10.19

Last-modified: 2020-07-05 (日) 13:48:46

1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズ*1対近鉄バファローズとのダブルヘッダー。

10.19に至るまでの経緯

1988年のパリーグは序盤から西武が独走していたが、終盤になって近鉄が追い上げてきた。
それでも、首位西武と2位近鉄の差は6ゲームだったため大勢は決まったかと思われた。
ところがここから近鉄が驚異の追い上げを見せ、9月末には1.5ゲーム差、10月半ばにはついに0.5ゲーム差まで追い詰めた。
そして16日西武は全日程を終了。近鉄は17日の阪急戦に敗れ、ゲームは1に広がり、近鉄が優勝するためには残り試合を全勝しなければならなかった。
翌日のロッテ戦は12-2で圧勝し、運命の日を迎えることになった。

試合当日

第1試合は15時に試合開始。
先発はロッテが小川博、近鉄が小野和義
初回にロッテは愛甲猛の2ランで先制。
近鉄は5回2アウトまで小川に抑え込まれるも鈴木貴久のソロホームランで1点差まで追い付く。しかしロッテは7回に佐藤健一のタイムリーで突き放す。
近鉄8回表にランナー2人を置いて村上隆行が2点タイムリーを放ち、試合を振り出しに戻す。
そして近鉄は9回に1アウト2塁の大チャンスを迎える。というのもダブルヘッダー1試合目は延長戦を行わないルールがあり、この回に勝ち越せなければ近鉄の勝利の可能性がなくなるため絶対に落とせないチャンスだった。
2塁ランナーが3塁をオーバーランしたため3本間に挟まれ2アウトになった。
近鉄の仰木彬監督は最後の望みとして代打に梨田昌孝を起用。
梨田はその起用に応える形で勝ち越しタイムリーを放ち、逆転に成功した。
9回裏のロッテの攻撃は抑えの吉井理人を登板。微妙なジャッジに冷静さを失ってしまう。近鉄ベンチはここで中1日で阿波野秀幸を登板させる。
阿波野は満塁のピンチを作るが、最後のバッターを三振に仕留め、近鉄は第1試合を勝利した。
第2試合は18時44分に試合開始。
先発はロッテが園川一美、近鉄が高柳出己。
2回にまたもロッテがビル・マドロックのソロで先制。
その後は膠着状態が続くも6回に近鉄がベン・オグリビー*2のタイムリーで同点に追い付く。続く7回は吹石徳一*3と真喜志康永の連続ホームランで勝ち越しに成功し、優勝への機運が一気に高まった。
ロッテも負けじと7回裏には岡部明一のホームラン、近鉄が高柳から吉井に交代すると西村徳文のタイムリーで同点に追い付く。
近鉄は8回にラルフ・ブライアントのソロで勝ち越し。悲願の優勝まで残り2イニングとなった所で阿波野に交代した。
しかしロッテの4番・高沢秀昭に決め玉であるスクリューボールを強振されソロホームランで同点に追い付かれる。
その後近鉄は9回2アウトから大石大二郎が2ベースを放ち、新井宏昌の放った打球は鋭く抜けて行ったかに見えたがサード水上善雄のファインプレーに阻まれ無得点に終わる。
9回裏にも阿波野が登板したが、動揺したのか先頭バッターの出塁を許し、続くバッターの送りバントをまさかの梨田とお見合いしてしまい、オールセーフとなり絶体絶命の危機に陥る。
ノーアウト1、2塁で阿波野は2塁へ牽制球を投げるが、投げた球が高く浮いたため2塁の大石がジャンプして捕球。着地した時にランナーの古川慎一と交錯し、その勢いで古川の足がベースから離れ、大石の球は持ったグラブは古川に触れていた。
それを見た審判は古川にアウトを宣告した。
直後にロッテの有藤通世監督が大石の走塁妨害ではないかと抗議したために試合が止まる。
この展開で近鉄はかなり不利な状況に追い込まれてしまった。
ダブルヘッダー第2試合のルールとして「延長戦は12回まで。ただし試合開始から4時間を経過した場合は新しいイニングに入らない」というルールがあったので抗議が長引くほど時間が経過してしまう。
そのため有藤監督は近鉄ファンから帰れコールが巻き起こり、球場は騒然。
ついに仰木監督が介入するも中々終わらずに結局抗議が終わるのに1イニングと同等の9分もかかってしまった。
この試合の4時間経過時刻は22時44分、抗議が終わったのは22時20分だった。
試合再開後、阿波野はまたもロッテに攻め込まれ満塁のピンチを迎えるもレフト・淡口憲治のファインプレーもあり延長戦に望みをつなぐ。
延長10回。
時刻は22時30分を過ぎており、これが近鉄最後の攻撃になるのは確実となった。
先頭のブライアントが相手のエラーで出塁し、続くオグリビーは三振に倒れる。
そして近鉄は最後の賭けとして羽田耕一を代打で投入する。
しかし

