イギリス軍車輌

Last-modified: 2017-05-04 (木) 19:54:13

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ユニヴァーサルキャリア

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ユニヴァーサルキャリアは、世界的なヒット商品となったカーデンロイド豆戦車の派生型の一つ、カーデンロイドキャリアの影響を受けヴィッカース・アームストロング社が開発した装軌式汎用輸送車である。なおカーデンロイド豆戦車を開発したカーデン・ロイド社は1928年にヴィッカース社に吸収されており、ユニヴァーサルキャリアはカーデンロイド豆戦車の直系といっても良い。

ユニヴァーサルキャリアは、歩兵支援用の共通車台として、ヴィッカース機関銃、ブレン軽機関銃、ボーイズ対戦車ライフルなどの各銃火器搭載バージョンや、3インチ(76.2mm)迫撃砲とその射撃要員を搭載する自走迫撃砲としても使われた。また、2ポンド対戦車砲を搭載したバージョンもあった。しかしながら6ポンド対戦車砲の搭載には無理があり、その場合は牽引車として使用された。だが後に登場した17ポンド砲は3トン弱もあり(6ポンド砲は2.5トンほど)重すぎてユニバーサル・キャリアでは牽引できなかった。

ユニヴァーサルキャリアは、前面と側面に武器を搭載でき、小火器弾や榴弾・手榴弾の破片程度であれば防御できる程度の装甲を備えていたが、上面は完全に開いており、また側面の装甲板上下の高さが不足気味で、兵員が立った場合には精々肩の位置ぐらいまでしかカバーできなかった。そのためジャングルでの白兵戦闘や切り込みを得意とする日本軍との戦闘の際、日本兵がユニヴァーサルキャリアに飛び乗って乗員を殺傷したという事例も起きている。

しかしながら、ユニヴァーサルキャリアはイギリス国内だけで約57,000輌が生産、カナダのフォード・カナダでは28,000輌が生産され、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどでも生産が行われた。詳細な総生産台数は不明である。多くの車両がヨーロッパに送られて、連合軍で幅広く使用された。ソビエト陸軍にも1941年から1945年までの間に2,008輌がレンドリースされ、主に偵察部隊で用いられた。


ベッドフォード OYD

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ベッドフォード OYDは大戦期にイギリスのボクスホール社で開発され、
イギリス軍およびイギリス連邦軍で運用された軍用トラックだ。
名前の由来は車会社ボクスホールの子会社で、商用車を製造していたブランド「ベッドフォード」からきているぞ。

(ちなみにボクスホール社はチャーチル歩兵戦車の原型A22の改良・量産も行っているぞ!)

元々は民間用として製造されていたベッドフォードOシリーズの改良型で、堅実な設計のボンネットトラックだったが
軍用に汎用カーゴトラックとなった。
1939年から1945年にかけて総計72,385両が生産され幅広く使用された。
戦後も引き続き使用され、1950年代中旬以降になって、ベッドフォードRLにバトンタッチした。


ヴァレンタインMk.Ⅰ

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 ヴァレンタイン歩兵戦車は、巡航戦車Mk.II(A10)をベースとしてヴィッカース・アームストロング社が私案として設計した戦車である。この経緯のため、Aナンバーは振られていない。
 巡航戦車Mk.IIからの車体部品を流用し重量を同程度に抑えつつ、装甲を歩兵戦車ほどに強化するため、ヴァレンタイン歩兵戦車は必然的にその小さな車体に機構を詰め込んだものとなり、拡張性は皆無であった。完成した戦車は、マチルダMk.IIよりは装甲が薄く動力も弱く、速度は同程度であったが、鋳造したあとに内部をグラインダーで削るなどの工程のあるマチルダMk.IIよりも低コストで、かつ大量生産に適していた。
 もちろん、イギリス陸軍省は当初、拡張性のない小さな砲塔と乗務員コンパートメントの小ささから、この設計を制止したが、ヨーロッパ戦線の戦況から最終的に1939年4月に設計が承認された。1940年5月には試験が開始されたが、この時期はダンケルクの撤退によるイギリス軍装備の大量損失と重なっていた。試験は成功しヴァレンタイン歩兵戦車はすぐに量産に移された。

