「''ぐう''の音も出ないほどの''聖''人」の略。非常に優れた人柄の人物へ贈られる尊称である。[[ぐう畜]]の対義語。
元々は[[日ハム小笠原]]に対して使われていた。
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*聖人エピソードの一例 [#yd503271]
以下、選手名は五十音順に列挙。
//雑多になってきているのでぐう畜みたいに他の記事で言及されている人だけで良いのでは?ぐう聖は聖人的なもの、例外は聖人か畜生かどっちかの記事があればって感じで
-''[[李承燁(イ・スンヨプ)>火へんに華]]''
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2004年に千葉ロッテマリーンズへ入団し初来日。その後は読売ジャイアンツを経て2011年にオリックスバファローズへ移籍。後半戦で大活躍したにも関わらず、[[シーズン前半の不調>国民的]]の責任からか「自分が居てはチームの足手まとい」と自ら2年契約を破棄して帰国した。
また、巨人時代にも「二軍でも腐らず、チームメイトを[[焼肉]]に連れていってくれる」という証言が報告されている。
イマイチな成績で帰国したあげくNPBの悪口を広めた((「日本では誰も話しかけてくれなかった」等の発言を行うが、直後に韓国の掲示板でチームメイトと談笑している画像が貼られるなど「信用できない」と評判になった。2017年のWBCでは兵役中でもないのに挙手敬礼で国歌を聴いたことでさらに[[顰蹙>顰蹙(ズワイガニ)]]を買った。))ことで韓国国内でも批判の声が上がった[[金泰均>金ニックネーム]]と対比されることもあり、韓国でもぐう聖の呼び声が高い模様。
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-''[[大瀬良大地>カピバラ]]''
以下のエピソードから「良い人」のイメージが強い。
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--大学時代の日本代表候補向け合宿中、知り合いのいない環境で孤立していた長谷川潤(元巨人)に積極的に声をかけた。
--プロ入り時、家族思いの様子がドラフト特番で紹介される。
--プロ1年目、米子での試合で同期の九里亜蓮の実家を訪れた際、
九里の両親から初めて不良じゃない友人を連れてきたと言われた。((九里は中学時代、地元では有名なヤンキーとして知られていた。))
--[[藤浪晋太郎>明日の○○時、藤浪晋太郎を先発させる]]に[[死球をぶつけられた時>破壊神]]もにこやかに対応((ただしこの件については[[黒田博樹>男気注入]]に苦言を呈されているが、その黒田に対しての批判も強い。))。
--自らが打ち込まれた時はベンチで''[[グラブを3度叩きつけようとして>グラブ投げ]]3度我慢し道具を大切にする''。
--2018年6月22日の阪神戦で両リーグ最速の10勝目をマーク。怒った阪神ファンから自身のそばにメガホンが投げ込まれる事態も「買ったお金がもったいないなあと思っていました」と大人の対応。
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-''クリス・カーター''
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スタンフォード大学を3年で飛び級卒業するほどの怪物的高学歴の持ち主で、MLBでは対右投手要員として活躍。2012年に西武に入団してからは都内から本拠地である西武ドームまで電車通勤していた。
熱血漢な一面も持ち合わせ、[[キャプテンである栗山巧が怪我で離脱し、チームも2連敗している中で迎えた8月23日の対ソフトバンク戦>報復四球]]の試合前ミーティングで「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない。」と熱弁を奮ってナインを鼓舞し、チームを勝利に導いた。
引退後も西武ファンを公言しており、[[2018年>山賊]]に西武が優勝マジックを5にまで減らした際には、着ていたYシャツを破り中から自身の2012年度のユニフォームを見せるパフォーマンスと共に激励のコメントを寄せた。また元チームメイトの[[秋山翔吾>ウタンショーゴ・二ゴロスキー氏]]がシンシナティ・レッズと契約した際には、twitterにてエールを送った。
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-''ボビー・ケッペル''
2010年に北海道日本ハムファイターズへ入団、2年連続[[2桁勝利>10桁]]を挙げるなど活躍。
[[打線>打線組んだ]]を組めるほどの聖人要素満載のエピソードの数々から、当初名前をもじって「ケツペロ」と揶揄していた一部のなんJ民も沈黙せざるを得なくなった模様。退団時には栗山英樹監督(当時)が「何とか怪我の癒えた状態((退団の前年に故障で投げられずフロント内部に退団論が浮上するも、栗山監督が説得してもう1年待ってもらった。))で送り出せてよかった」とコメントしていた。
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--死球を与えた際には、帽子を取り一礼という日本式のやり方で打者に詫びる。
--東日本大震災に心を痛め、家族を呼び寄せてチャリティー試合前には志願してスピーチ((ちなみにその前日は、[[嶋基宏>SHIMA]](当時楽天)による「見せましょう、野球の底力を」のスピーチ(後述)が行われている。))。
--球団の病院訪問メンバー(主に子供たちへの激励)を外された事に憤慨、直訴して以降は定期的に訪問。
--試合を観戦した障がい者たちと対面しガッチリと両手で握手、サインボールを手渡す。
--右肩故障からの復帰登板後に勝利すると、同じ故障でリハビリ中の[[斎藤佑樹>さいてょ]]にウイニングボールを渡して激励。
--連敗中のバス移動ではピザを振る舞う(チームメイトに分け与えたため、''自身は食べられなかった''という)。
--スポーツ紙の番記者にも、退団の際には自身の記事について感謝を述べる。
