亜刺比亜

Last-modified: 2024-03-27 (水) 11:10:33
明治6年に勧農課が購入し、福島県に送致された。

1.基礎情報

馬名:亜刺比亜(あらびあ)

性別:牡

父:不明

母:不明

毛色:芦毛

生年:1865年(慶応元年)?

死年:1874年(明治7年)

産地:フランス

2.解説

・明治6年、福島県令である安場保和が当時の大蔵大輔に陳情し、大蔵省勧農課が福島県に送致した。

・【資料1】では芦毛と鹿毛の2頭がいるとの記述があるが、芦毛の方だけが当該亜刺比亜であり鹿毛の方は「勧農」であると思われる。

・当該馬の購入時と思われる資料と、死亡時と思われる資料がそれぞれ存在する。【資料2~3】

・【資料3】の配布地が【資料1】と一致し、すなわち御買上した馬であるから【資料2】だという推論である。

・受入後繁殖に供したが、扱いに慣れておらずその成績は芳しくなかった上、ほどなくして病に罹り亡くなった。

・貴重な洋種馬を購入後わずか1年で死なせてしまい、準備の不十分さが目立つ結果となった。

・【資料1】にはフランス産だと書いてあるが、他の資料を見てもその事は確認出来ない。

3.遍歴

・1873(M6):300円で購入し、福島県へ下付した。【資料1】【資料2】

・1874(M7):病死した模様。【資料3】

4.資料


【資料1】福島県産馬沿革誌
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/901145/1/68

明治と変わりその6年に至り県令安場保和氏馬匹改良にはまず洋種馬をもって雑種繁殖の方法を行い、漸次改良進化せしめざるべからずとの趣旨に基づき時の大蔵大輔にその理由を具申し亜剌伯種なる名称のもとに洋種牡馬2頭(芦毛および鹿毛)を下付せられたるを始めとし、その後内務省農務商省及び宮内省等より下付あるいは貸馬せられ又は会社あるいは個人において購入したるもの明治32年までに都合20余り頭なりとす。本県下における雑種繁殖は明治6年西白河郡西部においてこれを行いしも、方法宜しきを得ざるか為その血統を継ぐ者少なく、のち間もなく種牡馬は不幸にして病に罹り斃死するの悲境に陥りしなり。

・馬名:亜刺比亜 種類:不詳 性別:牡 毛色:芦毛 受入時年齢:8 産地:仏国 配布地:西白河郡米村外13ヶ村

・馬名:亜刺比亜 種類:不詳 性別:牡 毛色:鹿毛 受入時年齢:8 産地:仏国 配布地:西白河郡米村外13ヶ村




【資料2】農務顛末 第4巻
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/15

亜刺比亜馬買上の件

(注:おそらく明治6年)8月25日 小柴権中属

8歳5尺

一、亜刺比亜芦毛牡馬 一疋
この代金300両也

右は兼ねて伺い済み有りの候屈強の父馬に御座候間御買上の上早々陸羽の地方へ種馬として相廻し度候間至急御買上相成り候様致し度この段相伺い候也




【資料3】農務顛末 第4巻
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/133

御下渡相成候種馬斃死御届

亜剌比亜産芦毛牡馬 1頭

右は当管内白河郡米村外13ヶ村客歳中産馬法設立追々着手施行罷在候処我邦の馬性軟弱充分の使用ににつき強壮の牡牝馬繁生致させ度依之種馬御買上相願処書面の牡馬当月4月御下渡相成候につき牝馬30頭ほど種付致し候間来春は多少生産も可有之然るに右牡馬当8月中より病発につき種々治療を加え候へども老衰疲弱の体にて遂に去月25日及斃死候よりてこの段御届け申上候以上

明治7年12月13日 福島県令安場保和