絶対に許さない。顔も見たくない の変更点

金村曉((元日本ハム→阪神→BC信濃。1995年から96年までの登録名は本名の「金村秀雄」、1997年から2000年の登録名は「金村暁」。))が日本ハム時代の2006年((この年は自身3度目にして最後の開幕投手も務めた。))にした発言、及び金村の別称((阪神ファンは基本的に「絶許」を使うが、この別称を嫌う一部日ハムファンは今でも「ハイパー地味様」を使う。由来は「地味様」こと[[清水直行>勝ち運投手]](元ロッテ→横浜)よりもさらに地味扱いされていたため。))。
金村曉((元日本ハム→阪神→BC信濃。1995年から96年までの登録名は本名の「金村秀雄」、1997年から2000年の登録名は「金村暁」。))が日本ハム時代の2006年((この年は自身3度目にして最後の開幕投手も務めた。))にした発言、及び金村の別称((阪神ファンは基本的に「絶許」を使うが、この別称を嫌う一部日ハムファンは今でも「ハイパー地味様」を使う。由来は「地味様」こと[[清水直行>勝ち運投手]](元ロッテ→横浜)よりもさらに地味扱いされていたため。))。いわゆる舌禍事件である。

 
そこから派生して「絶対に許さない」という気持ちを表明するときに使われるスラングにもなっており、「絶許」「絶許顔見」と略されることも多い。
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*概要 [#uf753c01]
2006年9月24日の対千葉ロッテ戦、先発の金村は5回裏、二死満塁、3点リードの状況で、トレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。
2006年9月24日の対千葉ロッテ戦、先発の金村は5回裏、二死満塁、3点リードの状況で、あと1アウトで勝利投手という所でトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。
金村は試合開始時点で129回・9勝6敗の成績で6年連続規定投球回到達と5年連続[[2桁勝利>10桁]]が懸かっていたが、降板により勝ち投手の権利は失われ、さらに投球回は134回2/3で規定に届かず、後の登板もないため記録途切れが確定してしまった。
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そしてチームも金村降板後に逆転負け。試合終了後の囲み取材で金村は

''「&color(Red){絶対に許さない。};外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。&color(Red){顔も見たくない};」''と怒りをぶつけた。((Wikipediaには「外国人の監督は個人の記録なんてどうでもいいんじゃない。絶対に許さない」「(首脳陣の)顔も見たくない」と記述されており、怒りの矛先がヒルマン監督以外にも向けられていると推測されている。))

基本的にどのチームにおいても球団首脳への舌禍は好ましくない行動であるが、MLB傘下の監督経験のあるヒルマンは「監督への批判はタブー」というMLB共通のスタンスを持っていたため事態を重く見られてしまい((MLB時代の大家友和も監督に批判行為をした結果、罰金を処せられた上に批判行為から1週間も経たないうちに他のチームへトレードで放出された程である。))、金村に球団ペナルティとして出場選手登録抹消、翌日の練習参加禁止、罰金200万円、プレーオフ終了までの試合出場停止を課した。
基本的にどのチームにおいても球団首脳への舌禍は好ましくない行動であるが、殊にMLBでは特にタブーとされるものである。MLB傘下の監督経験のあるヒルマンはこの事態を重く捉え((MLB時代の大家友和も監督に批判行為をした結果、罰金を処せられた上に1週間も経たずトレードで放出された程である。))、金村に球団ペナルティとして出場選手登録抹消、翌日の練習参加禁止、罰金200万円、プレーオフ終了までの試合出場停止を課した。
*その後 [#fea170e3]
事の重大さに気づいた金村は、先輩である岩本勉に電話し号泣。また日本ハムでの先輩で当時阪神に所属していた[[片岡篤史>右打ち教]]((この年限りで現役引退。))・[[下柳剛>シッモ]]からも叱責され猛省、ヒルマンとも和解した。
そしてヒルマンは金村を日本シリーズで先発させることを明言し、チームメイトも「金村さんに禊ぎの場を」で一致団結、レギュラーシーズン1位通過・[[プレーオフ>2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ・第2戦]]突破の原動力となった。
事の重大さに気づいた金村は、先輩である岩本勉に連絡を取り号泣したという。また日本ハムでの先輩で当時阪神に所属していた[[片岡篤史>右打ち教]]((この年限りで現役引退。))・[[下柳剛>シッモ]]からも叱責され、ペナルティを受け止めて猛省。無事ヒルマンとも和解した。
こうした経緯があり、ヒルマンは金村を日本シリーズで先発させる(つまりCSを必ず突破する)ことを明言。チームメイトは「金村さんに禊ぎの場を」と奮い立ち、見事レギュラーシーズンを1位通過・[[プレーオフ>2006年パ・リーグプレーオフ第2ステージ・第2戦]]を勝ち抜いたのである。

