形高拒否*3
5新井良夫投手大宮高入団
6島崎基慈内野手大分商業高入団
7福本豊外野手松下電器入団
8柿本進内野手星林高拒否*4
9切通猛外野手東芝入団*5
10三好行夫内野手日本鉱業佐賀関拒否
11村上義則投手小豆島高拒否*6
12門田博光外野手クラレ岡山拒否
13石井清一郎外野手大宮工業高入団
14鈴木博投手小山高拒否*7
15坂出直投手倉吉東高拒否*8

大正義ドラフトの代表例としてよく挙げられる。
1位山田、2位加藤、7位福本の3人が長きに渡り主力として活躍し、いずれも後に名球会入りを果たした
入団拒否こそされたものの、12位指名の門田もこの翌年に南海ホークスへ入団*9。歴代3位となる通算本塁打数と通算打点数の成績を残して名球会入りを果たしたため、このドラフトでは実に4人の名球会入会者がいたことになる。
結果として下位指名の福本が球史に名を残す名選手となったが、元々本人すらプロ入りできると思っていなかったほどの選手であった。しかし福本は富士製鐵広畑の補強選手として松下の同僚であったこのドラフト2位の加藤と共に都市対抗に出場。アマチュア屈指のスラッガーであった加藤目的でプロのスカウトが視察に来た試合にて福本は打ってはホームラン*10、守備でも好返球で走者を刺すという好守備を見せたことでプロの指名を受けることができたという強運も相まっている。
この年は投打ともに大豊作の年であり、他球団を見ても山本浩二・田淵幸一・大島康徳有藤通世東尾修などがプロ入りをしている。

なお、入団拒否者が多いのは当時のプロ野球選手が現在ほど安定した職業とは言えなかったためであり、どの球団でも入団拒否者が多かった*11
拒否者が多すぎて戦力補強にならない球団もあったため、救済策として1990年まではドラフト指名されなかった選手をドラフト後に入団させることができるドラフト外入団が認められていた*12


1996年 福岡ダイエーホークス

 順位    名前   守備位置   出身   
1井口忠仁内野手青山学院大
2松中信彦内野手新日本製鐵君津
3柴原洋外野手九州共立大
4倉野信次投手青山学院大
5岡本克道投手東芝
6村上鉄也投手東北福祉大
7新里紹也内野手沖縄電力

根本マジック*13」「反則ドラフト」と呼ばれ、ドラフト1位級の野手を3人獲得する離れ業を達成した大正義ドラフト。
1位井口、2位松中を逆指名制度で獲得*14。3位柴原は当時中日が1位指名を公言するなど他球団も獲得を検討していたが、「ダイエー以外から指名された場合ローソン*15入社」を公言させ、他球団が指名を回避し見事3位で獲得。
井口は後にメジャー挑戦。日本復帰時はロッテに入団、引退までロッテで現役を全うしたが、ダイエー在籍中は盗塁王やシーズン100打点を記録するなど中軸として活躍。
松中は打撃タイトルを総なめし平成唯一の三冠王を獲得、2006年WBCで4番を務め世界一に貢献する大活躍。柴原も後に秋山幸二から背番号1を継ぎ外野手のレギュラーを長年にわたって務めた。
倉野と岡本も10年以上選手として在籍、一軍でもそれなりの成績を残すなど、ホークス黄金期の礎を作ったドラフトとも言える。

また倉野は引退後、ホークス投手コーチとして投手育成での貢献度が高いことを含めても獲得して成功だったと言えるだろう。

余談だが、この年のドラフトはアトランタオリンピックが開催された後であり、前年ドラフトで指名凍結されていた*16選手の指名が可能となったことで、(同大会代表メンバー経験者を含め)社会人チーム所属選手が豊作だった。主な選手に谷佳知・小笠原道大和田一浩・大塚晶則・森慎二・礒部公一などがいる*17


1998年 中日ドラゴンズ

 順位    名前   守備位置   出身   
1福留孝介内野手*18日本生命
2岩瀬仁紀投手NTT東海
3小笠原孝投手明治大
4蔵本英智外野手名城大
5川添將大投手享栄高
6矢口哲朗投手大宮東高
7新井峰秀外野手高麗大(中退)

この年のドラフトは1968年・1989年と同じくNPB史上屈指の大豊作ドラフト(主な選手: 松坂大輔上原浩治藤川球児小林雅英・金城龍彦・新井貴浩など)として知られるが、中でも(1968年の阪急と同じく)後に名球会入りした選手を複数人獲得した中日の成功ぶりが際立っている。