 ヴァレンタイン歩兵戦車はイギリス陸軍、ソヴィエト陸軍で主に活躍し、その信頼性の高さと防御力を評価されている。特にソヴィエト陸軍においてはその軽量さからくる雪中踏破性能、安定して使用可能な通信機、扱い易いMk.4ペリスコープ(これは後にコピーされソ連戦車に装備される)、装甲の強度などを絶賛されたが、足回りの脆弱性、榴弾が用意されていないこと、サスペンション、防盾、エンジングリルなどが破損しやすいことなど、いくつかの欠点も指摘されている。

 また蛇足だが、火力強化型のヴァレンタインは主砲搭載容積の関係上同軸機関銃が搭載されていなかったのだが、ソヴィエト陸軍ではこのことがかなり不評であった。2ポンド砲搭載型では同軸機関銃と2インチ車載迫撃砲を主に使用していたためである。なおこの2インチ車載迫撃砲、イギリス陸軍は煙幕弾を発射する為に使用していたが、ソ連軍は主に榴弾を撃ち出すために使用していた。使い勝手はかなり良かったようで、ドイツ軍の50mm迫撃砲弾も使用できたそうである。


マチルダMk.Ⅱ

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本車は英国が独自に開発した「歩兵戦車」として2番目に開発された戦車で試作時には
A12歩兵戦車の名称が与えられていた。このマチルダMk.Ⅱの最大の特徴は何と言ってもその
分厚い装甲で車体前面で最大78mm砲塔前面では75mmにも達しており、ドイツ軍主力戦車で
あったⅢ号戦車の最大装甲厚が14.5mm、ポーランド戦の戦訓から追加装甲を施しても30mm
であったことを考えるとマチルダが如何に重装甲であったかがよく分かるだろう。
ただ、引き換えとして機動力は低くエンジンにはロンドンバスに用いられていたエンジン
を並列に搭載したAEC社製「E148」ティーゼルエンジン(2基合わせて174hp)が採用され
最高速力は24km/hと非常に遅かった。これは、歩兵戦車の任務はあくまで歩兵支援であり
敵の攻撃を受けやすい性格上装甲能力を重視し歩兵の進撃速度に合わせられる程度の速力で
十分と考えられたためである。そして、戦車にとって重要な要素である主砲には2ポンド戦車砲
(口径40mm)が採用され対装甲貫通能力ではドイツの3.7cm戦車砲とほぼ互角の性能を持っていた。
だが、この戦車砲の欠点は対歩兵戦や陣地戦で有効な榴弾がないことでこれは多くの戦車兵たちを
落胆させる要因となった。ただ、これには理由がありマチルダMk.Ⅱはあくまで「歩兵部隊に接近する敵戦車」
を撃退することが求められており歩兵支援としては7.7mmないしは12.7mm機銃を装備した初の歩兵戦車である
「マチルダMk.Ⅰ」の任務で榴弾がないのは当然であった。また、歩兵支援には戦車戦支援のために煙幕弾を発射
するマチルダMk.ⅡCS型(近接支援型)の3インチ榴弾砲が榴弾を撃てたため、こちらが対陣地戦などで活躍することとなった。
これらの利点と欠点を抱えたマチルダMk.Ⅱの初陣は1940年のフランス戦での「アラスの戦い」でこの戦闘で
マチルダMk.Ⅱの数は少なく主体はマチルダMk.Ⅰであったものの圧倒的な防御力でドイツ軍を翻弄し
ドイツ軍は最終的に8.8cm高射砲や大口径榴弾砲の直接射撃でようやく撃退に成功した。
そして、マチルダMk.Ⅱの次の戦地となったのは北アフリカであり初戦で進行してきたイタリア軍
の37mm対戦車砲を尽く跳ね返し「戦場の女王」(周囲に居る歩兵を蟻に見立てての表現)とも称されるに至った
しかし、1941年2月にドイツ軍が派遣されると状況は変わり始め当初はドイツ軍戦車の砲撃にも耐えていたものの
Ⅲ号戦車に強力な5cm戦車砲が搭載され硬芯徹甲弾(APCR)が使用されるようになるとマチルダの重装甲といえど
十分ではなくなり1942年7月の第23機甲旅団に所属する4両のマチルダMk.ⅡCSがルウェイサト・リッチへの
突撃に投入され3両が撃破された。この戦いで生き残った1両のマチルダが第二次大戦で英国が投入した最後の
マチルダだった。しかし、マチルダの生産は継続され多くの車両がオーストラリア軍に引き渡され
対日戦で活躍することとなる。南方のジャングル地帯では泥や草木が履帯に詰まりやすくマチルダにとって
理想的な戦場ではなかったものの、その防御力を遺憾なく発揮し日本軍の大口径榴弾砲のゼロ距離射撃
にも耐えきり履帯に直撃弾がない限りにはマチルダは戦い続けることができたのであった。その後も
ひっそりとではあるがマチルダは運用が続けられ1955年までオーストラリアの市民防衛隊の手によって
運用されその生涯を終えることとなった。生産台数は2890両となっている。


