指名・入団した選手において、目覚ましく活躍した選手が多いドラフトのこと。
【目次】 |
概要 
ドラフト会議で指名できる選手のレベルは各年でまちまちであり、不作の年もあれば豊作の年もある。
その中の大豊作の年において、ドラフト戦略が成功すれば一軍で活躍できる選手を何人も獲得できる可能性がある。後に指名した選手の成績を振り返って一流クラスの成績を残した選手が多いドラフトを「大正義ドラフト」と言うようになった。
明確な判断基準は無いが、長期に渡ってレギュラークラスの成績を残すことができた選手が3人以上、または育成から支配下登録され一軍出場を果たした選手がより多くいれば大正義ドラフトと言えるだろう。
大正義ドラフトの例 
名球会入会者は赤字で記する。「契約状況」欄は入団拒否の選手が同期に存在しない場合省略。
1968年 阪急ブレーブス 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 | 契約状況 |
---|---|---|---|---|
1 | 山田久志 | 投手 | 富士製鐵釜石*1 | 入団*2 |
2 | 加藤秀司 | 内野手 | 松下電器*3 | 入団 |
3 | 長谷部優 | 投手 | 岸和田高 | 拒否*4 |
4 | 柳橋明 | 投手 | 日大山形高 | 拒否*5 |
5 | 新井良夫 | 投手 | 埼玉・大宮高 | 入団 |
6 | 島崎基慈 | 内野手 | 大分商業高 | 入団 |
7 | 福本豊 | 外野手 | 松下電器 | 入団 |
8 | 柿本進 | 内野手 | 和歌山・星林高 | 拒否*6 |
9 | 切通猛 | 外野手 | 東芝 | 入団*7 |
10 | 三好行夫 | 内野手 | 日本鉱業*8佐賀関 | 拒否 |
11 | 村上義則 | 投手 | 香川・小豆島高 | 拒否*9 |
12 | 門田博光 | 外野手 | クラレ岡山 | 拒否 |
13 | 石井清一郎 | 外野手 | 大宮工業高 | 入団 |
14 | 鈴木博 | 投手 | 栃木・小山高 | 拒否*10 |
15 | 坂出直 | 投手 | 鳥取・倉吉東高 | 拒否*11 |
大正義ドラフトの代表例でよく挙げられる。1位山田、2位加藤、7位福本の3人が長きに渡り主力として活躍し、いずれも後に名球会入りを果たした。
入団拒否されたものの、12位指名の門田もこの翌年に南海ホークス入団*12。歴代3位となる通算本塁打数と通算打点数の成績を残して名球会入りを果たしたため、このドラフトでは実に4人の名球会入会者がいたことになる。
この年は投打ともに大豊作の年であり、他球団を見ても星野仙一・山本浩二・田淵幸一・大島康徳・有藤通世・東尾修などがプロ入りをしている。
なお、入団拒否者が多いのは当時のプロ野球選手が現在ほど安定した職業とは言えなかったためであり、どの球団でも入団拒否者が多かった*13*14。
拒否者が多すぎて戦力補強にならない球団もあったため、救済策として1990年まではドラフト指名されなかった選手をドラフト後に入団させることができるドラフト外入団が認められていた*15。
1989年 近鉄バファローズ 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
1 | 野茂英雄 | 投手 | 新日本製鐵堺 |
2 | 畑山俊二 | 外野手 | 住友金属 |
3 | 石井浩郎 | 内野手 | プリンスホテル |
4 | 藤立次郎 | 外野手 | 天理高 |
5 | 平江巌 | 外野手 | 成章高 |
6 | 入来智 | 投手 | 三菱自動車水島 |
同年のドラフトは開催前こそ「近年にない不作」と言われていたが、蓋を開けてみれば巨人とダイエーの2球団を除くほとんどの球団が後の主力選手を引き当て、後世では前述の1968年・後述の1998年とともに大成功ドラフトとして語り継がれている(主な選手:佐々岡真司、与田剛、潮崎哲也、小宮山悟、佐々木主浩、古田敦也、前田智徳、新庄剛志、岩本勉、井上一樹など)。