3年前(1995年のドラフト)で7球団が競合し、最終的に抽選によって近鉄が交渉権を獲得した*19ものの、事前に「意中は中日か巨人」*20と宣言し入団拒否した福留*21と、小学校時代から大学・社会人まで一貫して愛知県でプレーしていた岩瀬*22をそれぞれ逆指名で獲得。

福留・岩瀬共にルーキーイヤーから新人王クラスの成績を残すと*23、前者は2007年オフにMLB挑戦のためFA宣言して中日を退団するまでに首位打者2回*24・リーグMVPを1回獲得したほか、広いナゴヤドームを本拠地としながらシーズン30本塁打以上を2回にわたり記録
後者も2003年までは不動のセットアッパー*25として、2004年以降は不動の守護神*26として中日投手陣を牽引。2人とも後に名球会入りを果たした

また逆指名の2人ほどの活躍ではないが、小笠原も不安定な面はありながら先発ローテの一員として(時に予想外の活躍もあった)、(蔵本)英智も打撃は非力ながら強肩・俊足を武器に代走や守備固めのスペシャリストとして、それぞれ度々チームの勝利に貢献。
2000年代中頃~2011年まで(落合博満監督時代)の中日の黄金時代の原動力となったドラフトと言え、川上憲伸(逆指名1位)・正津英志*27(3位)・井端弘和(5位)といった好選手たちを獲得した前年(1997年)のドラフト*28とともに、星野仙一監督や当時のスカウト陣の手腕が高く評価されている。


2000年 西武ライオンズ

 順位    名前   守備位置   出身   
1大沼幸二投手プリンスホテル
2三井浩二投手新日本製鐵広畑
3帆足和幸投手九州三菱自動車
4佐藤友亮外野手慶応義塾大
5中島裕之内野手伊丹北高
6野田浩輔捕手新日本製鐵君津
7水田圭介内野手プリンスホテル
8福井強投手プリンスホテル

この年に廃部となった西武傘下の社会人チーム・プリンスホテルから3人が指名されたドラフト*29
いわゆる「3位帆足だぁ!!」が勃発した年で、西武本スレでは指名当初に罵倒の嵐となったが、蓋を開けてみれば大正義と呼んで差し支えない豊作ドラフトとなった。詳しくは当該項目参照。


2001年 西武ライオンズ

 順位    名前   守備位置   出身   
自由枠細川亨捕手青森大
2中村剛也内野手大阪桐蔭高
4栗山巧外野手育英高
5竹内和也投手近江高
(自由獲得枠の使用により1・3位は選択権なし*30

指名自体はわずか3人と少数ながら、ドラフト前に自由枠で入団した細川を含めると、入団した4人中3人が第一線で活躍した少数精鋭ドラフトである。
正捕手に定着した細川は後にソフトバンクへFA移籍したが、その後も楽天、ロッテと計4球団を渡り歩きつつ2020年まで活躍。
中村・栗山の2名は共にライオンズ一筋で20年以上にわたってプレーを続け、「おかわり君」こと中村は本塁打王6回・打点王4回と複数回タイトルを獲得するなどNPBを代表するスラッガーに成長。栗山はリードオフマンかつチームリーダーとしてチームの勝利に貢献し続け、2021年にはライオンズの生え抜き選手として初の2000安打達成を果たした。ライオンズはFAによる主力選手の流出が多い球団であるが、この2人は長年の貢献に加えてFA権を行使した上で残留を表明(=生涯ライオンズ宣言)した背景もあり、球団から「真獅子の骨と牙」というキャッチフレーズを与えられている。


2006年 東北楽天ゴールデンイーグルス

 順位    名前   守備位置   出身   
高校1田中将大投手駒大苫小牧高
高校3山本大明捕手尾山台高
大社1永井怜投手東洋大
大社3嶋基宏捕手国学院大
大社4横川史学外野手青山学院大
大社5渡辺直人内野手三菱ふそう川崎
育成1金森久朋投手西多摩クラブ
育成2中村真人外野手シダックス
(制度上、本指名2巡目は選択権なし*31

