江夏の21球

Last-modified: 2024-04-12 (金) 12:16:55

1979年の近鉄バファローズ対広島東洋カープの日本シリーズ第7戦で、広島・江夏豊が9回裏に投じた投球数及び投球内容のこと。また、それを題材に書かれた作家・山際淳司によるノンフィクション作品のタイトル。


概要

1点リードで迎えた9回、日本一決定を目前にヒットと連続四球で無死満塁のピンチを自ら招くが、無失点で切り抜けるという、今でも語られる名劇場の一つ。
佐々木恭介が三振し一死満塁となった場面で石渡茂の仕掛けたスクイズに咄嗟に反応した江夏がウエストボールを投げ打者を空振りさせ、スタートを切っていた三塁走者・藤瀬史朗*1をアウトにした19球目が特に有名。
1980年に文藝春秋のスポーツ雑誌「Number」の創刊号に掲載されて大きな反響を呼び、ドキュメント番組も制作されたことから、該当シーンを指して呼ばれるようになった。

以降、1995年日本シリーズにおける「小林の14球*2」、2011年日本シリーズの「森福の11球」など劇的な場面を凌いだケースにおいて擬えて使用される。
なんJでは投手がネタ方面で強い印象を残した際に「○○(投手名)の△△球(投球数)」と命名される傾向がある。

なお、本件はプロ野球史上屈指の名シーンとされる一方、上記の通り完全な自作自演による劇場であることからこの江夏の投球に関しては評価しない層も存在する。
また、誤解されがちであるが当該試合での江夏は9回裏ではなく7回裏2アウトから登板している*3

派生形の例

個別ページがある例のみ記載。


余談

広島はこの年が球団史上初の日本一だった*4
逆に近鉄は球団初の日本一になるチャンスを逃し、以降も3度(1980年、1989年、2001年)の日本シリーズで全て敗退。そして2004年の球界再編問題でオリックスに吸収合併され、日本一になれないまま消滅した。


江夏の52g

1993年3月2日、江夏は覚せい剤52gの所持容疑で現行犯逮捕される。1gですら大量と言われるものなので、使用目的ではなく販売目的であると見なされ、懲役2年4か月の実刑判決となった*5
近年でも薬物事件が出る度に比較対象に挙げられるが、その圧倒的な実績から「格が違う」という扱いを受けている。
また江夏は「黒い霧事件」の際にも反社会的勢力との交流が原因で1973年に戒告を受けている。

外部リンク


関連項目


*1 安打で出塁した羽田耕一の代走。
*2 小林宏vsトーマス・オマリーの対決の事で、この例では満塁ではない。
*3 この当時は抑え投手は8回以前からイニングを跨いで登板するのが普通であり、同点での登板も珍しくなかった。現在のようにクローザーがリードした9回(または延長回)1イニング限定で登板することが一般的になったのは2000年前後である。
*4 翌年も近鉄との対戦となったが再び破って連覇。セ・リーグ球団のシリーズ連覇は2022年現在これが最後である。
*5 ただし本人は不摂生な生活で身体が弱っていたのが服役中の規則正しい生活の末に健康状態が劇的に改善されており(江夏本人も「もしあの時捕まってなかったら、自分は今頃もう死んでいたかもしれない」と述懐している)、結果論ではあるがこれでよかったと言える。