その中でも特筆すべきは、投打の主力を一挙に獲得することに成功した近鉄であろう。
1位では同年のドラフト最大の目玉選手として注目されていた野茂を8球団競合*16の末に引き当てたが、その野茂は新人年に早くも18勝8敗、防御率2.91、287奪三振という驚異的な成績で投手三冠を総なめにし、パ・リーグの投手としては初となる沢村賞を受賞*17。
同年から1993年まで4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得し、1994年までの在籍5年間で78勝・1204奪三振(年平均15.6勝・240.8奪三振)を記録すると、1995年には日本人として村上雅則以来2人目のメジャーリーガーとしてドジャースに入団、アジア人史上初のMLB新人王受賞、ノーヒットノーランを達成するなど海の向こうでも活躍を続け、日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在となった。
そんな野茂1人だけでも十分すぎるレベルの成功と言って良いのだが、もう1人特に成功と言えるのが3位の石井浩郎である。
こちらも新人年に22本塁打を記録すると1994年まで5年連続で20本塁打以上を記録したが、そのハイライトというべく1994年シーズンは打率.316、33本塁打、111打点を記録し、打点王のタイトルを獲得。
同時期に在籍していたラルフ・ブライアントとともに「いてまえ打線」のクリーンアップを担い、他球団の投手陣を恐れさせた。
この他にも4位で「左殺し」と恐れられた藤立次郎を、6位で先発・リリーフとフル回転した入来智をそれぞれ獲得しており、それらを踏まえても十分成功と言える。
一方で野茂は1994年オフに当時の鈴木啓示監督との確執の末に退団。石井も1995年以降は故障から満足に働けなかったことと高額年俸がネックとなって1996年オフに吉岡雄二・石毛博史とのトレードで巨人へ放出されるなど、指名選手全員がリーグ優勝の2001年より前に退団しており、他の大正義ドラフトと比べると戦力となった期間は短い。
しかし石井のトレード相手の1人である吉岡が伸び悩んでいた巨人時代から一転して開花し、タフィ・ローズや中村紀洋とともに次世代の「いてまえ打線」の主軸として活躍したことを考えれば、このドラフトで石井を獲得したことによる恩恵は球団消滅前年の2003年まで14年間続いていたと言える*18。
1991年 オリックス・ブルーウェーブ 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
1 | 田口壮 | 内野手 | 関西学院大 |
2 | 萩原淳 | 内野手*19 | 東海大甲府高 |
3 | 本東洋 | 投手 | 三菱重工長崎 |
4 | 鈴木一朗 (イチロー) | 外野手 | 愛工大名電高 |
5 | 北川晋 | 投手 | 浪速高 |
6 | 西芳弘 | 外野手 | 石川・寺井高 |
7 | 山本大貴 | 投手 | 阿部企業 |
この年も1989年同様に1位で斎藤隆・石井一久・落合英二・若田部健一・高村祐、2位以下でも桧山進次郎・河本育之・三浦大輔・浜名千広・田畑一也・片岡篤史・中村紀洋・金本知憲と、ドラフト全体を見渡しても歴代屈指の大豊作ドラフトとなったが、とりわけオリックスの大成功振りが他と比べても圧倒的に抜きん出ている。
なにしろ日本人大リーガーを2人輩出したドラフトであり、これだけでも十分大当たりと言えるのだが、このドラフトを大正義たらしめる最大の所以は何と言っても4位・鈴木であろう。
NPBで首位打者7回・最多安打5回、MLBでも首位打者を2回獲得するなど、日本屈指どころか世界でもっとも著名な野球選手の一角まで上り詰めた、説明不要の超大物である。
1位の田口も巧打堅守を武器に外野のレギュラーとして長らくオリックスを牽引した後に海を渡り、2006年のカージナルスと2008年のフィリーズの計二度にわたりワールドシリーズを制覇した。