クロムウェル Mk.Ⅲ/Ⅳ

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 巡航戦車Mk-1から続くイギリス軍の巡航戦車では優等生だと言える巡航戦車。車体番号はA27
 1941年、英陸軍は新型巡航戦車の開発をメーカーに要求、これに対してレイランド社は本車を完成させた。しかし、肝心のエンジンが一向に回ってこなかった...。それもそのはず、A27に搭載予定のミーティアエンジンの原型はご存知RAFの主力戦闘機「スピットファイア」の心臓部であるマーリンエンジンであった。当時RAFはルフトバッフェと死闘を繰り広げており、状況から見て陸軍にマーリンが回ってくる訳が無かったのだ。加えて、数少ないミーティアも戦車用エンジンとして使うには改良が必要であり、ミーティア搭載が前提の本車の開発は難航、最終的にA27とライバルのA24を足して2で割った「キャバリエ」が採用された。「キャバリエ」は本命であるA27までの繋ぎであった。ようやくミーティアが実用レベルに達した頃には既に英陸軍の主力はM4シャーマンになっており、せっかく苦労したのに完成しょっぱなから「いらない子」となってしまった...不遇である。
 しかし、性能は悪いわけではない。ボルト止めの装甲は砲塔正面で102mm、一枚板の装甲より多少強度は落ちるが巡航戦車としては相当な重装甲である。主砲は従来の6ポンド砲、MK-4以降は75mmQF砲が搭載され火力も大幅に強化された(ねんがんの りゅうだんを てにいれた!)。さらに速度も51km/h~64km/hと優秀で、走攻守のバランスが取れた洗練された戦車だった。ノルマンディー上陸作戦で初陣を飾り、活躍を期待されたのだが・・・・・・・

 

ヴォル:「奴ら、もう勝った気でいやがるな。」
ヴィットマン:「そうらしい、では教育してやるか。」

 

 そう、ヴィレル・ヴォガージュの戦いでヴィットマンの駆るティーガーⅠに1個大隊分のクロムウェルが全滅させられてしまった。このエピソードが有名になり、完全に「やられメカ」の烙印を押されてしまったのだった。
 大戦後の朝鮮戦争では中国義勇軍に鹵獲され、自分の孫ともいえるセンチュリオンと撃ち合ったり、第1次中東戦争ではパレスチナ駐留軍のクロムウェルがイスラエル兵に盗み出され、こき使われたりと誕生から退役まで散々に不幸な目に逢い続けたのであった。


チャーチルMk.Ⅲ

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第2次世界大戦勃発直後、マティルダII歩兵戦車の後継として開発を命じられたのが本車である。開発時の名称は歩兵戦車「A20」(のちにA22)。本車に求められたのは高い悪路走破性および超壕力であり、それらを満たそうとした結果、第一次大戦時の菱形戦車を思い起こさせるようなデザインになってしまった。試作車両は変速・操向機のトラブルに悩まされ、一度不採用となったが、ダンケルク撤退後の差し迫った状況(ドイツ軍による英国本土上陸に対する警戒が高まっていた)から、本車の量産に向けた準備が始まった。それに際し、本車は「A22」として認定。さらに、戦意高揚の意味を込め、時の首相の名前から「チャーチル」と命名された。配備直後は機械的なトラブルに悩まされたが、メーカー側の綿密なバックアップ体制によって改善され、実戦投入された1942年には、既に高い機械的信頼性を獲得していた。以降、本車はディエップ上陸作戦や北アフリカ、イタリア、ノルマンディなどで活躍し、第二次大戦終了後は朝鮮戦争においても活躍した。(2003年のイラク戦争においても目撃情報があるが詳細は不明)
 本車は重装甲と高い登坂能力を誇るが、エンジンが低出力であるために最高速度は路上で24.8km、不整地で12.8kmとかなり遅い。また、ティーガー戦車と同様、超信地旋回が可能であった。本ゲーム登場するMk.Ⅲは、角ばった溶接砲塔に6ポンド砲(57mm)を装備し、副武装として砲塔と車体にBESA機関銃各1挺を装備していた。また、それまでの型とは違い、キャタピラにフェンダーが取り付けられるようになった。