2005年とこの年は高校生と大学生・社会人の指名権が分かれたいわゆる分離ドラフトが試験的に導入されていたが、その中で際立った成功を収めたのが2006年の楽天である。
何といっても、4球団競合で獲得した田中が高卒1年目から11勝をマークするなど大活躍。スター揃いのハンカチ世代の筆頭として楽天のエースに君臨し、2013年には無傷の24勝という驚異的な成績を残して球団を史上初のリーグ優勝と日本一に導いた。その後はMLBでもプレーし、巨人移籍後の2025年には日米通算200勝を達成、名球会入りを果たした。
また大学生・社会人でも永井・嶋・渡辺と後に球団を支える選手を複数獲得。永井は2度の2桁勝利を達成するなどローテを支え、とりわけキャリアハイの2009年にはチーム初のAクラス入り(2位)を大きく後押しした。嶋はルーキーイヤーから正捕手に定着すると、田中・永井・岩隈・則本といった平成の楽天エース陣を女房役としてリード。優れた人格でも知られ、東日本大震災後に発した名フレーズ「見せましょう、野球の底力を」は現在に至るまで語り継がれている。
渡辺も小技を武器にショートのレギュラーに定着し、同じく2009年の2位躍進に貢献。チーム事情もあり2011年に横浜へトレード移籍となるが、その後DeNA→西武を経て楽天に復帰。非常に厚い人望で知られ、引退後も要職を歴任した。
このほか、育成2位から支配下登録を勝ち取った中村も短期間ながらも外野のレギュラーに定着しており、発足直後で寄せ集め状態だった楽天にとってはプロ野球球団として飛躍する礎を作ったドラフトとなった。


2010年 福岡ソフトバンクホークス

 順位    名前   守備位置   出身   
1山下斐紹*32捕手習志野高
2柳田悠岐外野手広島経済大
3南貴樹投手浦和学院高
4星野大地投手岡山東商高
5坂田将人投手祐誠高
育成1安田圭佑外野手四国IL・高知
育成2中原大樹内野手鹿児島城西高
育成3伊藤大智郎投手誉高
育成4千賀滉大投手蒲郡高
育成5牧原大成内野手城北高
育成6甲斐拓也捕手楊志館高

育成最下位からの3人が日本代表メンバーにまで成り上がった激レアドラフト。別名「育成大正義ドラフト」とも。
千賀はエースとして後に育成出身選手初のノーヒットノーランやメジャー移籍を果たし、牧原は打力が光るユーティリティープレイヤーとして育成出身選手初の首位打者を獲得、甲斐は強肩が光る正捕手として長年にわたり活躍。全員が一軍の主力として2010年代以降のソフトバンク黄金期を築き上げたほか、日本代表にも選出された。
育成指名とは即ち「本指名で指名されるレベルではない選手」ということであり、戦力となる可能性は本指名選手より圧倒的に低い。そのため育成ドラフトについては、1人でも支配下登録されて一軍の試合に出られただけでも大成功と言われる。したがって育成ドラフト出身の日本代表を3人も輩出したこの年はまごうことなき大成功であり、スカウトの眼力が光ったドラフトだと言える。
一方で、本指名でまともな戦力になったのは2位の柳田のみであった*33が、その柳田も走攻守に優れた5ツールプレイヤーとしてホークスの看板選手に成長し、首位打者、最高出塁率、MVPを複数回獲得し、代表入りも経験。ドラフト全体で見ても、日本代表のエース・正捕手・主砲・ユーティリティプレーヤーを輩出した大正義ドラフトとなった。




2020年 阪神タイガース

 順位    名前   守備位置   出身   
1佐藤輝明内野手近畿大
2伊藤将司投手JR東日本
3佐藤蓮投手上武大
4榮枝裕貴捕手立命館大
5村上頌樹投手東洋大
6中野拓夢内野手三菱自動車岡崎
7髙寺望夢内野手上田西高
8石井大智投手四国IL・高知
育成1岩田将貴投手九州産業大

