野瀬峰道

Last-modified: 2019-05-11 (土) 19:34:41

野瀬峰道(のぜぶどう)、旧名Nordseeburg(ノーセブルク)は名葉の北部に位置する島。また、名葉の行政区画及び同島とそれに付随する島を管轄する地方公共団体である。島としての野瀬峰道は名葉列島を構成する主要6島の一つである。地方公共団体としての野瀬峰道は61都道府県中唯一の「道」で、道庁所在地及び最大の都市は禅樽市。

概要

野瀬峰道
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人口5,681,730人(2019/4)
県庁所在地禅樽市(政令指定都市)
名葉国
地方野瀬峰地方
面積(未公表)

島としての野瀬峰道

野瀬峰本島は、最高標高3,291メートル (m) 、名葉列島を構成する主要6島の一つ。
上記6島の中では、唯一、島名と地方公共団体名が同じで、「道」のみで管轄する島である。 名葉の島の中では本州に次ぐ第2位の大きさである。
古代から中世では一般的に、北東列島を含めて螻戎ヶ島、本島単独では螻戎地、北州、ドイツ系移民の植民地となった近世では灰茶毛人島、茶毛島などと呼ばれていたが、産業革命により植民地産業が困窮し名葉に主権が売却された後は植民地としての名称であるノーセブルク(独:Nordseeburg)を音訳して野瀬峰島、野瀬峰本島と呼ばれるようになった。
なお、地質学や考古学などではノーセブルク島という名称も依然として使用されている。

地方公共団体としての野瀬峰道

野瀬峰本島とその付随する島々、北東列島から成る地方公共団体が「野瀬峰道」であり、61都道府県で唯一の「道」である。道庁は禅樽市に置かれる。
この「野瀬峰道」1道から成る地方を野瀬峰道地方と言い、人口は5,681,730人である。
「野瀬峰道」には16の広大な市町村(10市3町3村)がある。各市町村には政令指定都市である禅樽市を含め計156局にのぼる地域振興局が設置されており、市町村はそれら振興局を総括する"地域"として認識されることが多い。
またこれらの方式及び区分けはノーセブルク植民地時代の区分けをほぼ忠実に踏襲している(例外として恵比寿原市から分離した澪先市や霧掛市、その他新しく分置された12の振興局が挙げられる)。

歴史

名葉国最北にして最大の都道府県。
最も古い記述は8世紀前半の北方大将軍、藻壁允麻呂(もかべのただまろ)による「北戎日記」にまで遡る。
かつては原住民のサプロ族の主な居住地であったが16世紀前半に渡来した聖羅帝国の侵略によって壊滅、以後迫害を逃れた新教徒などにより植民地として開発が行われた。その後長く欧州文化が息づき、養蚕、生糸業で栄えたものの産業革命の煽りを受け没落。
欧州人の多くが本国に撤退する中、代わりに多くの名葉人が移住し現在の野瀬峰の基礎となる繊維工業を発展させ、欧州人との友好のもと現在に至る。