人物・バンド【セックス・ピストルズ】

Last-modified: 2009-02-03 (火) 13:48:23
 

読み方:せっくす・ぴすとるず
別名:ピストルズ
【英】 SEX PISTOLS


パンクロックを象徴するイギリスのバンド。
ピストルズの最初のメンバーはジョニー・ロットン/Johnny Rotten、本名ジョン・ライドンJohn Lydon(vo.)、スティーブ・ジョーンズ/Steve Jones(g.)、グレン・マトロック/Glen Matlock(b)、ポール・クック/Paul Cook(Dr.)の4人。
ロンドンにあったマルコム・マクラーレンの経営するブティック「セックス」の常連客が結成していたスワンカーズの解散後、新たなメンバーを追加してパンクバンド、ピストルズを結成させる。それが上記の彼ら4人。

75年11月、セント・マーチン美術学校でのライブで活動を開始したピストルズは、挑発的な言動などによりライブのたびに大騒ぎを起こし、ライブハウスから出入り禁止を命じられることもしばしばあった。

76年にEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」でデビュー。
しかし、過激な歌詞が問題となり放送禁止に。
EMIは契約破棄を通告、EMIとの契約を破棄。
その後、ベースのグレン・マトロックがクビになり、代わりにジョニー・ロットンの親友であるシド・ヴィシャス/Sid Viciousが加入。

77年3月、A&Mと契約を取り付けレコーディングを開始するもピストルズとの契約を破棄。
同年5月にバージン・レコードとの契約が決まり、シングル「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を発表。
この曲もまた放送禁止となる。
1週間で15万枚のセールスを記録しヒットチャート1位を獲得するが、チャートに掲載された1位の曲名は空白のまま。

77年10月に最初にして最後となるオリジナルファーストアルバム『勝手にしやがれ!!』をリリース。
ピストルズとパンク人気は頂点に達する。
しかし78年の1月、アメリカツアーを行うがたいして評価も得られず、サンフランシスコで終了したツアー直後、ジョニー・ロットンは脱退。

ロナルド・ビッグズ/Ronald Biggsをボーカルに迎え、NEWセックス・ピストルズとしてシングル「ノー・ワン・イズ・イノセント/マイ・ウェイ」をリリース、また『グレート・ロックンロール・スウィンドル』(1978)等の編集アルバムを発表するが79年2月にシドがヘロイン中毒により死亡し、ピストルズは実質上の解散。

また、96年にベースにグレン・マトロックを復帰させて一時再結成しワールドツアーを行い来日を果たす。
2002年の夏には二回目の再結成。
イギリスとアメリカで2公演行い、2003年夏にはアメリカツアーを行う。
2007年11月、四回目の再結成を行い、ワールドツアー。
2008年、サマーソニックに出演。オノチンも日本公演を観に行っている。

オノチンピストルズ好きで、「アナーキー・イン・ザ・UK」やシドが歌ったカバー、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)を演奏している。