この年は山下舜平大(福岡大附属大濠高→オリックス)、伊藤大海(苫小牧駒澤大→日本ハム)、栗林良吏(トヨタ自動車→広島)、髙橋宏斗(中京大附属中京高→中日)などドラフト1位だけでもタイトルクラスの活躍をした選手が複数いる大豊作ドラフトとなったが、中でも阪神は近年最高クラスと言えるほどの成功を収めている。
佐藤輝は和製大砲、伊藤は技巧派のサウスポー、中野は俊足巧打の二遊間としてルーキーイヤーから一軍に定着し、3人揃って新人特別賞を獲得*34
初年度から盗塁王に輝いた中野は2023年に最多安打も受賞、佐藤輝は2025年に本塁打王・打点王・MVPを受賞するなど、ほぼ毎年タイトル争いに絡む活躍を見せている。
加えて2023年には村上・石井も覚醒し、村上は同年に最優秀防御率、さらにセ・リーグ初となる新人王・MVPの同時受賞を達成。阪神はこのドラフトで新人王クラスの選手を4人獲得したこととなった。
石井も同年を起点にリリーバーとして年々成長を遂げ、2025年には世界新記録となる50試合連続無失点を記録した。
上記5人とも、好不調の波はあるものの負傷離脱が少なく主力を長く張り続け、2020年代阪神のAクラス常連入りや2度のリーグ優勝、38年ぶりの日本一に大きく貢献した。


