坂上智代 の変更点

 ''坂上智代''(さかがみ ともよ)は[[CLANNAD県]]の政治家。[[葉鍵社民党]]の創設者にして現党首。
[[ことみん新党]]の[[坂上鷹文]]は実の弟、[[うぐぅ民主党]]、後[[児党]]の[[三島とも]]は腹違いの妹である。

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鍵社民党の創設者として知られるが、政治活動歴自体はさらに古く、早くも学生時代には生徒会長として地元の桜並木保護活動の重鎮を担っていた。同世代の中では葉鍵政界での活動の経歴は最も長いといえる。
政界スレの前身である[[杏さん党]]スレでは、[[藤林杏]]委員長を挑発する発言を繰り返していた。
杏さん党スレで行われたCLANNAD県選挙では、藤林に敗れ、2位となる。なお、[[公芽衣党]]の[[春原芽衣]]は3位だった。

その後、葉鍵政界スレの第1スレとも言うべき「戦時杏さん主義」が立つと、動物保護やオタクの地域格差是正を訴えた。

その後、うぐ民党が活動を停滞させると、野党の側では解散総選挙を求める声が上がると共に、[[全葉鍵超野党連合]]の結成など、超党派の連携の試みが色々と行われるようになった。その中で、坂上は葉勢力を統合して「鍵社民党」から「葉鍵社民党」に発展させ、[[食と福祉を考える会]]との連携を進める一方で「確かな野党」路線を打ち出し、杏さん党や[[眠主党]]などの掲げる野党連合路線とは一線を画した。

[[2008年葉鍵政界総選挙]]では[[智代アフター県]]選挙区から出馬し、2位以下に大差をつけた1位で当選した。

選挙後、杏さん党との融和に動き出す気配もあったが、杏さん党が[[ことみん新党]]などとの協力姿勢に転じたことで、再び杏さん党と距離を置き、「確かな野党」路線を進むことになる。

[[一ノ瀬内閣]]が発足すると、野党として一ノ瀬政権批判の先鋒に立った。

2009年2月に眠主党代表でもある[[水瀬名雪]]総務大臣(当時)が居眠り会見を行うと、追及の先鋒に立ち、結果水瀬名雪は自主辞任することになった。
また、5月には[[一ノ瀬ことみ]]首相のハコモノ予算を追及、追及自体は一ノ瀬政権側が問題の予算をあっさり引っ込めたことで不発に終わったが、かねてより一ノ瀬政権への不信感が高まっていた杏さん党がこの機を見て閣外協力を解消することになった。

[[2010年葉鍵政界総選挙]]では[[智代アフター県]]選挙区から出馬し、再び2位以下に大差をつけた1位で当選した。

その後、今度こそ杏さん党との関係を修復して連立政権を目指す動きを見せたものの、しばらくすると、杏さん党を挑発する発言を繰り返すようになる。

2011年に入り、杏さん党が[[藤林杏内閣]]樹立の構想を提示し、葉鍵社民党にも連立を呼びかけたが、坂上は自らの政策路線を受け入れることを要求し、交渉は平行線を辿った。しかし[[木田恵美梨]]の捨て身の説得を受け、連立参加を決め、[[藤林杏内閣]]が成立した。

[[藤林杏内閣]]では副総理兼防衛大臣となった。

-[[http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/28118/1295430187/]]によると、提示したのは杏さん党というわけでは無く、誰が最初に構想したのかは不明である。