--その後シンシナティ・レッズとマイナー契約。日本球界での実績からメジャー先発間違いなしとされた。しかし同時に父が癌に侵され、家業の造園事業を継ぐためにあっさりと引退。キャリアよりも家族を優先させた。現在は宣教師として活動している。
}}
-''[[嶋基宏>SHIMA]]''
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プロ入り前から文武両道を地で行く((中学時代に所属した野球部では2年時に全中出場。3年になるとキャプテンに加え、生徒会執行部、体育祭の応援団長を務めながら、通知表はオール5だったという。又、國學院大学時代の恩師である竹田利秋氏は「彼ほど人間性やコミュニケーション能力に優れた学生や頭脳、心、洞察力を持った選手は見たことがない」と高評価していた。))人物として知られており、2012年オフにはプロ6年目にして史上最年少でNPB選手会長に就任するなど、人徳者エピソードが多数存在。
[[東日本大震災復興支援チャリティーマッチでのスピーチ>宮城県知事]]は野球界内外で特に注目を集め、当時のDeNA会長・春田真が[[横浜ベイスターズ>ベイス]]の球団買収を決めたきっかけの一つにもなったという。
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-''[[フレデリク・セペダ>く]]''
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キューバの至宝((ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)においては安打、得点、打点、二塁打の4部門での通算記録保持者((32安打、23打点、19得点、8二塁打。なお二塁打数はカナダ代表のジャスティン・モルノー内野手と並んでタイ記録である。))でもある。))にしてNPBのネタ助っ人。初来日の時点で既に高齢((1980年12月生まれであるため、来日した当時は33歳だった。))だったため守備・打撃ともに精彩を欠いており、2年目はほぼ二軍に[[幽閉]]されていた。
しかしキューバリーグが終わったらすぐに巨人のキャンプに合流、二軍でも練習は真面目に参加、若手選手にコーチのようにアドバイスしていたため、同じ巨人ネタ助っ人の[[フアン・フランシスコ>フランシスコ事件]]、キューバ出身で2年目に来日しなかったユリエスキ・グリエル(元DeNA)と比較され、「''成績こそ悪いが人間性は最高''」と評され愛されていた。
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-''[[長野久義>PP長野]]''
[[広島移籍時のエピソード>選手冥利に尽きます]]を参照。
この他、(外国人選手、新加入選手、退団選手などへの)気遣いエピソードが多数存在し、一部からは「球界一の気配りができる男」と称されている。
-''中村武志''
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真面目で温厚な性格で知られている。
制球が乱れがちな野口茂樹や[[吉見祐治>飛ぶピッチャー]]などが投げる時は、ど真ん中にミットを構えたり、際どくストライクゾーンから外れても「うんうん」と頷くなど、現役時代を通じて投手に対し配慮していた。特に野口は、ヒーローインタビューで常に「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とコメントしている。横浜・楽天の投手陣らもヒーローインタビューではバッテリーを組んだ中村の名を頻繁に挙げるなど、所属した全球団で投手から慕われている。特に[[山本昌>山本昌コピペ]]とは非常に深く通じ合っており、山本が中村からの返球を受けてサインを覗くときには、すでに予想した球種で握りやすい向きにボールをセットしていた。技術的には変化球で追い込んでストレートで勝負するタイプであった。
また投手陣からの信頼も厚く、中村が餞別としてビデオメッセージを贈った、ポーカーフェイスで知られる今中慎二が涙を流す一面も見られた。このためネット上では''仏様''と表現されたことまである。
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-''[[梨田昌孝>梨田!]]''
プロ野球界きっての温厚さ・物腰の柔らかさを持つ、[[ダジャレ好き>井端はいいバッター]]の一面に代表される気さくな性格の好人物として知られる。
現役時代は近鉄のフランチャイズプレイヤーとして17年間在籍し、有田修三((有田とのコンビは「ありなしコンビ」と呼ばれ、我の強いタイプの有田と投手をおだてるタイプの梨田で長らく併用されていた。))と共に正捕手級として活躍を続けた。引退後は近鉄の最後の監督を務めた((2000年~2004年。選手・監督の両方で近鉄のリーグ優勝を達成した唯一の人物でもある。))のち日ハム・楽天の2球団でも監督を務めたが、それぞれの現場で好人物ぶりを表す逸話が残っている。
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--球界再編で近鉄球団の消滅が決定した2004年の出来事。近鉄最後の試合のミーティングにおいて、梨田は監督として「''みんな、胸を張ってプレーしろ。お前たちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ''」と語り、悲しみや今後への不安を抱きながらプレーに臨む選手たちを鼓舞し勇気付けた。これは今でも球史に残る言葉として語り継がれている。
--また合併に際して、近鉄側のチーム色を配慮していたオリックス球団、および監督に就任した仰木彬からは“ヘッドコーチへの転任”という形で残留を要請されていたが、「''選手・スタッフやファンがばらばらになり、その進路も決まらないうちに自分一人が残るのは望ましくない''」と自ら辞退。ここでも指揮官として周囲への気遣いを見せると共に、あくまで近鉄の一員として最後までその立場を貫いた((これに対して、一部では「大先輩である仰木の直訴を断った」として批判的な意見を持つ者も存在していたが、当の仰木本人は梨田の胸中を理解しており、両者の間に確執があったわけではない。))。