M3 グラント

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1940年英陸軍は深刻な戦車不足に陥っていた。当時の英陸軍は同年6月のフランスでの敗北により大量の戦車を失っておりリビア駐留の伊軍のエジプト侵攻の可能性や独軍による英本土上陸作戦の脅威もあり戦車戦力の回復は急務であった。
そして英陸軍は足りない戦車を米国に生産を依頼する方法を考え、同年8月には「戦車購入使節団」を送り米国との交渉を行った。当初使節団は「英国製戦車を米国にて生産する」との考えを米国側に打診したが米国は自国戦車の配備に支障が出るとして拒否し、当時生産していた「M3中戦車」を始めとする米国製戦車の提供を英国側に提案した。英国側は難色を示したものの妥協案として「英陸軍の仕様車両の生産」を提案米国はこれを承諾し英陸軍仕様のM3中戦車「グラント」の開発が行われることとなった。
グラントは基本的に米軍仕様のリーと変わりない車両であったが改良点の1つが防御力の総合的な強化であった。
37mm戦車砲を搭載する鋳造砲塔はリーのものより背を低くし車長用の7.62mm機関銃を有する銃塔を廃止し両開き式のハッチに置き換え被発見率の低下を図った。また、砲塔の装甲厚もリーが全周50.8mm,上面22.2mmであったのに対しグラントは全周76.2mm,上面31.7mmに増厚されており直接の防御性も強化を図っていた。
また、この他の改良点としては
・ピストル・ポートをリーより2箇所追加(左側面前方と右側面後方)
・戦車の砲塔に無線機を搭載するのが慣例であったため、砲塔後部に無線機とそれを収めるバスルを追加
・一部の車両に砲塔全部右側に2インチ発煙弾発射機を追加
・37mm戦車砲搭載砲塔に取り外し可能な対空用銃架の取付具を追加
等がある。
最終的にグラントは42年8月までに1001両生産されリーと合わせて2653両のM3中戦車が英陸軍に配備されている


シャーマンⅤC ファイアフライ

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第二次大戦中連合側で最高クラスの性能を誇っており、ティーガーなどの新型戦車を正面から撃破する能力を誇った17ポンド砲であったが、イギリスではいかんせん扱いに苦労していた、なにせ6ポンド砲何かと比べても大きく、重く、歩兵が運用できる物ではなくなって居た、しかし一々車両で牽引するのでは攻撃時には使いづらい事この上ない。
そこで当然戦車搭載案が出たのだが、今度はイギリスの戦車に搭載できる戦車がいない、当時のイギリス戦車は鉄道輸送の都合上砲塔リングが小さく、余裕が無かったのであった。
そこで注目されたのが当時アメリカから送られてきたいたM4シャーマン、内積に余裕があり、砲塔リングも大きく、拡張性が有った、最初こそ上層部は難色を示したものの(当時上層部はチャレンジャーを推していた)ダミーを搭載した車両で有効な案と認められ、生産が開始された。
この車両は当時非常に驚異であったドイツ軍新型戦車に正面から対抗できる火力を持っていたが装甲面ではシャーマンから進歩はなく、更にその長砲身と派手な発射炎で目立ち、ドイツ軍からは優先破壊目標とされた、また圧倒的な貫通力を誇るAPDSでは有るが技術的に未熟でサボ(弾芯を覆う筒、爆薬のエネルギーを受け弾を加速させ、砲身から離れた後は空気抵抗で分離する)が上手く分離されず、遠距離での命中精度が不安定であった、その為通常型のシャーマン等が前面に出て敵をおびき寄せ、そこにファイアフライが攻撃をかけるなどの戦法が使われた、また、砲身が短く見えるように模様を書いたり砲身途中にダミーマズルブレーキを付けたりと努力があったようだ。


