前埼玉西武ライオンズ球団本部長、現在は日本経済大学野球部コーチを務める鈴木葉留彦(旧名・鈴木治彦)の蔑称。
元々は1979年の改名後から用いられた愛称であるが後述の経緯から蔑称に転じた*1。
概要
鈴木は1973年ドラフトで太平洋クラブから3位指名を受け入団し、太平洋・クラウンライター・西武とライオンズ一筋で過ごした巧打の一塁手であった。1984年に現役を退いたあともライオンズで打撃コーチ、二軍監督などを務め2004年からフロント入りした。
しかし特に2000年代後半以降、西武はフロント(それも契約交渉に参加できる程度の重役)の失言を取り沙汰されたり、他球団と比べても明らかに主力選手の流失が多い*2と言われたりすることが増えていた。こうした中、元選手で知名度がありかつ畜生ぎみの言動が見られる*3鈴木に対して「選手に不用意な発言をしている」として批判が強まっていた*4。
特に近年の例では、2017年オフに巨人にFA移籍した野上亮磨の「他球団の評価を聞きたい」という発言に対して「お前なんか評価する球団はない」と(名前こそ明かされないが)球団幹部が発言したとされており、これが鈴木の発言として非難されていた*5。
また、当時中日のコーチだった辻発彦との次期監督としての交渉を東京スポーツと日刊スポーツにすっぱ抜かれるというやらかしもしており、辻が露骨に不機嫌な態度をとってファンを不安にさせるなど叩けばいくらでも出る始末であった。
野上流出確定wwwwwwwwww
1: 風吹けば名無し 2017/11/20(月) 23:03:53.23
ID:DLa21JCq0HAPPY
野上は本当はライオンズに残りたかった
あと1000万プラスして3年契約なら残っていたところ
フロントのある人に自分の力がどれくらい評価されるか見てみたいと言ったら
お前なんか評価する球団がないと言われ、その言葉にカチンと来て出るといった
と、コーチが言っていた
ソース
http://radiko.jp/share/?t=20171120114040&sid=QRR&noreload=1 *6
また、同年FA行使を検討していた炭谷銀仁朗の交渉に関しては、1回目の交渉で不満を抱いた炭谷を2回目の交渉で登場した渡辺久信シニアディレクター(SD)が上手く慰留し、FA権不行使の残留に持っていったことが記事になっている。こちらも1回目の交渉で鈴木の対応に問題があったのでは、と推測するなんJ民が多かった。なお、森友哉の台頭もあって、結局翌年オフに炭谷はFA権を行使し巨人へ移籍。森が台頭して炭谷に正捕手待遇を確約できないこともあり、主力だった割には移籍に関してはそこまでヘイトは無かった。
ただし、こうした幹部の発言が鈴木のものであると断定できるソースはこれまで出てきておらず、あくまでネット上でのレッテル貼りに過ぎないことには留意すべきであろう。
なお元監督である渡辺も前述の通りSDとしてフロント入りしたが、監督時代から選手のよき兄貴分としてのエピソードが多かったためこちらに批判が向くことはあまりないようである。
退任後
2018年12月31日をもって、鈴木は任期満了により退任。渡辺久信SDが球団本部ゼネラルマネージャー(GM)に就任するとオフの様相が一変。
- 2019年
- 2020年
- 国内FA権を取得した増田達至と熊代聖人がFA権行使の上で宣言残留。また、米復帰を希望したリード・ギャレットを翻意の上で残留に成功させ、6年ぶりに戦力流出阻止を実現。
- 2021年
- 国内FA権を取得した岡田雅利がFA権行使の上で残留を表明した。
- 2022年
また過去の西武に関する記事が出る度に(リーグ2連覇なのもあるが)かつてブラック球団と言われる原因となっていた年俸・環境面の改善、2017年に親会社の株主だった米投資ファンド・サーベラス撤退*7以降本拠地周辺の老朽化した球団施設の改修が完了したこと、選手の待遇改善があったことを差し引いた上で「やっぱり葉っぱはクソだった」の意見が出てくる有り様であり、西武を去った今でも絶許認定は免れられず、2021年の野上引退の時などに改めて過去の言動を蒸し返されている。