この2人以外では2位の萩原が2000年の投手転向後からの10年間だけで30試合登板6度を含む270試合を投げ、19年間という息の長い現役生活を送った。
この3人だけで下手なドラフト数年分に匹敵する大成功ドラフトといえるだろう。
1996年 福岡ダイエーホークス 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
1 | 井口忠仁*20 | 内野手 | 青山学院大 |
2 | 松中信彦 | 内野手 | 新日本製鐵君津*21 |
3 | 柴原洋 | 外野手 | 九州共立大 |
4 | 倉野信次 | 投手 | 青山学院大 |
5 | 岡本克道 | 投手 | 東芝 |
6 | 村上鉄也 | 投手 | 東北福祉大 |
7 | 新里紹也 | 内野手 | 沖縄電力 |
「根本マジック*22」「反則ドラフト」と呼ばれ、ドラフト1位級の野手を3人獲得する離れ業を達成した大正義ドラフト。
1位井口、2位松中を逆指名制度で獲得。3位柴原は当時中日が1位指名を公言するなど他球団も獲得を検討していたが、「ダイエー以外から指名された場合ローソン*23*24入社」を公言させ、他球団が指名を回避し見事3位で獲得。
井口は後にメジャー挑戦。日本復帰時はロッテに入団、引退までロッテで現役を全うしたが、ダイエー在籍中は盗塁王やシーズン100打点を記録するなど中軸として活躍。
松中は打撃タイトルを総なめし平成唯一の『三冠王』を獲得、2006年WBCで4番を務め世界一という大活躍。柴原も後に秋山幸二から背番号1を継ぎ外野手のレギュラーを長年にわたって務めた。
倉野と岡本も10年以上選手として在籍、一軍でもそれなりの成績を残すなど、ホークス黄金期の礎を作ったドラフトとも言える。
また倉野は引退後、ホークス投手コーチとして投手育成での貢献度が高いことを含めても獲得して成功だったと言えるだろう。
余談だが、この年はアトランタオリンピックが開催された後であり、前年ドラフトでは指名凍結されていた選手の指名が可能となったことで社会人チーム所属選手が豊作だった。
1998年 中日ドラゴンズ 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
1 | 福留孝介 | 内野手*25 | 日本生命 |
2 | 岩瀬仁紀 | 投手 | NTT東海*26 |
3 | 小笠原孝 | 投手 | 明治大 |
4 | 蔵本英智*27 | 外野手 | 名城大 |
5 | 川添將大 | 投手 | 享栄高 |
6 | 矢口哲朗 | 投手 | 大宮東高 |
7 | 新井峰秀 | 外野手 | 高麗大中退 |
この年のドラフトは1968年・1989年と同じく、NPB史上屈指の大豊作ドラフト(主な選手:松坂大輔・上原浩治・藤川球児など)として知られるが、中でも(1968年の阪急と同じく)後に名球会入りした選手を複数人獲得した中日の成功ぶりが際立っている。
3年前(1995年のドラフト)で7球団が競合し、最終的に抽選によって近鉄が交渉権を獲得した*28ものの、事前に「意中は中日か巨人」*29と宣言し入団拒否した福留*30と、小学校時代から大学・社会人まで一貫して愛知県でプレーしていた岩瀬*31をそれぞれ逆指名で獲得。
福留・岩瀬共にルーキーイヤーから新人王クラスの成績を残すと*32、前者は2007年オフにMLB挑戦のためFA宣言して中日を退団するまでに首位打者2回*33・リーグMVPを1回獲得したほか、広いナゴヤドームを本拠地としながらシーズン30本塁打以上を2回にわたり記録。
後者も2003年までは不動のセットアッパー*34として、2004年以降は不動の守護神*35として中日投手陣を牽引。2人とも後に名球会入りを果たした。
また逆指名の2人ほどの活躍ではないが、小笠原も不安定な面はありながら先発ローテの一員として(時に予想外の活躍もあった)、(蔵本)英智も打撃は非力ながら強肩・俊足を武器に代走や守備固めのスペシャリストとして、それぞれ度々チームの勝利に貢献。
