出来事・歴史/亜璃亜藩内戦

Last-modified: 2016-06-12 (日) 20:50:55

概要

青龍支社のある亜璃亜藩共和国で起きた内戦。亜璃亜藩北部で共産政権が樹立したことを発端とした第1次亜璃亜藩内戦と、高木将軍の圧政に市民が蜂起したことが発端の第2次亜璃亜藩内戦が起きている。青龍支社の動画で内戦といえば、一般に第2次のほうをさす。

前置き

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1950年、ウナム初代大統領のもと、亜璃亜藩共和国が建国された。ウナムは強権的な政治を行ったが、経済へのテコ入れはうまく行かず、市民から不満が高まっていた。

第1次亜璃亜藩内戦

1952年、亜璃亜藩北東部の東山(とうやま)市で労働者が突然反乱を起こし、亜璃亜藩共産党が誕生した。しかし、西側に属した亜璃亜藩共和国において、共産政党は承認されるわけもなく、ウナム大統領にとっては目の上のたんこぶにすぎなかった。共産党は青龍地区の一部にも勢力を拡大したが、ウナム大統領は共和国軍に対して鎮圧を命じた。以後、共産軍と国軍は2年にわたって戦火を交えたが、最終的に国軍の勝利に終わった。共産軍に加担した者の大半は処刑され、あるいは政治犯収容所に送られたが、以後、東山地区と青龍地区は革新派の地盤となった。

高木政権誕生まで

その後もウナム大統領の執権が続いたが、有効な経済政策を打ち出せないまま、1958年に憲法の大統領三選禁止規定に基いて退任。以後、50年の安寧を迎え、人々の生活は少しずつながら豊かになった。

第2次亜璃亜藩内戦

高木政権誕生から内戦まで

2010年1月、陸軍の高木将軍(当時少将)がクーデターを起こし、実権を握った。リーマン・ショックによる不況で経済は低迷し、国内は混乱していた。高木将軍は経済再建を掲げ、同年12月の大統領選挙で当選を果たしたが、国民の支持は得られておらず、不正選挙を主張する声が多かった。この頃には政府は共産派や革新派にも宥和的だったが、高木は態度を一転し、それらを反体制派として吊し上げ、次々と弾圧した。また、政策も強引そのものであり、ブラック労働を推し進め、浮浪者を強制収容所に連行した。上官であるはずの黒井中将をも反逆の疑いをかけては追放した。2013年には青龍地区で大規模な暴動が起こると、ゼネストやデモが相次ぎ、2016年には20万人が民主化運動を起こし、政府軍と衝突するにまで至った。

内戦の始まりから1度目の停戦まで

高木将軍暗殺、星野中将執権へ

内戦末期