--楽天監督就任直後の2015年の秋季キャンプのこと。この時、戦力外となっていた選手((山内壮馬(前中日)、金無英(前ソフトバンク)、[[栗原健太>ゴリラ]](前広島)、[[川本良平>コアラ]](前ロッテ)の4人。))が入団テストの為に秋季キャンプ地に合流していた。キャンプ終盤の紅白戦後、[[「これだけお客さんが入ってるんだから''裏で合格を伝えるより、生で喜びの声を聞いてほしかった''」>https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/16/kiji/K20151116011518810.html]]と入団テストの合格発表を''ファンの目の前で行う''粋な計らいを見せ、''4選手全員の合格を発表''した((ただし、この4選手は''全員が1年でクビになってしまった''。))。
--日本ハムは[[栗山英樹>ガッフェ]]が監督として長期政権((2012年以降10シーズンに及ぶ。一方の楽天はこの間に[[星野>1001]](2011-2014)→[[大久保>ファックス]](2015)→''梨田(2016-2018途)''→平石(2018途-2019)→三木(2020)→[[石井>あのGM]](2021-2023)と''5回''も監督交代を経験している。))を敷いていたため、梨田は楽天の監督を務める間は“先代の日ハム監督”という立場であった((梨田は2008年から4シーズン日本ハムの監督を務めて栗山に交代。解説者を経て2016年から2018年シーズン途中まで楽天を指揮した。))。それ故、自身の日ハム監督時代を支えた選手達([[飯山裕志>守備の人]]など)が楽天監督在任中に引退することも多かったが、敵チームの監督という立場ながら殆どの選手にコメントを寄せる。
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-''[[ケーシー・マギー>教えてマギー]]''
2013年に楽天で、2017~18年に巨人でプレー。楽天球団初のリーグ優勝・日本一に大きく貢献し、セ・リーグのシーズン最多二塁打記録を更新するなど活躍。
近年の助っ人外国人ではかなりの人格者で知られており、現役引退後は巨人の駐米スカウトを務める。
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--自身の子が先天性の病気を持つため小児医療への関心が高く、啓蒙活動も行っている。車椅子を寄付したり、病気を持つ子どもたちを試合に招待したりした。
--東日本大震災で被災した宮城県へは、復興のため1000万円以上も[[寄付>誠意は言葉ではなく金額#zec55d41]]。
--[[2017年の交流戦期間中、楽天ファンへビデオメッセージを送り、「日本で再びプレーすると分かった時にチェックしていたのは「仙台で試合があるかどうか」だった」「イーグルスファンからブーイングされるか心配だが、''されたとしてもOK''」とコメント>https://www.youtube.com/watch?v=WZWFwG6C8Xc]]。本年の[[仙台>楽天絶命パーク]]での打席では大きな拍手で出迎えられた。
--試合中、審判の判定に不満を爆発させた同僚の[[マイルズ・マイコラス>コバヤシィ!]]に対し「''ガタガタ言ってないで、いいから早く投げろ!''」と一喝。マイコラスを落ち着かせると同時にチームのムードを守り抜く。
--2017年オールスター第1戦(ナゴヤD)のセ・リーグ写真撮影の後、ヤクルトから唯一出場した[[小川泰弘>七夕の悲劇#y7f56253]]が戸惑っていたところ''声を掛けて肩を抱く''。
--代打起用が続き不貞腐れていた[[村田修一>動けデブ(ケデブ)]]が「暇ー!」と叫んだ件で、殊勲打を放ったマギーは「ムラタは素晴らしい選手。代打で彼が四球を選んで繋いでくれたから、僕は打つ機会を得たんだ。''僕がこうして仕事を出来るのはムラタあってのことだ''」とコメント。
--2018年のクライマックスシリーズ敗退後、涙を浮かべながら「これから何が最善か考えるので結論はまだだが、チームは若返るもの。自分は歳をとった」と''チームのための引き際まで考える''。
}}
-''[[三浦大輔>ばんてふ]]''
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1991年に横浜大洋ホエールズ時代に入団し、[[横浜ベイスターズ時代の1998年には日本一を達成>\横浜優勝/]]。[[その後チームは暗黒時代を迎え>ベイス]]、2008年オフにFA宣言。阪神が興味を示しファンは移籍を覚悟するも[[ファンの声に応え残留>横浜に残って良かった]]。残留会見前にはわざわざ阪神の球団事務所を訪れ謝罪、沼沢正二球団本部長からもその人柄を賞賛された。それに加えて[[貧打>ムエンゴ]]で負けても「点を与えた自分の責任」などとチームメイトを庇いつつ、25年の現役生活を横浜一筋で終えた((一応ぐう聖エピソードとして扱われている一方で、後に横浜の内部腐敗エピソードが有名になった後は、[[出たくなるのは当然なのに残った>横浜を出る喜び]]三浦が異常と評される事がある。))。なお横浜スタジアムの打者優位ぶりや[[ベイスターズ守備陣の頼りなさ>やーい、○○の守備××~www]]も相まって積み上げたWAR([[セイバーメトリクス]]の総合指標の一つ)は歴代でも屈指の水準にある、という分析もある。([[参考>https://ranzankeikoku.blog.fc2.com/blog-entry-1806.html]])
また、自身のサインの転売について「''もっと書こうと思うよ。売るのも買うのもバカらしくなるぐらい書こうと思う。 『えっ?三浦のサイン買った?アホやなぁ・・・球場行ったらナンボでももらえるのに』みたいな''」と発言するなど、常にファンサービスを忘れないナイスガイである。
チームメイトの信頼も厚く、引退試合当日のブログの写真には一軍メンバー全員に加え故障中の[[須田幸太>スッダレ]]も収まっていた。
その余りのぐう聖ぶりは[[打線が組めるほど>打線組んだ]]で、[[原辰徳の畜言>ベストピッチでしょう]]と定期的に対戦させられている。
