思い出しました

Last-modified: 2023-07-14 (金) 11:34:04

2013年6月5日の読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)において、当時巨人に在籍していた小笠原道大が放った台詞。

概要

当時の小笠原は年齢による打力の衰えや統一球の導入といった影響からか成績を急激に落としており、特に2012年は本塁打0という不本意な結果に終わっていた。
翌2013年も序盤にケガをして出遅れた他、村田修一ホセ・ロペスジョン・ボウカーという強打者*1がそれぞれ三塁と一塁につき、小笠原は専ら代打起用だった。
そんな中交流戦が始まり、当日は澤村拓一吉川光夫の投手戦となり延長までもつれ込む。11回裏に日本ハムがクローザーの増井浩俊を投入すると、当日いいところのなかった坂本勇人阿部慎之助の連打で無死2・3塁となり、続く松本哲也に代えて小笠原が送られた。
増井は初球から直球主体*2で挑み、小笠原も食らいついてフルカウントに持ち込む。そして8球目のストレートを右翼席へと運び、自身2年ぶりとなる本塁打でサヨナラを決めた。

そして、直後のヒーローインタビューにて日本テレビ・平川健太郎アナウンサーに対して発した第一声が「思い出しました」である。
極度の打撃不振や久々の本塁打など様々な思いが入り交じったようで、少し沈黙した後の発言という事からなんJなどでも感動に包まれたのと同時に「北の侍、発見される」などネタにされた。

 

…が、なんJでは、この日実況を務めた蛯原哲アナウンサーが一連の流れで放った別の台詞のほうが悪い意味で有名となっている。

その後

しかしケガの影響などで再び忘れてしまったのか、月末に一軍登録抹消されるとシーズン終了まで昇格はなく日本シリーズ出場枠にも入れなかったため、同年オフにFA宣言*3中日ドラゴンズへと移籍。無事に思い出したのか、引退する2015年まで代打屋として勝負強さを見せた。


関連項目



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*1 いずれも当たりに当たっており、特にロペスは途中故障離脱もありながら、自前助っ人初の来日初年度でシーズン打率3割越えを達成している。またボウカーは同シーズンでそれまで出場した試合で、巨人は脅威の勝率を誇っていた。そのため「ボウカーの幸運力」ともネタにされた。
*2 変化球は1球のみ。
*3 実質的な戦力外だったが、本人の宣言行使と球団の配慮により公式にはFA移籍とされた。