関連項目



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*1 翌年シーズン中に入団。
*2 慶応義塾大に進学。
*3 日本石油に入社。
*4 青山学院大に進学。
*5 翌年シーズン中に入団。
*6 大倉工業に入社。1970年のドラフト会議で中日から4位指名を受け入団。
*7 日本大に進学。
*8 明治大に進学。
*9 その後1989年にトレードでオリックス入りしたため、21年越しに入団が実現。
*10 福本本人によると人生初の柵越えホームランであったという。
*11 現在と比べて指名人数が多いのも上位指名選手の入団拒否に備えた保険の意味合いがあると思われ、上位である程度の入団が決まると下位は交渉打ち切りや交渉そのものが無かったケースもあった模様。実際に後にヤクルトで活躍した松岡弘は当時のサンケイからドラフト5位で指名されたものの上記の理由で一度は獲得を見送られ、その後の社会人野球での活躍を評価されて一転して入団が決まった事例がある。
*12 なおドラフト外入団は有望な選手を進学や就職を理由にドラフト指名を回避させ、ドラフト外で入団させる「囲い込み」が横行したため、練習生制度(現在でいう育成選手制度)と共に廃止された。なお練習生制度を経由してプロ入りした選手として伊東勤松永浩美ら、ドラフト外でプロ入りした選手には大野豊秋山幸二石井忠徳(琢朗)などがいる。
*13 「球界の寝業師」と呼ばれた当時の福岡ダイエーホークス代表取締役専務・根本陸夫が由来。現在のGM職を指す編成責任者としての手腕は確かなものだが、選手獲得のためには囲い込み工作や法外な裏金調達などの常套手段も辞さなかったために批判も多い。また、在籍した西武とダイエーを常勝軍団へと生まれ変わらせたその陰には根本の権謀術数だけではなくそれぞれの親会社の豊富な資金力もあった。
*14 当時の逆指名制ドラフトにおいては巨額の裏金譲渡が横行しており、同じく井口獲得を目指していた巨人と並んでダイエーもそれが顕著だったと言われている。実際、2000年に山田秋親に裏金付き契約金6億5000万円を提示することで争奪戦を制したことが後になって暴露された。
*15 2002年まで硬式野球部が存在し何人かプロ選手を輩出した。ローソンの当時の親会社がダイエーなので、いわゆる囲い込みである。囲い込みは根本が得意としたことの一つで、西武時代にもプリンスホテル(2000年廃部)に野球部を作り、同様の囲い込みを行っていた。他にも、有望な高校生を九州共立大に進学させる囲い込みもあった(高校生は逆指名の対象ではなかったため)。
*16 当時のオリンピックにおける野球はアマチュア選手しか参加できず、プロ選手も参加可能となったのは翌大会のシドニー五輪(2000年)からである。
*17 ただし高卒・大卒が不作だったわけではなく、今岡誠岩村明憲黒田博樹森野将彦らがいる。
*18 長く外野手として活躍した選手だが、プロ入り当初は主に遊撃を守っていた。
*19 この時、当たりクジを引いた当時の近鉄監督・佐々木恭介が「ヨッシャー!」と絶叫したことで知られる。結局福留は事前の表明通り入団拒否したものの、2002年の大ブレイクは同年から中日の打撃コーチに就任した佐々木による打撃フォーム改造指導(および山田久志監督による外野コンバート)の賜物とされており、今でも佐々木を慕っている。
*20 福留は少年時代、地元の鹿児島県大崎町に近い宮崎県串間市で行われていた中日の春季キャンプを頻繁に見に行っていたが、その際に若手だった立浪和義からグラブやバットなどをもらったことが縁で立浪に憧れ、彼と同じPL学園高校に進学していた。また、当時はセ・パ両リーグの格差が現代以上に大きく、田舎では巨人戦(及び巨人が所属するセ・リーグの試合)程度しかテレビ中継されていなかった。九州とはいえ、福留がPL学園に入団する前(1992年まで)のダイエーはまだ福岡に移転してきたばかりで弱く、鹿児島~福岡間の交通の便も現代ほど良くなかった(九州新幹線は未開業)のである。このこともあって、福留は「(立浪のいる)中日か、(地元でテレビに映る機会が多い)巨人以外なら日本生命に進む」と宣言していた。
*21 当然、中日や巨人も指名していた。その後は両者共に外れ1位で原俊介(捕手・東海大相模高)を指名するも、競合で逃した中日は、その外れで後の正二塁手となる荒木雅博を指名した。さらには2位(逆指名)で門倉健を、4位で渡辺博幸を指名しており、こちらも十分当たりドラフトである(逆に原俊介は致命的な守備難が災いし大成しなかったが、巨人は2位で仁志敏久、3位で清水隆行を指名しておりこちらも当たりドラフトと言える)。なお、中日は2位を門倉、3位を捕手の藤井優志で決めていたため、福留や原をクジで当てていた場合、荒木は4位指名以降でなければ獲れなかった。
*22 星野監督がスカウト陣に対し「地元の逸材を見逃したら許さない」と発破をかけていたところ、当時スカウトを務めていた近藤真市(岩瀬の代名詞である背番号13はかつて彼が着用していた)が「4回くらいまでいい投球をするピッチャーはいます」と岩瀬を推薦。星野は「1イニングでもしっかり抑えられれば十分」と岩瀬の獲得を決断した。
*23 福留は主に遊撃手として132試合に出場して.284、16本塁打、52打点。岩瀬はリリーフとして65試合登板(リーグ最多登板)、10勝2敗1S、防御率1.57。なお新人王は20勝4敗、防御率2.09(最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞)を記録した上原。
*24 2002年と2006年。
*25 当時は宣銅烈(1999)、エディ・ギャラード(2000-2003途中)、大塚晶則(2003途中-終了)が抑えを務めていた。
*26 2022年現在でNPB史上最多の407セーブ(2位の高津臣吾からも100セーブ以上の差をつけている)をマークした。
*27 NTT北陸からドラフト3位で中日に入団(1998-2004)→西武(2005-2009)。1998年は新人王こそ同僚の川上に奪われたものの、入団から4年連続で40試合以上に登板し、「その活躍は新人王級」と高く評価されていた。優勝した1999年には岩瀬や前田幸長、中山裕章、落合英二、サムソン・リーとともに、守護神の宣につなぐ強力中継ぎ陣を形成した。
*28 またこの3人以外にも、1999年に二番手捕手を担いその後も息長く活躍した鈴木郁洋(→近鉄・オリックス)を4位で、2004・2006年のリーグ優勝時に代打の切り札として活躍した高橋光信(→阪神)を6位で獲得している。
*29 それによる特例措置により、7位・水田と8位・福井は高卒社会人2年目で指名されている。
*30 同年のドラフトから、大学生・社会人の選手を計2名までドラフト会議前に獲得できる自由獲得枠制度(かつての逆指名制度)が導入。これによる戦力の集中を防止するため、自由枠を使用した球団は第1・3巡目の指名権(2名分使用した場合は加えて第2巡目も)が無くなるという形が採られた。その後、入団前の金銭授受など不正の温床になるとの懸念から、2004年には枠が1名分に縮小され希望入団枠制度に改称されたものの、根本的な解決には至らず、その西武が引き起こした木村雄太らを巡る裏金問題が元で2006年を最後に廃止されている。
*31 高校生の2巡目は、大学生・社会人の希望枠を事前に行使していた場合指名権がなくなる。ただし楽天の場合は岸孝之・木村雄太・森福允彦らの獲得を狙うも合意に至った選手はおらず、枠だけを消費する結果に終わっていた。また、大学生・社会人の2巡目指名は高校生の1巡目指名をしなかった球団のみ可能であった。
*32 斎藤佑樹(早稲田大→日本ハム)の外れ1位。
*33 1位の山下も3球団を渡り歩き2022年までプレーした息の長い選手ではあったが、チームメイトとの確執や引退後のやらかしもあり、ファンからは黒歴史扱いである。
*34 新人王は上記の栗林。