[[2021年>令和の三原マジック]]から一軍監督就任。開幕前にはチーム関係者ら100人以上に高級牛肉をプレゼントするなどナイスガイっぷりは健在で、主力の流出や外国人選手の来日遅れに対しても「若手にとってはチャンス」と前向きに捉えたり、開幕から8戦連続勝ちなしの際にも自分の継投ミスを認めたりする等、ポジティブを旨としたコメントを心掛けた。2022年は横浜球団史上初となる「''生え抜き監督でのシーズン勝ち越し''」を達成し、2024年にはペナント3位ながらもクライマックスシリーズを勝ち上がりそのまま日本シリーズでも[[勝利>\横浜優勝/]]したことにより、横浜球団史上初となる「''生え抜き監督での日本一''」も達成し2025年シーズンまで監督を務めた。
馬主としての顔も持つが、2014年に所有馬のリーゼントロックがレース中に重度の故障を負い調教師から「一般的には楽にさせてあげるケース((競走馬に使われるサラブレッドは重度の骨折や靭帯断裂などで脚が1本でも使えなくなると他の3本の脚では自重を支えきれずに蹄の炎症などを併発し、ほとんどの場合は最終的に衰弱死してしまうため、重度の故障で予後不良と診断された場合は安楽死処置が行われる。1998年天皇賞・秋でのサイレンススズカなどの事例が有名。))だと思う」と言われた際に''「お金じゃないんです。命だけでも助けてもらえないでしょうか」''と助命を嘆願、リーゼントロックは緊急手術を経て競走馬復帰を果たした、というエピソードもある。([[参考>https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20191213-OHT1T50259.html]])
//怠慢走塁の桑原を注意だけで済ませた件は本人復活してるならコメントアウト。
}}
-''[[ダヤン・ビシエド>阪神ご自慢のビシエド]]''
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現役時代は、日本を愛し[[球団を愛する>ドラゴンズブルーの血]]ぐう聖外国人選手として知られた。多数のエピソードを持つため、詳細は[[当該リンクを参照>https://x.com/JOS_baseball/status/2058541518504579394]]だが、このうちのいくつかを紹介する。
・[[与田剛>代打三ツ間]](中日時代の監督)「周囲に影響を及ぼす振る舞いは絶対にしなかった」。
・ブライト健太(中日時代のチームメイト)「打てないときに『シーズンは長いから大丈夫』と励ましてくれた」。
・[[ライデル・マルティネス>辛いです]](中日時代のチームメイト)「クローザー失敗時に『こういう日もあるから気にするな』と励ましてくれた」。
・廣瀬隆太(ソフトバンク。交流戦での対戦相手)「初安打の記念に、本人から直接バットをもらい、以降、ビシエドモデルのバットを愛用している」。
・レオネス・マーティン(元ロッテ。キューバ時代からの親友)「来日にあたり、日本での野球に対する姿勢を助言してくれた」。
・石橋康太(中日時代のチームメイト)「全体練習が終わって全員が休憩しているときでも打撃練習をしていた」。
他にも、シーズン終了後も名古屋に残って、NPBの各種表彰式、ファン感謝際、球団納会に参加する((中日在籍時は、ほとんどの年でそうしていた。なお、毎年どんどん短くなっていくアメリカへの帰国が「アメリカ旅行」と表現されるほど日本に在住しているが、それはキューバからの亡命でありアメリカ自体が出身地ではないことも影響していると思われる。))ことをほぼ欠かさなかったこと、定期的に和服で家族写真を撮る、愛犬に日本由来で『富士』と名前を付ける、中日で引退したい旨の発言をするなど、ぐう聖エピソードを多数持つ。
特に中日が「[[ビシエド個人軍>坂本個人軍]]」とも揶揄される歴史的に貧打に苦しんだ2019~2020年の期間ではビシエドへの厳しい攻めが続き、それに伴い死球も多かったがビシエドは死球を受けても一切怒るそぶりを見せず、それどころか他球団の外国人が怒った際には率先して止めに行くなど人柄の良さが伺える。
しかし2022年4月1日の広島戦ではチャンスで凡退を続ける自分自身への怒りからかベンチ裏で一人暴れる姿が中継され、プロ野球ファンに衝撃を与えた((とはいえ、初めて見せた怒りが自分自身への怒りというところも責任感の強いビシエドらしい、とファンは納得した。))。
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**その他、ぐう聖と言われる人物 [#lf5af133]
//雑多になりがちなので他の記事で人格面に言及のある人物以外を削除
//-''天野浩一''
//元広島、四国学院大学在学中の2000年、同校新入生の後輩(背番号48)とすぐに仲良くなるも、同年5月29日に後輩は交通事故により他界。
//そして広島入団時に提示された背番号も48だったことから天野は「現役続行の限り背番号は『48』を通す」と語っていた。
//福井・香川で指導者となってからも48番を付けていた。
-''[[アレックス・ゲレーロ>ソローロ]]''
[[俺はもう我慢の限界だ]]を参照。
-''[[福留孝介>ファックさん]]''
[[誠意は言葉ではなく金額>誠意は言葉ではなく金額#zec55d41]]を参照。
-''[[トニ・ブランコ>雑コラ#n5f8c485]]''
2025年4月8日に発生した母国ドミニカ共和国でのクラブの天井崩壊事故時に、[[オリックス時代>優勝候補オリックス#oa3293c7]]の同僚エステバン・ヘルマンを崩落から庇う形で自身は崩落に巻き込まれて死亡した。
-''[[ケビン・メンチ>メンチコピペ]]''
言うまでもなく''[[肝心の打棒はサッパリ>バースの再来]]''だったが慈善事業への積極的な参加や練習態度は評価が高く、阪神の歴代外国人選手の中でも人間性はトップクラスと言われる。
-''[[森本稀哲>黒ひちょり]]''
