28人目の悲劇

Last-modified: 2020-09-27 (日) 11:35:47

元埼玉西武ライオンズ・西口文也が現役時代に経験した3つの悲劇の総称。

概要

西口は1995年にドラフト3位指名を受けて西武入り。以降2015年の引退までに沢村賞獲得を始めとする様々な賞に輝いた実績を持つ一流投手であるが、実は彼は、ノーヒットノーランないしは完全試合まであと一歩のところまで三度もこぎつけながら悉く達成阻止された過去がある*1。そして、これらの試合全てで28人目のバッターに記録を阻止されたため、これら3つの試合を纏めて「28人目の悲劇」という。

その1 2002年8月26日、対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)

この日の西口はマリーンズ打線を福浦和也の四球1つのみに抑えて9回2アウトまでこぎつけた。打席に立つのは1番の小坂誠。ここまで小坂は対西口通算打率が.000であり、西口が完全有利だった為、西口のノーヒットノーラン達成はほぼ確定と見られていた。
ところが。小坂が打ち上げた打球はセカンドの頭上を越えると、捕球に駆けつけたセンターとライトの手前に落ちた。そう、まさかのポテンヒットである。これには西口もマウンドで苦笑。その後、何とか後続は断ったものの、ただの完封勝利に終わったのだった...。

その2 2005年5月13日、対読売ジャイアンツ戦(インボイスSEIBUドーム)

この年に始まった交流戦での一幕。この試合で西口はタフィ・ローズや■■を擁する最強巨人打線と対決した。流石の西口でも苦戦必至とみられていたが、何と西口は■■死球をぶつけた以外はパーフェクトピッチングのまま9回2アウトまでこぎつけてのけた。ここで打席には清水隆行*2。西口は渾身のスライダーで清水を打ち取りにかかった。
ところが。清水は西口のスライダーをあろうことかジャストミート。そのまま右翼席に放り込みまさかのホームラン。西口にとって2回目のノーノー失敗であるとともに完封すらも潰えるという悔しい試合となったのであった...。

その3 2005年8月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(インボイスSEIBUドーム)

この年に創設された楽天との一戦。ここまでぶっちぎり最下位の楽天打線に沢村賞投手打ち崩せるわけもなく、やはり9回までノーヒットに押さえ込まれていた。しかもこの試合、楽天は四死球や相手のエラーによるランナーすら出せていなかった。そう、完全試合に手が届きかけていたのである。そして9回。ここまで打たれていた「2アウトの壁」も克服し見事3人で突破し、完全試合の条件である「9イニングノーヒットノーエラーノー四死球」を見事満たす。
ところが。西口を予想外の事態が襲う。相手先発・一場靖弘*3ここまで7連敗未勝利、防御率6点台とは思えないような快投*4を見せ、こんな日に限って西武打線を単発4安打で零封してしまったのである。
そして10回表。西口は先頭の沖原佳典にあっさり安打を喫す。完全試合はおろか、ノーヒットノーランも夢と消えた西口はその裏石井義人が決めたサヨナラツーベースに対しても苦笑いを浮かべるほかなかった...。

おまけその1:1996年9月23日 対近鉄バファローズ(西武球場)

この試合で西口は初回に先頭の水口栄二にヒットを許すも後続を抑えて無失点。そこからまさかの27人連続凡退を達成し、「逆28人目の悲劇」となった。

おまけその2:2020年9月8日 対オリックス・バファローズ戦(メットライフドーム)

西口の引退後、背番号13番は2019年から髙橋光成が継承。そしてこの日は髙橋が先発、オリックス打線を吉田正尚への四球一つに抑える快投を見せ、8回終了時点でノーヒットノーランを継続。誰もが西武の背番号13によるノーヒットノーランを期待していた。
ところが。9回表、先頭打者の代打・西野真弘にセンター前ヒットを打たれ、ノーヒットノーランならず。西口の状況とは違い9回ノーアウトからのノーノー失敗(25人目の打者)となったが、その直後にマウンドに駆けつけたのは引退後1軍投手コーチになっていた西口本人だったため当時を思い出したファンが続出した。

ちなみに

  • 西口は引退会見で「心に残っている試合は?」との記者の問いに上記その②の巨人戦を挙げた。
  • これらの3つの悲劇は2012年5月16日OA「マツコ&有吉の怒り新党」内で「新・三大 西武西口投手の哀しい勝利」として取り上げられた。

関連項目



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*1 それも全て本拠地での試合で、である。
*2 のち西口のチームメイトになる。
*3 一場もまた、明治大学時代に全日本大学野球選手権で完全試合を決めた経験を持つ。
*4 しばしば「一場の野球人生で最高の試合」と揶揄される。ちなみに同年の一場の最終成績は2勝9敗・防御率5.56。