トニー・ミッチェル(元ダイエー)*1が起こした乱闘事件のこと。
トニー・ミッチェル
2000年オフ、ダイエーは長打力強化を図り2人の外国人選手を招聘。その内の一方がトニー・ミッチェルであった*2。
ミッチェルは典型的な当たれば飛ぶタイプの選手であり、ホームランはそこそこに打てたが打率は芳しくなく*3、夏場には不振に陥ったこともありこの年限りでの退団となった。
「水泳帽の悪魔」とは、そんな彼が悪い意味での大暴れを見せた事件の事である。
事件の概要
その事件が起きたのは2001年4月26日の対日本ハム戦(東京ドーム)、試合も終盤に差し掛かったところだった。日本ハムの救援投手、高橋憲幸の投球がミッチェルの肩を直撃。この死球でカッとなったミッチェルはヘルメットを投げつけて高橋を猛追し、両軍ベンチから選手が飛び出して大騒ぎになる。その最中、田中幸雄がミッチェルの足にしがみつき、ミッチェルの動きを封じた……かに思えた。
ところが、怒った金子誠がミッチェルを突き飛ばそうとしたところ、ミッチェルはその攻撃をかわし、カウンターで金子の顔面に豪快な右ストレートを見舞い、殴り倒す。地面にうずくまる金子を尻目に、これで完全にスイッチが入ったか、怒りのボルテージがMAXになったミッチェルは足に捕まる田中を振りほどいて高橋追跡を再開する。制止しようとする藤島誠剛と五十嵐信一コーチを振り払い、しがみついた井出竜也にパンチ3連打を浴びせてKO。さらに飛び蹴りを食らわせてきた原田政彦にも、逆に後頭部へパンチを浴びせて撃墜するなどの大暴れを見せた。のちにコーエーテクモの無双シリーズが有名になってから「ミッチェル無双」とも言われるようになった。
当然ミッチェルは退場処分を受け、後に3日間の出場停止となった。また、ミッチェルがヘルメットを投げ捨てた際に白色のインナーキャップ*4を被っていたのが見えたが、それを水泳帽と勘違いした人間が多く*5、これを由来に「水泳帽の悪魔」と呼ばれるようになった。
余談
- この試合には城島健司がダイエーの捕手として参加していたが、乱闘事件の際はトイレに行っており不在、ベンチに戻ったところで事態に気づいて衝撃を受けたという。
- デッドボールをミッチェルに当てた高橋はこの乱闘で負傷しなかったため乱闘後も続投したが、試合再開直後に井口資仁に再び死球を当て乱闘になりかけ、警告試合が宣告された。
- ミッチェルの従兄弟にメジャーの問題児の異名を持ち、1995年にダイエーでプレーし散々問題を起こしたケビン・ミッチェル*6がいる。獲得後まで誰もこれに気付かなかったこともあり、トニーも素行の悪さが懸念されたがトニー自身はケビンと違って球団と揉め事を起こしたことはない。
関連項目
- バーネットブチギレ
- 絶対に許さない。顔も見たくない
- スラガガー
- アダム・ダン率
- ド、ド、ドリスの大爆笑…NPB時代、黒のインナーキャップを帽子の下に被ってプレーしていた。
- 殺人野球