幼少期に汎発性円形脱毛症を患う。現在は治癒しているものの敢えてスキンヘッドにしているのだが、それは''同じ病気に苦しむ人々に勇気を与えたい''という思いから。日本ハムで[[新庄剛志>明日も勝つ!]]らとともにムードメーカーを買って出たり、移籍先のDeNAと西武で不振に陥り二軍生活であっても腐らずチームを鼓舞。引退試合の「''稀哲さんに(打席を)回せ''」((当時の西武はロッテとCS出場権を争い消化試合が無く、森本の引退試合は守備だけでの出場に終わると思われた。しかし最終回、1番から始まる攻撃で7番の森本に回す西武打線の執念は多くのプロ野球ファンの感動を呼んだ。))は彼の人望を示すエピソードとして有名。また、ホームランを打ってもホームベースまで全力疾走を怠らない模範的姿勢の選手でもあった。
引退後は[[怖くないOB>怖いOBが来なくなった]]として知られる。
-''[[ウィリン・ロサリオ>バースの再来]]''
こちらも''肝心の打棒はサッパリ''だったため日本とは短い縁となったが、持ち前の陽気な性格で監督やチームメイトらを勇気づけようと努めた。メンチ同様に人柄面では好評で、豪雨被害に対しては[[個人で100万円を寄付>誠意は言葉ではなく金額]]するなどした。
-''オルランド・カリステ''
2023年9月8日の巨人戦の8回裏で、遊撃の守備時に一塁走者の[[門脇誠>守備の人]]と交錯したが、倒れ込んだ門脇を気遣いつつ、巨人ベンチに「大丈夫。問題ない」のサインを送った一連の行動が「ぐう聖」と称賛された。他にも「最も嫌いなことは差別」と発言したり、ベンチを温める試合が増加傾向になったときでも、率先してベンチの先頭で選手を迎えたりなど、成績に比して模範的姿勢のエピソードを多く持つ。
-''アンドレス・マチャド''
2024年シーズン途中から[[平野佳寿>打たれた平野佳寿です]]に代わりオリックスの守護神を務める。2026年6月23日のソフトバンク戦(みずほPayPay)9回表にソフトバンク・[[石塚綜一郎>マグネット]]に顔面死球を当ててしまい2ヶ月ほどの長期離脱に追い込んでしまったものの、危険球を投じ退場を宣告された直後から石塚の容態を心配する素振りを見せたことに加え、数日後には[[''InstagramのDMで石塚本人に直接謝罪''>https://full-count.jp/2026/07/03/post1984765/]]、石塚の一軍復帰後となる8月22日にPayPayドームで再会した際には[[石塚本人と固い握手を交わす>https://x.com/SponichiHinataO/status/2090984511438041453]]など終始石塚を慮る姿勢を貫き、両軍のファンからぐう聖扱いされた。
なお危険球を当てられてしまった石塚自身も「恨むとか絶対ないです」という発言があったほか、一軍復帰後には[[マチャドとの再戦を心待ちにするような発言>https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2026/08/22/articles/20260821s00001173342000c.html]]もするなどしておりこちらもぐう聖扱いされている。
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**例外 [#z14fd88c]
一口に「ぐう聖」といっても、上述のような良いエピソードばかりが目立つ選手だけではなく、中には同時に[[ぐう畜]]なエピソードなども持っていたり、それと誤解されやすい一面を併せ持つ選手も存在する。
-''[[赤星憲広>赤星解説員]]''
盗塁の数に応じて車椅子を寄付する活動に取り組み、なんと301台もの車椅子を養護施設や病院へ寄付。「''ボランティアは生涯現役''」をスローガンとし((スローガンは引退翌年の2010年~2011年に赤星が出演したACジャパンの関西地域キャンペーンのCMでも使われた。なおこのCMはABC制作の全国ネットの阪神vs巨人戦等で関西以外の地域でも見ることができた。))、引退後もパートナーとなる企業を探し車椅子の寄付を続ける聖人ぶり。
しかしながら観客のヤジに「[[入ってねえんだよこの野郎]]」と怒ってしまうなど短気な面もあるため畜生と誤解される。
-''[[伊藤大海>伊藤ハムファイターズ]]''
ルーキーイヤーの2021年、長谷川勇也の引退試合で長谷川が打席を終えた際にソフトバンクベンチへ一礼をする、2024年オリックス・中川圭太の誕生日、西武・野村大樹の誕生日ではバースデーソングが終わってから投球モーションに入るなど、気遣いエースとして知られる。
2026年WBCでは準々決勝のベネズエラ戦で被弾して敗戦責任投手となった際にはSNSで誹謗中傷に遭うなどもあったが、「自分のことは自分でしか守れない」「僕でよかったなとは思っている」など、大人の対応を見せる。
ただし、[[追いロジン]]の件で韓国サイドを煽るようかのようなツイートを投稿する鋼メンタルぶりを披露するなどの一面もある。
-''[[江尻慎太郎>江尻良文]]''
日本ハム、DeNA、ソフトバンクと渡り歩いた球団全てで仲間に慕われた好人物。故郷の宮城県が東日本大震災で被災した際には義援金の寄付に加え、''医療現場の危機を知りAEDの寄付にも力を入れた聖人''。引退後はソフトバンクホークスの子会社として、ソフトバンクのOB選手を中心としたアスリートのマネジメント、キャスティング、イベントなどのプランニングを行う企業を立ち上げて社長を務めている。
しかし[[道具を粗末にした黒歴史>グラブ投げ]]を蒸し返されてしまう。
-''[[佐野恵太>オリジナルネカマ]]''
3年目を終えた際に大きな実績がないのに[[ラミレス監督>タフな試合]]からキャプテンに指名される((就任前年の2019年まで年を通してのレギュラー定着を果たせておらず、二軍での稼働が多かった。最も、その年には一軍で初めて四番打者を務めるなど出世しつつあった。キャプテン就任初年度の2020年に初の規定打席到達と打撃タイトル(首位打者)獲得を達成。))など元々人望の厚さには定評があったが、加えて上記の福田周平のエピソードの続きとして、福田の引退後の広陵高校で福田の1つ下の代が理不尽な上下関係を復活させてしまったようだが、福田に守ってもらった恩を感じてか2つ下の代に居た佐野が上級生になった際にそのような習わしを再び止めたとされている。
一方ベイスターズの同僚とマリオカートをプレイした際、わざわざバック走行して相手目掛けて妨害アイテムを当てにかかるなどの畜生行為を行っていることが語られている。
-''[[中村紀洋>うーんこの球場最高や!]]''