羽田はセカンドゴロダブルプレーに倒れてしまう。
この時点で、残り時間は3分となり、近鉄の優勝は事実上消滅した。
10回裏、近鉄は最後の守備に就いた。
登板した加藤哲郎は一縷の望みをかけて、投球練習を省略してマウンドに立ったが、やはり間に合わず、22時44分、西武の優勝が決定した。
この間、西武の森祇晶監督はラジオ中継を聴きながら「ロッテよ、攻撃に時間をかけてくれ」と祈っていたという*4
加藤に代わった木下文信が最後の打者・小川博を打ち取った22時56分までの12分間は、もっとも短くて残酷な消化試合とも言われた。
そしてロッテはこの回は無得点に終わり4-4の引き分けで幕を閉じた。

余談

普段は客が入らない川崎球場だったが、この日は満員御礼となり、近くのマンションやビルから試合の様子を見ていたファンも多かった。

この日の川崎球場は至るところで修羅場となり、特に券売カウンターやトイレは異常事態となっていた。トイレもあまりないなどの古い球場ゆえの課題を取りざたされた。

近鉄の猛攻を振り切った西武はその後日本一に輝いた。

日本を代表する名試合でありながら2020年現在では小川博が凶悪事件を起こした影響で封印映像とされている。
*5*6*7

なお、この日は阪急ブレーブスが1989年からオリエント・リース(現在のオリックス。同年のCI導入により社名変更*8)への身売りが発表された日でもある。

放送

テレビ放送は大阪ABCテレビで第1試合から放送。実況は安部憲幸*9アナウンサー。一部テレビ朝日系でも第1試合から放送していた。
テレビ朝日では放送の予定がなかったが、ニュースに中継を挟んだ所、視聴者からもっと見たいという意見が殺到したために差し替えの検討を始める。
そして、スポンサーや系列局との兼ね合いもあったが、ついに放送延長を決断。(当初は10分間だけであったが、最終的には2時間に延長。)それでも試合は終わらず、ついにニュースステーションの番組内でも試合終了まで中継を続行。
この日は阪急の身売りやリクルート事件の強制捜査など大きなニュースがあっただけではなくその日はブラックマンデーから1年ということもありウォール街からの中継も予定されていたが、それを差し置いてまでも10.19の中継を行った。
また、久米宏が「ニュースステーション」で発した「川崎球場が大変なことになっています!」は非常に有名である。
最終的に視聴率は関東地区で30.9%、関西地区に至っては46.7%とかなりの高視聴率を獲得した。

翌年

10.19から翌年のシーズンである1989年シーズンは前年以上の大熱戦となっており、西武、オリックス、近鉄が優勝を争った。
9月29日の地点で首位西武と2位オリックスとのゲーム差は2.5、3位近鉄とは3.5だった。
9月30日と10月1日の西武対オリックスの2連戦(西武球場)では4-5、5-10でオリックスが連勝し、ゲーム差を0.5まで縮めた。10月1日の試合後、オリックスの上田利治監督は記者団に「これで面白くなるぞ」とコメントした。
10月3日からの近鉄対オリックス(藤井寺球場)の最終4連戦。
初戦は阿波野の完封で3-0で勝利。4日は8-11とオリックスが乱打戦を制する。
5日は4-5でオリックスが連勝。この地点で近鉄の自力優勝は消滅した。なおこの日はパールス時代からのオーナーである佐伯勇近鉄名誉会長が死去。しかし一方の西武もダイエー戦で3回までに8-0とリードするが9回表に一挙8点を(なおダイエーの8人連続得点は当時日本新記録だった。)失い、12-13で敗北。当時の監督であった森祇晶は著書で5日の敗戦が後述する10.12の連敗以上に痛かったと書いてある。この地点でオリックスに優勝マジック8が点灯した。
6日は10回裏にハーマン・リベラがサヨナラ3ランを放ち5-2で勝利。試合後リベラは「このホームランを、妻とおなかの中の子と、きのう亡くなった佐伯オーナーにささげる」とコメントした。
10月9日の西武対オリックス最終戦は11-2で西武が勝利。近鉄はロッテに6-7で敗北。近鉄は残りの西武戦で2敗を喫してしまえば優勝が消滅する状況に陥った。
10月9日の段階で首位西武と2位オリックスとのゲーム差は1、西武と3位近鉄とのゲーム差は2の状態で、10月10日からの西武球場での西武対近鉄直接対決3連戦を、オリックスは川崎球場でのロッテとの4連戦を迎えた。
10月10日の西武対近鉄戦は西武が敗れオリックスがロッテに勝利すればオリックスに優勝マジック4が点灯する状況だった。試合は近鉄が8回にリベラの勝ち越しソロで2-3で近鉄が勝利。オリックスはロッテに4-17と大敗したためこの地点で近鉄に自力優勝の可能性が復活した。
翌日の西武対近鉄、オリックス対ロッテは雨天順延となり、両試合共急遽翌日にダブルヘッダーを組むことになった。その2組のダブルヘッダーで西武が連勝し、オリックスが1引き分け以下で、西武が1勝1分ならオリックスの1敗か2分で西武の優勝が決まる状況だった。

