成瀬飛翔

Last-modified: 2022-05-23 (月) 08:00:55

成瀬善久(千葉ロッテ→東京ヤクルト→オリックス→BC栃木)が本塁打を浴びた際に見られる書き込みのこと。転じて「投手の被本塁打」(=「一発病」、またこの言葉から転じて「飛翔癖」とも)を指す。


概要

成瀬の投球スタイルはロッテ時代から奪三振の多さと与四死球の少なさが特徴。2010年はチーム最多の13勝、防御率3.31と安定した成績を残し、エースとしてロッテの日本一に貢献した。
その一方で同年の被本塁打29はリーグワースト。11敗という黒星も、この「飛翔」が原因で負ける場面の多さを象徴している。
ちなみに2008年は12本(規定投球回到達者では最少)、翌2009年も14本(同2番目に少ない)と抑えていただけに、何故彼が突如「一発病」を発症したのかは未だ謎に包まれている。

 

翌2011年以降、成瀬の一発病が慢性化違反球時代の投高打低をものともせず、2012年には規定投球回到達者には被本塁打1桁の投手が多数いる中で21被本塁打と突出した数字を残し、貫禄を見せつけた。

2015年にヤクルトへFA移籍してからは、不振も重なりロッテ時代より投球回が大きく減少したものの、リーグが変わっても被本塁打数は上位をキープしていた*1

 

飛翔を見せる度にスレが立ち、スレの定期化のあまり「【成瀬】成瀬、成瀬」のタイトルでスレ立てされていた事も。


年度ごとのデータ

シーズン投球回被本塁打数被本塁打率
200678.160.69
2007173.1100.52
2008150.2120.72
2009153.2140.82
2010203.2291.28
2011189.2150.71
2012200.2210.94
201387131.34
2014142.2181.14
201579.1161.82
201672.1131.62
201716.242.16
201919.231.37
通算1567.21741.00

青字は規定投球回到達者でリーグトップを表す

派生

以前から、被本塁打の多い投手には「一発病」という代名詞が存在していた。
さらに「成瀬飛翔」が確立する前は川越英隆(元オリックス→ロッテ)に対しての蔑称があり、特に被本塁打が目立った2007年に「柵越」が誕生。当時の一発病投手の代名詞となった。
川越以前では斎藤隆(横浜時代)*2藪恵壹(阪神時代)*3らがいる。また横浜本拠地がホームランが出やすい球場なこともあり前述の斎藤以外にも「飛ぶピッチャー」こと吉見祐治三浦大輔川村丈夫*4、巨人キラーで有名だった土肥義弘*5、後身のDeNAでも先発時代の石田健大や今永昇太*6と、定期的に「花火師」を排出している。
また暗黒時代の阪神投手陣の飛翔癖も全体的に酷く1992年に甲子園球場のラッキーゾーンを撤去する一因となった。

余談

  • 2015年のドラフト会議でロッテに3巡目指名された成田翔(かける)は、2016年の正月に地元の新聞で「プロで大きく飛翔」と取り上げられたり、名前をもじって「成田飛翔」「成田空港」と呼ばれるなど最初こそ成瀬飛翔の派生ネタが見られたが、2年目以降は年数回の出場機会で特に結果も残せておらずネタ定着には至っていない。


関連項目


*1 なお、同年は79回1/3で16被本塁打を喫してリーグワースト2位タイにランクインした模様。
*2 1996年に196.2イニングで31被本塁打、1999年には184.2イニングで32被本塁打。特に松井秀喜からの被本塁打が目立ち「ハマの花火師」と揶揄された。
*3 こちらは勝負所で被弾するケースが非常に多いため「藪から棒球」と揶揄され一発病の代名詞だった。
*4 1997年から2000年まで4年連続20被本塁打を記録。バルビーノ・ガルベス(巨人)に満塁弾を被弾するなど相手が投手であっても飛翔しており、自身の引退試合でも自虐ネタに使われた。
*5 2桁勝利を挙げた2005年に164.2イニングで30被本塁打。
*6 2018年は84イニングで18被本塁打。