[[白ノリ]]を参照。
-''[[福良淳一>ドヤ顔で告げろ 代打小島]]''
小谷野栄一とのエピソードをはじめとした聖人エピソードが複数存在。
オリックスGM就任後は厚い人望・人脈を活かした敏腕を振るっているが、[[一軍監督時代の専横ぶり>強制帰宅]]から賛否両論ある人物である((しかし、[[伊藤光>横浜に入る喜び]]や[[西勇輝>西不純]]、[[金子千尋>5億年20円]]といった当時の主力を流出させまくったにも関わらず、それどころか3連覇した事から、実は[[チームに悪影響を与える選手>ボス猿]]がいて厳しく接していただけではという説が出ている。))。
#fold(''主な聖人エピソード''){{
''主な聖人エピソード''
--日本ハムの二軍監督代行を務めていた2006年、イースタンリーグの試合に出場していた[[小谷野栄一>里崎スレ]]が打席途中パニック障害を発症。その後も症状が続き、私生活にまで影響が及んでいた小谷野に、福良は「''何分かかってもいいから、何回タイムをかけてもいいから、とにかくバッターボックスに入ってみよう。まずはそこから始めてみたらどうだ?審判から怒られたら、俺が謝ればすむ話だから''」と声をかけ、病が原因で現役引退も考えていた小谷野の野球人生に大きな影響を与えた。後に小谷野は福良を慕って2014年オリックスへFA移籍し2018年に現役引退をするが、その際にも「福良監督は憧れであり尊敬できる存在の人」と語っている。
--野手転向した[[佐野皓大>ジエンゴ]]に[[寿司>武田寿司]]を差し入れする。
--福良が選手時代に背負った背番号1を付ける[[福田周平>シナ弱]]に対して、笑顔で「(自分を)抜いてほしいよね、全部の成績。それぐらいやってもらわないと」とコメントする((なお、その福田は2023年以降の成績不振を理由として、2024年オフに自ら背番号1を返上、2025年に引退した。))。
--不振で育成再契約となり、投球への自信を失っていた榊原翼に「慌てずにゆっくりとやっていい。ボールは持ちたくなるまで持たなくていいよ。やりたい事があれば言ってこい」と声をかける。
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-''[[松田宣浩>歌舞伎]]''
亜大時代に先輩の不祥事により2部リーグに降格し、井口資仁の持つリーグ通算本塁打記録への挑戦が閉ざされてなお腐ることなく主将として[[ガタガタになった部>何億積まれても大学時代には戻りたくない]]を立て直す。
明るいキャラクターで有名だが、これは移籍する[[川崎宗則>イチローのファン]]にムードメーカーの役割を託されて以降のもので、ベテランになってもその役割を全うする。「自分は代表に選ばれたら辞退の選択肢は無い」と言い切り((なお晩年は自らがどんなに絶不調の際でも出場していたため、日本代表の[[聖域]]と化する事もあった。))、代表での国歌斉唱時に律儀に歌っていたのが監督の稲葉と松田だけだったなど。
しかし、時折行き過ぎた言動が批判の槍玉に上がる事もある。
#fold(''物議を醸した言動''){{
''物議を醸した言動''
--ホームラン後の「[[熱男>逸男]]」パフォーマンスについて[[掛布雅之>解説の掛布]]等から「相手投手に対しての品を欠いている」との苦言を呈される((特に掛布はこの手のパフォーマンスを好まず[[グラティ]]を批判した過去がある。))。
--2022年1月に熊本で開催していた合同自主トレ中、自身を含む参加者7名が新型コロナウイルス感染した事が1月18日に球団より発表((その翌日には[[熊本市の発表>https://www.city.kumamoto.jp/corona/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=39704&class_set_id=3&class_id=535]]により、(松田らの名前や職業こそ挙げられていないものの)「7名の感染を確認」「計12名で熊本市内の飲食店を2件貸し切り利用した事でのクラスター発生」という詳細が判明した。))され、NEWSポストセブンでは「(自主トレ参加者による)キャバクラでの会食も行われていた」という記事が[[取り挙げられてしまい>https://www.news-postseven.com/archives/20220127_1722756.html]]、「オフとはいえ引率者として軽率だったのでは」と批判される。
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-''[[森友哉>金で買った薄汚いランボルギーニ]]''
高校3年の11月に、JR新今宮駅の線路に転落した盲目の男性をチームメイトの久米健夫捕手(元東京ガス野球部。現在は森専属のパーソナルトレーナーとして活躍)と消防士とともに救助し、JR西日本から感謝状を贈られた。[[新型コロナウイルス>虎ロナウイルス]]の影響からペットの飼育放棄が増えているという現状を知った際は、動物保護団体への[[支援活動>ドネーション]]を即断即決したという大の愛犬家でもある((同じ愛犬家の同志として、西武時代のチームメイトであった髙橋光成も災害救助犬協会への支援活動を行っている。))。
しかし西武の年上の選手に対するエピソード((金子侑司などに平気でタメ口を使う、高校の先輩でもある[[中村剛也>SEIBU NO OKAWARI]]のまんじゅうを盗み食いする(疑惑)など。[[山川穂高>どすこい]]に対しては「おい、[[デブ>動けデブ(ケデブ)]]」と発言したり、運転手にさせて森自身は助手席でふんぞり返っている、という逸話がある(一応フォローを入れておくと森と山川は同期入団で特に仲が良い事で知られており、気心の知れた仲ゆえの単なる悪ノリと思われる)。))から、“悪ガキ”のイメージが先行しがち。更に2022年4月2日、[[途中交替した後にZOZOマリンのビジターロッカールームでマスクを投げつけた際に利き手を骨折し>ブルガリア事件]]、[[翌日>3月34日]]このことが発表された際にファンの間で「メンタル面の成長を望む」「年齢相応の言動をしろ」と言われてしまった。
-''[[山﨑康晃>デブアキ]]''