A41センチュリオン

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第二次世界大戦までのイギリス陸軍では、戦車を機動戦に使用する高速力の巡航戦車と、重装甲で歩兵を援護する歩兵戦車に分けて開発、運用していたが、北アフリカ戦線や西部戦線でのドイツ軍との戦闘で、巡航戦車は装甲の貧弱さ、歩兵戦車は機動力の無さが明らかになった。また、ドイツ軍の重戦車を撃破可能な17ポンド砲は砲塔が狭すぎ搭載できなかったため、巡航戦車と歩兵戦車、それぞれの長所を兼ね備えた強力な戦車の開発が進められた。
その開発はA41重巡航戦車として始まり、イギリス国内での鉄道による輸送を考慮した車幅制限が撤廃された。これにより大直径の砲塔リングが使用可能となったことで17ポンド砲を搭載し、ドイツ軍のティーガー重戦車と正面から撃ち合える火力と装甲を持った。厚い装甲を備える事を最優先にし、サスペンションなどは保守的な部分を残していた。
原型20輌は、ミドルセックスのAEC社に1944年に発注され1945年に最初の6輌が完成したが、最初の戦場になる筈だったベルギーへの輸送中にドイツが降伏したため、本格的な戦闘は経験しなかった。

 

1-10号:呼称A41、17ポンド砲、20mm ポールステン機関砲
11-15号:呼称A41、17ポンド砲、7.92mm ベサ機関銃
16-18号:呼称A41S、77mm 砲、7.92mm ベサ機関銃(砲塔後部)
19、20号:呼称A41S、77mm 砲、7.92mm ベサ機関銃

 

2016年現在、本シムは西部戦線に送られた1-10号車と、ベサ機銃を搭載した11-15号車を両方共実装する唯一の戦車ゲームタイトルである。


コメント欄

  • 以前からここを見ている者です。このたび、時間があったのでチャーチル戦車の解説を書かせていただきました!拙文ですがよろしくお願いします。 -- tzf12? 2014-01-28 (火) 21:55:34
    • 解説追記ありがとうございます! 閲覧数の少ないWikiですが、今後ともよろしくお願いします。 -- 2014-01-30 (木) 00:31:00
  • グラントの解説追加しました -- 61式? 2014-10-07 (火) 12:57:11
    • リーに続いてグラントの解説!どうもありがとうございます! -- ぱんふろ@記事主? 2014-10-08 (水) 01:47:08
  • ファイアフライの説明を記入、問題があったら修正お願い致します -- 英戦車愛好? 2016-08-09 (火) 11:48:57
    • 増援に感謝 -- 2016-08-09 (火) 14:00:22
  • ベッドフォード OYD の説明を追加させて頂きました -- 2016-08-09 (火) 19:11:58
    • コンバットチョロQ風雰囲気が不適切なら変えておきます。 -- 2016-08-09 (火) 19:13:25
      • そういう解説もここには多いので気にしないでいいかと -- 2016-08-09 (火) 23:49:28
  • 今更ながらコメント欄からイギリス軍車両ページに飛べるように編集 -- 2016-08-16 (火) 18:44:14
  • クロムウェルの解説追加。駄文につき修正願う。 -- 補充兵(15歳)? 2017-02-04 (土) 14:32:35
    • 解説追加に感謝( `・ω・´)ゝ ちょっと修正。 -- 2017-02-04 (土) 16:04:32
    • クロムウェルっていうほど性能悪いか?いい戦車やん。と思ってたクロムウェルファンワイ歓喜 -- 2017-02-04 (土) 16:17:13
    • 巡航戦車シリーズの真の強みは戦術的強さより作戦地域への展開が早いっていう戦略的強さだよね。 -- 2017-02-04 (土) 19:14:34
    • 修正感謝!やっぱりクロムウェルいいですよね。単純なカタログスペックだけならM4以上だと思ってます。 -- 補充兵(15歳)? 2017-02-04 (土) 19:25:55
    • 武装もサイズに制約かけられてたからねぇ。コメットは好評だし、戦場と相手に恵まれなかった不幸な戦車じゃなかろうか?(ただし生産性が良いとは言ってない) -- 2017-02-05 (日) 13:43:27
      • まぁ数はやたらめったら大量に作られて色々な車両に利用されてるし多少はね?最終的には20ポンド砲とかまで積んでるわけですし -- 2017-05-04 (木) 19:54:13