日本シリーズ第4戦では5回2アウトでヒルマンがマウンドに向かうも、そこでハッパをかけられ続投、5回を投げきりこの試合の勝ち投手となり、試合後のヒーローインタビューでも改めてファンに謝罪。最後はヒルマンと抱き合って[[喜びを分かち合い>感動の共有]]、贖罪は完了された。
明言通り金村は日本シリーズ第4戦に登板。5回2アウトの場面でヒルマンがマウンドに向かい、今度は交代を告げるのではなく発破を掛けるというシーンがあった。金村はこれに応えて5回を投げきり勝ち投手となり、試合後のヒーローインタビューでも改めて舌禍事件をファンに謝罪。最後はヒルマンと抱き合って[[喜びを分かち合い>感動の共有]]、贖罪は完了された。
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しかしその金村は2007年オフ、中村泰広とのトレードで阪神に放出。[[ダルビッシュ有>faridyu]](現カブス)が台頭するまで日本ハムにエースとして君臨していた投手である上に、通算勝利数80勝(金村)と3勝(中村)のトレードであったため、その釣り合わなさが話題になった。
阪神では先発でも救援でも結果を残せず2011年からBC信濃に転じたがこの年で引退。((ちなみにトレード相手の中村は日本ハムでは一軍登板のないまま1年で戦力外になり、翌2009年、育成契約で[[阪神に復帰>返品]]し金村とチームメイトになったがこの年限りで引退しフロント入りして現在に至る。))結果的に「絶許」発言が''彼の野球人生を大きく変えてしまった''とまことしやかに語られているが、そもそも金村は2007年には成績を著しく悪化させて((13試合に先発・登板して5勝6敗、78.0回、33奪三振、防御率4.73で、辛うじてリーグ連覇に貢献したものの、そう断言できるとは言い難い成績だった。))規定を超える大減俸を余儀なくされており、それを飲むか金村の年俸を払える球団へのトレードかの二択になったことで金村がトレードを選択したというのが事実であり、「絶許」発言の影響は[[公式に否定されている。>風評被害]]
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**用法 [#f1d010a2]
「絶対に許さない」という言い回しはこの金村の絶許騒動以前から使われていた。有名なものに

-ふたば☆ちゃんねるのコテハン・[[マジレス>うま味紳士]]氏の発言『絶対に許さないよ メモったからな 三日後百倍だかんな』
-米倉涼子が2006年9月11日放送『FNS5000番組10万人総出演 がんばった大賞7』(フジテレビ系)へ出演した際のトーク中にノイズが混入、その直後から唐突に笑い出した状況により『放屁した』と認定された事に対して((AAは「ブボボ(`;ω;´)モワッ」。なお「[[週刊文春]]の検証記事は事務所が揉み消した可能性」と支持する意見も根強く、未だ疑惑解消には至っていない模様。))

などが用いられており、特にニュー速や芸スポにおいて米倉関係の話題が出た際に連呼されるが、なんJでは「''怒りの矛先に対する怒りの表明''」を意味する単語として金村が現役時代属していた[[日本ハム>おハム]]や[[阪神>地獄]]以外のファンにも広く用いられており、現在はなんJ外でもよく使われるインターネットスラングのひとつになっている。

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*関連項目 [#me756444]
-[[許さん]]
-[[おハム]]
-[[絶許狙い]]
-[[猛虎弁]]
-[[日スポを許さない]]
-[[東スポを許さない]]
-[[おかしい。こんなことは許されない]]
-[[風評被害]]
-[[返品]]
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&tag(日ハム,阪神,なんJ,絶許);