2000年代中頃~2011年まで(落合博満監督時代)の中日の黄金時代の原動力となったドラフトと言え、川上憲伸(逆指名1位)・正津英志*36(3位)・井端弘和(5位)といった好選手たちを獲得した前年(1997年)のドラフト*37とともに、星野仙一監督や当時のスカウト陣の手腕が高く評価されている。
2000年 西武ライオンズ 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
1 | 大沼幸二 | 投手 | プリンスホテル |
2 | 三井浩二 | 投手 | 新日本製鐵広畑 |
3 | 帆足和幸 | 投手 | 九州三菱自動車*38 |
4 | 佐藤友亮 | 外野手 | 慶応義塾大 |
5 | 中島裕之 | 内野手 | 伊丹北高 |
6 | 野田浩輔 | 捕手 | 新日本製鐵君津 |
7 | 水田圭介 | 内野手 | プリンスホテル |
8 | 福井強 | 投手 | プリンスホテル |
(1位・大沼と2位・三井は逆指名制度を適用しての指名) |
この年に廃部となった西武傘下の社会人チーム・プリンスホテルから3人が指名されたドラフト*39。
いわゆる「3位帆足だぁ!!」が勃発した年で、西武本スレでは指名当初に罵倒の嵐となったが、蓋を開けてみれば大正義と呼んで差し支えない豊作ドラフトとなった。詳しくは当該項目参照。
2001年 西武ライオンズ 
指名自体はわずか3人と少数ながら、ドラフト前に『自由獲得枠制度』で入団した細川を含めると、入団した4人中3人が第一線で活躍した*41少数精鋭ドラフト。
正捕手に定着した細川は後にソフトバンクへFA移籍したが、その後も楽天、ロッテと計4球団を渡り歩きつつ2020年まで活躍。
中村・栗山の2名は共にライオンズ一筋で22年間プレーを続け、「おかわり君」こと中村は本塁打王6回・打点王4回と複数回タイトルを獲得するなどNPBを代表するスラッガーに成長。栗山はリードオフマンかつチームリーダーとしてチームの勝利に貢献し続け、2021年には所沢移籍後のライオンズの生え抜き選手として初の2000安打達成を果たした。さらに両者ともFA権を行使した上で残留を表明(=生涯ライオンズ宣言)した背景もあり、球団からは「真獅子の骨と牙」というキャッチフレーズを与えられている。
2010年 福岡ソフトバンクホークス(育成大正義ドラフト) 
順位 | 名前 | 守備位置 | 出身 |
---|---|---|---|
育成1 | 安田圭佑 | 外野手 | 四国リーグ・高知 |
育成2 | 中原大樹 | 内野手 | 鹿児島城西高 |
育成3 | 伊藤大智郎 | 投手 | 愛知・誉高 |
育成4 | 千賀滉大 | 投手 | 愛知・蒲郡高 |
育成5 | 牧原大成 | 内野手 | 熊本・城北高 |
育成6 | 甲斐拓也 | 捕手 | 大分・楊志館高 |
育成最下位からの3人が日本代表メンバーにまで成り上がった激レアドラフト。
千賀はエースとして後に育成出身選手初のノーヒットノーランやメジャー移籍を果たし、牧原は走攻守揃うユーティリティプレーヤー、甲斐は強肩が光る正捕手となり全員一軍の主力としてホークス日本一に貢献し日本代表に選出された。
育成指名とは即ち“本指名で指名されるレベルではない選手”ということであり、戦力となる可能性は本指名選手より圧倒的に低い。そのため育成ドラフトで何人指名しようが、1人でも支配下登録されて一軍の試合に出られただけでも十分成功と言われる。千賀、甲斐、牧原の場合は育成ドラフト出身の日本代表を3人も輩出した大成功と言うべきドラフトであり、スカウトの眼力が光ったドラフトと言えよう*42。
ちなみにこの年の本指名でも柳田悠岐を2位で指名しており、ドラフト全体を見ても日本代表のエース・正捕手・主砲・ユーティリティプレーヤーを輩出する大正義ドラフトとなった。