概要
- 姓
- 陸(りく)(Lu)
- 名
- 抗(こう)(Kang)
- 字
- 幼節(ようせつ)(Youjie)
- 諡
- ?
- 所属勢力
- 呉
- 生没年
- 226~274(黄武5~鳳皇3)
- 出身地
- 呉郡呉県華亭
- 最終経歴
- 大司馬、荊州牧
略歴
- 呉の丞相・陸遜の次男、孫策の外孫。父の跡を継ぎ呉に仕える。
- 武官を歴任後、荊州の総司令官として晋の侵攻を防いだ。
年表
西暦 | 年号 | 出来事 |
226 | 黄武5 | 生誕。 |
245 | 赤烏8 | 父の陸遜が死去し、爵位を継ぐ。健武校尉となる。 |
父の罪状について孫権に尋問されるが、誤解を解く。 | ||
246 | 赤烏9 | 立節中郎将となり、諸葛恪と任地を交換して柴桑に駐屯する。 |
250 | 赤烏13 | 次男の陸景が生まれる。 |
251 | 太元1 | 都に上京して病を治す。任地に帰還するにあたり、孫権が父への不義を謝罪する。 |
252 | 建興1 | 孫権が崩御し、孫亮が即位する。 |
奮威将軍となる。 | ||
253 | 建興2 | 諸葛恪が孫峻に誅殺されたため、諸葛恪の姪にあたる夫人の張氏を離縁する。 |
257 | 太平2 | 諸葛誕の乱が起こる。柴桑督となって寿春に赴き、魏の牙門将軍や偏将軍を破り、征北将軍となる。 |
258 | 永安1 | 孫亮が廃され、孫休が即位する。 |
259 | 永安2 | 鎮軍将軍となる。西陵都督となり、関羽から白帝までの軍事総指揮にあたる。 |
260 | 永安3 | 假節を授けられる。 |
261 | 永安4 | 四男、陸機が生まれる。 |
262 | 永安5 | 五男、陸雲が生まれる。 |
264 | 永安7 | 呉軍が旧蜀漢領に侵攻し、永安にて元蜀漢の将・羅憲と戦う。陸抗は援軍として永安に赴くが、魏の胡烈が救援にやってきたため撤退。 |
元興1 | 孫休が崩御し、孫晧が即位する。鎮軍大将軍を加官され、益州牧となる。 | |
270 | 建衡2 | 信陵・西陵・夷道・楽郷・公安の総司令官(都督)となる。楽郷を統治する。 |
271 | 建衡3 | 楽郷城を築く。 |
272 | 鳳皇1 | 西陵督の歩闡が反乱を起こし晋に降る。陸抗は西陵を包囲する。晋の羊コ、楊肇、徐胤らが救援にやってくるが、陸抗は楊肇を破って全軍を撤退させ、西陵城を陥落させて歩闡と一族を処刑する。(西陵の戦い) |
273 | 鳳皇2 | 都護を加官される。 |
大司馬、荊州牧となる。 | ||
274 | 鳳皇3 | 病が重くなったため、死後の荊州の対処や都の問題点などについて上疏する。 |
病のため死去。 |
正史と演義の差異
- 演義では、辺境において敵と通じていると孫晧に誤解され、兵権を剥がれ司馬に降格される。
親交のあった人物
- 朱異
- 吾彦
- 羊コ
姓名の意味・解説
史家・後世の評価
- 陳寿「陸抗は、身を正しく持しつつ将来への見通しを持って行動をとり、父親の遺風をよく受け継いだ。父祖以来の立派な家風を守り、実際の行動ではいささか先人に劣る点があったとはいえ、先人以来の基礎の上にみごとに仕事を完成させることができた者だといえよう。」『正史三国志7 呉書II』(ちくま学芸文庫 小南一郎訳)陸抗伝より
- 吾彦「道名望,抗不及喜,立功立事,喜不及抗。」『晋書』吾彦伝より
豆知識
コメント、突っ込みなど
- たくさん子供を作ったから病気になったのか、病気になりながらもたくさん子供を作ったのか、真相が気になる。(みなと)