BMW R-12
Sd.Kfz2 ケッテンクラート
オペルブリッツ
キューベルワーゲン 82型
1930年代、フェルディナント・ポルシェ博士(戦車業界的にはわけのわからないスーパー戦車をたくさん考えたことで有名。モーターで走るエレファントとか。)は「国民車構想」を立ち上げた。2人の大人と3人の子供が安全に乗れて、運転もメンテナンスもしやすい...それがフォルクスワーゲンだった。1939年のベルリン・モーターショーで殿堂入りしたが、すぐに戦争が始まり国民の手には渡らなかった。フォルクスワーゲンのシャーシを利用して作られたのがキューベルワーゲンである。ドイツ軍を代表するキューベルワーゲンは構造がシンプルで量産がきいた。キューベルはバケツの意味である。米軍のジープとよく比較されるが、もともとキューベルワーゲンは四輪駆動車ではないし...文献により評価はまちまちである。ただ軽いため、沼にハマっても簡単に押し出せた。ちなみにメーターは速度計だけで、燃料タンクも丸見えである。兄弟分に水陸両用のシュビムワーゲンがある。まぁ当然のことだが、さすがに大人5人乗るのはキツイらしい。
鉄板貼り付けて鉄の筒前に突き出して塗装して十字を書くなどした改良を加えた、ロンメルのハリボテ偽戦車バージョンも存在する。。大群に見せかけるために作ったようだ。他にも、担架を載せる救急車タイプ、擬似砲塔を付けた訓練用戦車タイプ、砂漠で沈まぬようにバルーンタイヤに換装したものもある。地上攻撃機(ヤーボ)による空襲が激しくなるとすぐ逃げられるようにドアを取ってしまったのもあるようだ。
戦前は今と違って、庶民にとって自家用車を持つなど夢のまた夢であった。これではいかんと考えたドイツのヒトラー総統は、ドイツの自動車メーカーに庶民でも買える「国民車」の制作を命じた。そうして誕生したのが有名なフォルクスワーゲンだ。そうこうするうちに第二次世界大戦が始まり、今度は大量の軍用車が必要になった。そこでフォルクスワーゲンの構造を更に簡便にした軍用車、キューベルワーゲンが誕生したのである。この車は大量に生産され、第二次世界大戦中ドイツ軍の現れる所に全て持ち込まれた。アメリカのジープのように四輪駆動ではなかったが、車体が軽かったので相当な荒れ地でも走破することが出来、耐久性もあり、兵隊には好評だった。ただし運転席、ダッシュボードのすぐ奥が燃料タンクだから、運転席での喫煙は厳禁だった。
因みにトーションバー(ねじり棒)サスペンションを発明したのは(あのマッドサイエンティストなことで定評のある)ポルシェ博士である。具合がいいのでハーフトラック、戦車と使われた。これのパテントで(有)フェルディナント・ポルシェ社はなんとかやっていけたのであった。
キューベルワーゲン 82型(無線車)
Sd.Kfz232 (6-rad)
Sd.Kfz234/2 プーマ
Sd.Kfz250
Sd.Kfz251/1
装甲兵員輸送車は、戦車部隊の進撃速度に合わせて歩兵を運ぶ車両である。それなりの機動力と防御力が必要だ。
第一次世界大戦では、戦車は歩兵の速度に合わせた。「戦場の女王」は歩兵であり、戦車は「戦場の女中」と言われていた。二次大戦中でも古い思想のまま進化しないで変なもんばっか作ってた国いますけどね。
新戦術の発明によりこれらの立場が逆転したのが二次大戦である。sdkfz251(ゾンダークラフトファールツォイグ・特殊用途車両251番)は、電撃戦を代表するもののひとつである。とはいえ、1940年のフランス戦では歩兵の一割くらいしか使えなかった。後は歩き。
sdkfz251は、3tハーフトラックを装甲化したものである。half-track(半分-履帯)は全装軌車より安く作れ、しかも車輪だけの車より悪路走行力が高かった。が、ドイツのは凝りすぎていた。履帯一つ繋げるにしても6パーツも必要だったり、その履帯一つ一つも形が凝りすぎて手間暇掛け過ぎだったり、ハンドルを大きくきると左右の履帯のスピードが変わり、曲がりやすくなるという複雑な足回りなど。ハンドルは装甲に合わせて下向きになっている。この251型は、A型、B型、C型と改良を重ね、D型からは我に返り生産性を上げた。車両後部の出入口の扉のあたりが、それまでは複雑な面取りだったのに対し、シンプルに面一枚で構成した。
兵士の乗るスペースは12人乗りにしてはかなり狭く、兵士が外に出やすいようにオープントップになっている。戦車は戦争が進むにつれ重装甲化していったが、sdkfz251は元のままだった。確かにむき出しよりはマシなんだろうが...。にしてもなかなか良く出来ていたので、各部隊には引っ張りだこだったようだ。だから終戦まで全歩兵に行き渡ることはなかったとか。
製造メーカーの名前をとってよく「ハノマーク」と呼ばれるSd.Kfz251は、上記にもあるが、正式には「装甲兵員輸送車」と言う。戦車部隊を支援する歩兵を運ぶために作られた車両で、戦車と同様、道の悪いところや原野でも同じ速度で走れる上、戦車と同等の防御力を備えていることを要求されていた。ということで、この車両が登場した時、戦車の装甲版も正面14.5mm、側面8mm程度で、装甲ハーフトラックの装甲と同じだった。ところが戦車の装甲はどんどん厚くなり、A型、B型、C型と改良を重ねて、D型が戦場に現れた頃のドイツ戦車の正面装甲は、既に80mmになっていた。ところがハーフトラックはまだ14.5mmのまま、これでいいのか、戦車はズルイ。でもこれで良かったのだ。D型は終戦まで設計の変更もなく1万両も生産された。
Sd.Kfz251/10
Sd.Kfz 251/9 カノーネンワーゲン 初期型
Sd.Kfz 251装甲兵員輸送車に7.5cm/L24を搭載した火力支援車両である。開発の発端はⅣ号戦車が長砲身7.5cmに換装していったため、旧来の7.5cm/L24が余るようになり、これを活用する装甲車両が求められたためである。
本来、歩兵支援を主任務とするⅢ号突撃砲も対戦車戦闘を行うために長砲身化してしまったため、有効な歩兵支援を行える本車は歩兵たちに強い支持を受けた。
Steel Furyでは本家で人気(?)なのか、車内モデルに至るまで非常に細かく作り込みがされている。専用ミッションをプレイした際には是非じっくりと車内を見回してみて欲しい。