2021年8月3日に急逝した木下雄介(中日)の追悼試合として行われた9月5日の中日対DeNA戦(バンテリンドーム)にて、木下が生前背負っていた背番号98をユニフォームの帽子などに書き込んで試合に臨むことを自ら発案((この日のDeNAの先発・[[今永昇太>投げる哲学者]]が駒澤大時代に木下雄介と同級生((なお木下は怪我で大学を中退している。))だった事もあり、''「同じ時代に一緒に野球をやっていた」と縁を感じた''のがきっかけだという。また前述の通りこの日は木下の追悼試合であったため、中日チームは全員が背番号98の特別ユニフォームを着用していた。))。チームの垣根を越え全員一丸となって追悼の意を表するきっかけになった彼の行動は哀しみに暮れる多くの中日ファンの感動を呼んだ。
非常に明るい性格で知られており、チーム問わず若手から大ベテランに至るまで様々な選手と楽しげに写真に映る姿を度々披露している事などから、球界屈指の『''コミュ力お化け''』とも称されている。なお[[大学時代>何億積まれても大学時代には戻りたくない]]。
一方で2023年には自身のTwitterにて「[[あほちん]]」と過激なワードを使って批判を行うなど、それまでの山﨑らしからぬ言動もあり物議を醸している。
-''[[山本祐大>プロ野球はパワプロじゃない]]''
2024年[[9月15日>アレ]]の[[DeNA>ベイス]]対[[広島>広島燃ゆ]]戦で、初登板だった常廣羽也斗が投げたボールが右手に直撃し[[死球>殺人野球]]となり、右腕の手首とひじの間の尺骨の骨折と診断されて[[今季絶望>スペランカー]]に。しかし年が明けた2025年[[3月4日>https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3#l3eef950]]には''常廣にまさかの逆謝罪((逆謝罪理由は祐大曰く「[[むしろ申し訳ないなと。初登板って、これからもずっと初登板なわけで。僕が当たって折れちゃったせいで、周りからの言われ方もあったと思う。真剣勝負をやってる中なので、それはありきのことなので。すごく申し訳ないなと思いながら、きょう謝れたのでよかったと思う>https://www.sanspo.com/article/20250304-HVWK5Z2ESVNM5I3ZXSF6YFKAWQ/?outputType=amp]]」とのこと。))''をし、多くの[[DeNAファン>(*^○^*)]]を感動させた。しかし2018年には[[未成年飲酒>暴走のダルビッシュ]]が発覚したため、滅多にぐう聖と言われることはない。
-''[[山本由伸>点が入らないのはわかっていた]]''
先発に転向した2019年以降凄まじい[[ムエンゴ]]に苦しんでいるが、試合後のコメントでは常に自ら責任を背負い、冷静に反省点を分析して前を向く大人な言動を見せた事からぐう聖扱いされる。
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''山本の敗戦後コメント傑作選''
--2019年初登板となった[[4月3日>3月34日]]・ソフトバンク戦では''9回を1安打で失点ゼロ''に抑えるも0-0のまま降板。結局そのままドローとなりプロ初完封勝利を逃したが、試合後の取材では四球について反省を述べ「ピンチの場面で野手の方々に助けて頂きながら、9回まで0点で抑えることが出来た」と''野手への恨み節もゼロ''だった。
--5月16日・ロッテ戦。「[[野手も反省する所があると思う]]」
--7月19日・西武戦。7回を自責0に抑えるも9回に守護神ディクソンが痛恨の3ラン被弾で同点とされ、延長で[[増井浩俊>憎井酷俊]]も[[被弾>俺達]]し敗戦。試合後の取材に対して「ディクソンはこれまで抑えてくれていた。たまたま自分の投げた日に当たっただけ。去年、自分がリリーフのときに打たれても先輩方が優しい言葉をかけてくれた。''そういういい教育を受けているので何かを思うことはありません。''」
--2021年開幕戦(対西武)、[[味方のエラーで自責点以外に3点失い>野球は一人でするんじゃない]]敗戦投手になった後のコメント。「開幕戦ということもあって雰囲気は多少違いましたね。''プレーボールのところから野手もこんなに緊張してることはない。難しいバウンドだったり、打球があったのでそこはなんとか抑えられたらなと思いましたけど。仕方ないプレーだったかな''と思います」
--4月28日・楽天戦。9回無失点も、打線が相手先発の[[則本昂大>○○教則本]]を攻略できず[[0-0のドロー>たこ焼き]]に終わる。試合後の取材に「とにかく負けたくなかった。打てなかったというより、則本さんがいい投球。''逆に負けなくてよかった''」と、''則本を称える''だけでなく''野手陣も庇う''コメントを残した。
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一方でグラウンド外では[[ナチュ畜>ぐう畜]]な一面が目立ち、球団のファンフェスタでは''[[公式に有罪判定を下されている>沢村賞コピペ]]''。
また、MLB移籍後は[[捏造された名言が多く産み出される>負けるという選択肢はない]]など、ビッグマウスキャラが定着している。
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''山本のぐう畜エピソード''
-[[プロスピA対決動画>パワプロ・プロスピ対戦企画]]や球団公式インスタライブで先輩の[[若月健矢>ヤバイわよ!]]の打撃をイジり倒す。
-ファウルが股間に当たり悶絶する伏見寅威を見て爆笑する。
-新人の[[宮城大弥>宮城の方が断然いい]]((ドラフト指名時から[[とても高卒ルーキーには見えない風貌>青柳さん]]で話題を集め、なんJでは「[[現在の方が若く見える>https://www.youtube.com/watch?v=wMqrH_cITa8]]」と言われるほど。高校時代のニックネームは当時の監督が命名した「琉球じじい」。))に「ブサイク」とLINEする((ただしそれでも即座のフォローは忘れない。宮城の誕生日前には、憧れている山本のつけているものと同じブランドのネックレスを購入しようと宮城が店を訪れたところ、既に山本本人がプレゼントとして会計を済ませていた、という[[逸話>https://www.nikkansports.com/baseball/news/202208270001070.html]]もある。))。
