思い出しました の変更点

2013年6月5日の巨人対日本ハム戦(東京ドーム)において、当時巨人に在籍していた[[小笠原道大>巨人の小笠原]]が放った台詞。

*概要 [#rb53d812]
当時の小笠原は年齢による打力の衰えや[[統一球の導入>違反球]]といった影響からか成績を急激に落としており、特に2012年は本塁打0という不本意な結果に終わっていた。
翌2013年も序盤にケガをして出遅れた他、[[村田修一>優勝受取人]]、[[ホセ・ロペス>横浜に入る喜び]]と[[ジョン・ボウカー>BOW!]]という強打者((いずれも当たりに当たっており、特にロペスは途中故障離脱もありながら、自前助っ人初の来日初年度でシーズン打率3割越えを達成している。またボウカーは同シーズンでそれまで出場した試合で、巨人は脅威の勝率を誇っていた。そのため「ボウカーの幸運力」ともネタにされた。))がそれぞれ三塁と一塁につき、小笠原は専ら代打起用だった。
そんな中交流戦が始まり、当日は[[澤村拓一>無援護仏]]と[[吉川光夫>暖簾スレ]]の投手戦となり延長までもつれ込む。11回裏に日本ハムがクローザーの[[増井浩俊>憎井酷俊]]を投入すると、当日いいところのなかった[[坂本勇人>坂本個人軍]]と[[阿部慎之助>憤之助]]の連打で無死2・3塁となり、続く松本哲也に代えて小笠原が送られた。
増井は初球から[[直球主体>ストレートガイジ]]((変化球は1球のみ))で挑み、小笠原も食らいついてフルカウントに持ち込む。そして8球目のストレートを右翼席へと運び、自身二年ぶりとなる本塁打でサヨナラを決めた。
増井は初球から[[直球主体>ストレートガイジ]]((変化球は1球のみ))で挑み、小笠原も食らいついてフルカウントに持ち込む。そして8球目のストレートを右翼席へと運び、自身2年ぶりとなる本塁打でサヨナラを決めた。

#nicovideo(sm21045889)

そして、直後のヒーローインタビューにて日本テレビ・平川健太郎アナウンサーに対して発した第一声が''「思い出しました」''である。
極度の打撃不振や久々の本塁打など様々な思いが入り交じったようで、少し沈黙した後の発言という事からなんJなどでも[[感動に包まれた>感動の共有]]のと同時に「北の侍、発見される」などネタにされた。
**その後 [#o8df046e]
しかしケガの影響などで''再び忘れてしまった''のか、月末に一軍登録抹消されるとシーズン終了まで昇格はなく日本シリーズ出場枠にも入れなかったため、同年オフにFA宣言((実質的な戦力外だったが、本人の宣言行使と球団の配慮により公式にはFA移籍とされた。))で[[中日へと移籍>味噌カッツ]]。無事に思い出したのか代打屋として勝負強さを見せ、2015年に引退。そして中日二軍監督を経て2019年オフに日本ハムにコーチで復帰した際には「[[全てを思い出した>ガッツ]]」と言われた。
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…が、なんJでは、この日実況を務めた蛯原哲アナウンサーが一連の流れで放った[[''別の台詞''>さあ大谷だ!]]のほうが悪い意味で有名となっている。
*関連項目 [#rb53d812]
-[[ガッツ]]
-[[カッスレ]]
-[[感動の共有]]
-[[さあ大谷だ!]]

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&tag(巨人,日ハム,中日,なんJ);