ベルファストの商人【べるふぁすとのしょうにん】
- 2011/9/28アップデート「G15 FirstContract」の一連のメインストリームクエストとして実装された物語の通称。G14S2で実装された、カブの灯台守アスコンのクエストでしばしば語られているビデックなる人物を発端とした事件が原因となった物語である。
- 当のビデック関係の話はちょっとだけ絡むが、本当にちょっとだけである。ていうかもう死んでる。
- もちろんモチーフはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」。がめつい商人のシャイロックが貴族のアントーニオを貶めようとするが、アントーニオが見事無罪を勝ち取ったばかりかシャイロックをやりこめる痛快な喜劇。
- 「胸の肉1ポンドを取るのに、契約にない血は一滴も流してはならない」という有名なセリフは「ヴェニスの商人」を知らない人でも聞いたことがあるフレーズであろう。
- もっとも、「ベルファストの商人」は原作にアレンジを加えた作品であるので、結末は原作とはまったく異なる。
どう違うかは実際にG15をプレイして確かめてみよう。
ストーリー概要
- マビノギの「ベルファストの商人」は、宗教や人種ではなく、貴族と平民という身分の違いから虐げられ、家族を失ったシャイロックの復讐劇である。
- また、この物語は並行してソウルストリームの成り立ちとも言うべきシェイクスピアの物語も同時に進行する。G15の中核となる内容はむしろこちら。
- そのため、物語はシェイクスピアとして過去を追体験し、シャイロック寄りのストーリーで現在を進行させていく。そして、この二つの物語は、最終的にミレシアン(プレイヤー)に収束していくことになる。
- 「ヴェニスの商人」では憎らしくがめついシャイロックが、「ベルファストの商人」では貧しい人々に情厚く、(過去の出来事から憎悪を持っている)貴族には法律を盾に冷徹な振る舞いを見せるという大きな差異がある。本来は欲深さゆえに失敗し、ざまあみろと指弾される役になるシャイロックは、むしろプレイヤーによって同情され、また横暴な貴族達へと義憤を募らせるつくりになっている。
発端
- 物語の発端は、海岸に打ち上げられていた「落し物のネックレス」。これをシャイロックの娘、ジェシカが拾ったことが始まりだった。
物語の展開
- シェイクスピアの予知によって復讐のチャンスを得たシャイロックは、罠にはめてアントーニオが借金を返せないように仕向ける。
- これは、シェイクスピアによってシャイロックが家族に会わせる代償にアントーニオの心臓を要求されていたからである。しかし、シャイロックはそこまで割り切れなかった。アントーニオに、命を奪われるだけの非がないことは彼自身が一番よくわかっていたからである。
- シャイロックの手記にも記されているように、海辺で娘が拾ったネックレスを、戻しておいたほうがいいと言った妻の言葉に「海に落ちてたのでは誰のものかわからない」と、持って帰るよう促したのは彼自身なのだから。
- シェイクスピアは予知によって、シャイロックがアントーニオの心臓を持ってくることができないことを知っていた。それでもなおそうしたのは、直後に提案した「本の中で家族と会わせるかわりにシャイロックの存在を貰い受ける」ためである。シェイクスピアが女神の目を逃れるためには、人間らしい心を持った人間の器が必要だったからなのかもしれない。
- あるいは、その入れ物を奪うために、自らのすべてを差し出してもよいというほどに絶望させるためだったのだろうか。だとすれば、とてつもない非道である。
結末
- 結局、偶然が重なって起きてしまった哀しい出来事に、復讐するに値する相手がいなかったシャイロックは、その心を満たす結末が得られないことは彼自身が理解して、復讐を諦めた。彼がそうせずにはいられなかったのは、それだけ彼が家族を愛していたということと、それだけ家族を奪われた理由が理不尽だったからである。
- 同様に、アントーニオは復讐の無意味さを説きながらも、自らの命を差し出すことでシャイロックの心に安らぎを与えようとした。それは彼の怒りの大きさと、悲しみの深さを理解したからでもある。
- 結局、もっとも報われてほしいであろうシャイロックは、エリンから消滅するという最後をもって「ベルファストの商人」は幕を閉じる(メインストリームとしてはもう少し続くが)。また、自らの命をもってシャイロックの心に救済をもたらそうとしたアントーニオは財産をすべて失って、ベルファスト島から去った。哀しい物語はその当事者達が救われないままという理不尽な結末を見ることにある。
- ハムレット、ロミオとジュリエットに続いて「ヴェニスの商人」をモチーフにした「ベルファストの商人」は、喜劇となるどころかとんでもない悲惨な物語となった。
- 報われて欲しいと誰もが思うであろう人が報われず、他人を上手く利用する者だけが美味しい思いをする。強烈に皮肉の利いた、という意味では実に喜劇的とも言える。