-[[菅野智之>フェアリーファンタジア菅野智之]]の[[元交際相手との密会が報道される>https://www.news-postseven.com/archives/20210728_1678885.html?DETAIL]]。
-ロッカールームが汚く、''先輩の[[増井浩俊>憎井酷俊]]、[[佐野皓大>ジエンゴ]]など''他の選手が片付けている。山本本人は「''いろいろな人から文句を言われるが気にしていなかった''」「反省はしている」などと弁明している((ちなみに[[柳田悠岐>キ○タマですよね]]や同僚の吉田正尚もロッカーが汚いため、「スター選手はロッカーが汚い」などとも言われる。))。
--2024年にドジャースへ移籍後も、''スプリングトレーニングの時点で[[既に山本のロッカーが汚くなっており>https://www.instagram.com/reel/C4DKknTuxyI/?igsh=MTZqYTIzOG9jMzk4Yw==]]''(動画の最後を参照)、''右隣の[[大谷翔平>さあ大谷だ!]]のロッカーにファンから貰ったヨッシーの人形を置いている''のが確認できる((右隣のロッカーのプレートに「DODGERS」と書かれているが、ロッカー最上部に大谷が持ち込んだ外野手用のグラブとファーストミットと思われるものが置いてあることから、このロッカーは大谷のものである可能性が高い。大谷はVIP待遇でドジャースに迎えられたこともあり、ロッカーを2つ与えられている。))。
-試合前にロッカーでタオル1枚でボール遊びをしており、うっかり[[下半身を露出>シコ豚]]する事故を起こしている。
-年上の選手を差し置いて京セラドームの駐車場で一番近い位置に車を停める((これについて山本は''警備員に責任転嫁していた''。))。なお、山本の愛車が[[超高級車>カイエン青山]]、かつ山本は駐車が苦手なため他の選手が周囲に駐車しにくい模様。
-[[ヒーローインタビューでムエンゴを嘆く>点が入らないのはわかっていた]]。
-2023年のWBCで[[登板のなかった>ラストエリクサー能見]][[山崎颯一郎>吹田の主婦]]((1次ラウンド終了時に故障のため離脱した[[栗林良吏>ドラゴンスレイヤー]]の代替選手。))を''「[[マイアミ旅行>優勝受取人]]」''と煽る。
-2023年9月9日、2度目のノーヒットノーラン((2年連続での達成は亀田忠(元黒鷲)以来82年ぶり。2リーグ制以降では''史上初''。))を達成するのだが、その後のヒーローインタビューで[[杉本裕太郎>裸王]]のせいで四球を出してしまい完全試合を逃した旨を暴露する。
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-''[[アレックス・ラミレス>ラミミ]]''
現役時代から研究熱心な努力家として知られ、またファンサービスを非常に大切にしており「アイーン」「ゲッツ」等様々なパフォーマンスでファンを魅了((パフォーマンスの披露のみならず、相手選手への挑発・侮辱にならないか事前に確認をとる気遣いもあった。))。後輩選手に対しても親身になり、高齢と守備難が理由で巨人を退団した際にも「''僕がいては有望な若い選手の出番が減ってしまう''」とチーム事情に配慮したコメントを残していた。また、日本に来る数々の新外国人選手がサポートを求めてラミレスの元を訪れていたことでも知られている。
その他、[[東日本大震災の被災地へ100万ドルの義援金と医薬品を贈る>https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110322-751638.html]]、2000本安打達成後に[[通訳へ向けて感涙させるほどの感謝の言葉を述べる>https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/p-bb-tp0-20130407-1108992_m.html]]((この通訳はラミレス自身の頼みで共に横浜へ移籍した盟友である。))、DeNA監督時代に[[三浦大輔>ばんてふ]]の引退試合で粋な采配を振るう((この試合はシーズン勝率5割がかかった最終戦でもあったが、6回10失点と打ち込まれた三浦に代打を送らず「マウンドの上で交代させたかった」「今日のお客さんが見にきたのは三浦さん」と7回のマウンドに1打者限定で送り出している。結果三浦は先頭の[[雄平>幽閉]]を空振り三振に切って有終の美を飾り、多くのDeNAファンの感動を呼んだ。))、[[障害児を対象としたチャリティーイベントを開催する>https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911270000299.html]]等、人格者エピソードは非常に多い。
しかし前妻との離婚の理由がラミレス自身の[[不倫>供養た]]だと報じられた件、FA移籍した[[山口俊>どすこい]]への辛辣なコメント((2017年7月2日、古巣DeNAに4回9安打6失点と打ち込まれ移籍後初黒星を喫した山口を「''いつもと変わらない山口でした''」と評した件。試合前に「[[タフ>タフな試合]]ないいピッチャー。簡単(に勝てる相手)ではない」とコメントしておいての[[この発言である>熱い手のひら返し]]。))等[[ぐう畜]]な逸話も多い。
//ナゴドの件についてはコラ疑惑が上がってるので一旦削除
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//**海外(MLB他) [#vc7e5c7e]
//-''ジョー・ケリー''
//2023年オフにエンゼルスからドジャースに移籍した[[大谷翔平>さあ大谷だ!]]に自身の背番号を譲ったことで知られる。
//↑NPBとかでもFA加入の選手に番号譲るなんてざらだし、それだけで取り上げるのは弱い
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*関連項目 [#a46dcfea]
-[[ぐう畜]]
-[[ガッツ]]
-[[チック]]
-[[火へんに華]]
-[[なぜ笑うんだい?]]
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&tag(カッスレ,なんJ,尊称);