10.12

このダブルヘッダーで連勝すれば優勝の西武と残り4試合で1敗も許されない近鉄が西武球場で試合が行われ、今度こそ正真正銘の首位攻防戦の天王山対決となった。
第1試合は14時30分試合開始で先発は西武が郭泰源、近鉄が高柳出己。
試合は4回まで西武が4-0とリードするも4回にブライアントがソロホームランを放ち、4-1とする。5回に西武が1点追加で5-1とするも6回にノーアウト満塁でブライアントに打順が回ると満塁ホームランで近鉄が同点に追い付く。
その後、8回は来日以来ブライアントを18打席4安打0ホームランに抑えていた渡辺久信を登板させるもそれをあざ笑うかのように決勝ソロを放ち、6-5で近鉄が勝利。
第2試合は18時11分に開始。先発は西武が高山郁夫、近鉄がエースの阿波野秀幸。
試合は近鉄が初回にリベラのタイムリーと中谷忠己のセカンドゴロの間にブライアントがホームインし2点を先制。
その裏に西武が同点に追い付くも3回にブライアントがソロホームランを放ち勝ち越しに成功。
その後は近鉄の猛攻もあり14-4で近鉄が圧勝。
ブライアントは第2試合の勝ち越しソロホームランで4打数連続ホームランを達成。(ブライアントの4連発は後に奇跡の4連発として語り継がれる。)一方オリックスはロッテとのダブルヘッダーを10-2、14-2で圧勝している。

試合後

10月12日の試合後は近鉄が首位に立ち、優勝マジック2が点灯。
オリックスは2位、西武は3位に転落した。
「まさかの」連敗で優勝が一転困難になった西武の森監督は、第2試合終了後なかなか報道陣の前に姿をあらわそうとしなかった。その後、森監督は「これで絶望的になった、ということだな」と敗北宣言した。

近鉄は10月14日のダイエー戦(藤井寺球場)で5-2と勝利し、リーグ優勝を果たし、10.19のリベンジを果たした。
なお巨人との日本シリーズは先に近鉄が3勝して王手をかけたが、その後4連敗で日本一を逃した。

関連項目


*1 現・千葉ロッテマリーンズ。当時(1977~91年)は川崎を本拠としていた。
*2 国籍はパナマ。MLBホームラン王の実績を持ち、ブライアントですらオグリビーの前では直立不動で「イエッサー」と返事をする、大使館から職員が球場に出向き滞在手続きを行うなどかなりの格を持つ選手だった
*3 女優・吹石一恵の父親かつ福山雅治の義父。
*4 森祇晶『覇道 心に刃をのせて』 104-107頁
*5 NPB史上最悪の犯罪者と呼ばれる。1988年にリーグ最多の奪三振を記録(当時は最多奪三振は表彰対象外であったが小川の活躍を受けて翌1989年から表彰の対象となっている)するなど先発投手として活躍するも、1992年の引退から12年後の2004年に金銭トラブルを遠因とした殺人事件を起こし無期懲役の判決が下され現在も千葉刑務所に収監されている。なお、強盗殺人は最悪死刑もありえるほどの重罪である。
*6 なお、小川が現役時代に着けていた背番号26に関しては、1993年~2002年まで和田孝志、2003~2004年まで酒井泰志が着けた後、2005年を以ってファンの背番号と位置づけられ現在に至るまで準永久欠番である。これは小川が起こした事件が原因と言われているが、他方で一応2004年のJリーグ固定背番号制改正で欠番が認められるようになったため、いわゆる11人のプレイヤー+サポーター=12番目の選手の位置づけが定番となった事からそれに倣って「野球の試合でベンチ入り出来るのは25人+応援するファンは26人目の選手」と言う後付けの設定が為され、ファンクラブの名称も「TEAM26」となっている。
*7 正確には小川が登板していた第一試合が封印対象で、第二試合の方は機会によっては映像が流される。記録DVDも第一試合はダイジェストという形だが、第二試合は全部収録されている。
*8 なお身売り当日、記者会見に向かったはいいものの、「オリコ」で知られる同業のオリエントコーポレーションと勘違いしてそちらに乗り込んだ報道陣がいた模様。
*9 愛称はアベロク。野球ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズで長年にわたり出演していた。第2戦の水上善雄のファインプレー時に発言した「This is プロ野球」は名高い。2017年逝去。