夏侯玄

Last-modified: 2009-01-27 (火) 17:57:21

概要

夏侯(かこう)(ピンインを括弧の中に併記)
玄(げん)(ピンインを括弧の中に併記)
太初()(ピンインを括弧の中に併記)
所属勢力
生没年
209~254(年号を併記)
出身地
最終経歴

略歴

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年表

正史と演義の差異

親交のあった人物

姓名の意味・解説

史家・後世の評価

豆知識


彼の書いた『楽毅論』という戦国時代の将軍を弁護した論文は、流れ流れて東晋の王羲之に写され、さらに流れて日本の光明皇后が臨書して、今では書道をやっている人々によく知られる作品となっています。そこでは字が泰初になってるようです。


柱にもたれ掛かって手紙を書いていたとき、雷が落ちて柱をまっぷたつにし、夏侯玄の着物も真っ黒になったが、涼しい顔で手紙を書き続けていたという。


超美男子。懐に太陽をしまったようだとか(?)表現してる人がいます。

コメント、突っ込みなど(要署名)

  • 高校時代に部活でお世話になりました。(爆丸)