ジェミー(ストーリー)

Last-modified: 2018-10-23 (火) 00:14:18

ジェミー

3385年 「記録」

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小型デバイスが軽快な音と共にメールの受信を知らせた。
男は受信したメールを開く。
送信者の欄には、既知のアドレスが表示されている。
そのことには特段気に掛けず、男はメールの内容を閲覧する。
 
■■受信:三三八五年 雨月十日 03:01
ケイオシウム次元干渉実験中に、干渉した次元から超小型生命体の捕獲に成功。
この超小型生命体は空気中で生命活動を行うことができないため、仮死状態での採取が適切であった。
後日の観測により、この超小型生命体は他の生命体の血液、またはそれに準ずる液体の中でのみ生命活動が可能である。
 
超小型生命体の詳細な観測を行うために、動物実験を開始。
初期段階で、この超小型生命体が寄生生命体であることが判明。併せて、寄生した生物の免疫力を爆発的に高めることも明らかになった。
宿主の衰弱による寄生不可能状態を回避するためであろうと推察される。
 
人体への影響を調査するために、寄生生命体を自身に投与。
12時間が経過した現在、体調不良等の兆候を確認することはできず。
引き続き経過を観察する。
 
本メールには動物実験の計測データを添付する。
使用した動物に関しては、No.884に記載した鳥類に類似した地下生息型生命体のデータを参照されたし。
■■
 
このような文章と共に、動物実験の計測データなどが送られてきた。
男はそのデータをデバイスから抽出すると、強固なセキュリティが施されたメインフレームへと送信した。
 
■■受信:三三八五年 雨月十六日 17:22
寄生生物を体内に投与してから48時間が経過。心身共に不調も無く、いたって健康である。
計測器から得られたデータによると、寄生生命体は人体から排出されないよう、寄生後24時間以内に好中球などの免疫担当細胞へ擬態したことを確認。
 
追加実験として、297日前に発見した肝機能障害を引き起こす細菌を自らに投与。
細菌の詳細については、No.762の資料を参照のこと。
 
本メールには、寄生生命体の人体内における活動記録を添付する。
■■
 
いつ、どのようなタイミングで送られてくるかわからないメール。送り主が何故メールを送り続けているのか。その理由もわからない。
そのメールを保管することを、男は誰かに依頼されたわけではない。
そもそもこのデバイスは「好きに使ってもらって構わない」という言葉と共に、メールの送り主から渡されたものだ。
だから、男はこのメールを好きに使うことにした。メールの内容は男が目指す理想に必要なものであった。
だから男はメールを保管する。自身のために。未来のために。
 
■■受信:三三八五年 雨月二十一日 09:36
肝機能障害を引き起こす細菌を投与してから24時間が経過。肝機能に異常は見られず。 細菌の検出を試みたが、検出されず。
 
計測器のデータによると、細菌投与から12時間後、寄生生命体が免疫機能に類似した働きを示し、当該細菌を全て駆逐した模様。
 
本メールには、細菌と寄生生命体の動向を観測したデータを添付する。
■■
 
このようなメールが届き始めたのは、今から一年ほど前だ。
最初は何者かが誤送信したものか、もしくはデバイスの故障だろうと思った。
だが、送られてくるメールの論調、そして添付される資料に時折映る人体データや生体情報は、今はもういないデバイスの所有者のものに酷似していた。
男は、このデバイスの所有者が何らかの方法で、研究メモや手記のようなものを送信しているのだと確信した。
 
■■受信:三三八五年 風月九日 22:47
動物実験の追加検証による、寄生生命体の危険性について。
 
人体実験と平行して動物実験も行っていたが、実験に使用していた動物が死亡。
原因は、寄生生命体の過剰な増殖によるものであると判明。
 
寄生生命体の過剰増殖は、細菌や病原体などの投与による免疫機能の活性化が誘因を成していた。
さらなる動物実験の結果、宿主の免疫機能が短期間で活発化される事態に陥ると、寄生生命体の防衛本能が過剰に働くことが確認された。
この防衛本能による行動では、寄生生命体は宿主が生命活動を行うのに必要な細胞に対しても攻撃を行う。しかもその攻撃は宿主の生命維持が可能なレベルになっても収まることはなく、結果、宿主は衰弱して死亡する。
 
計測結果によると、寄生生命体の防衛本能が暴走するのは、一ヶ月間に十から十五程度の疾病に罹患した場合である。
そして暴走により宿主が死亡するまでの時間は、個体の大きさで増減するが、およそ72時間。
宿主の死亡後、寄生生命体は暴走を停止。休眠状態へ移行することを確認。
故意に細菌もしくは病原体による疾病を誘発させることは、非常に危険である。
 
本メールには、過剰増殖が一定値を越えた後に起きた現象の観測データを添付する。
■■
 
男はメールを見る度に、送り主の最後の姿を思い出す。
 
「君達には悪いが、私は行くことにした」
大掛かりな機械が、静かに駆動音を立てていた。
『ゆりかご』と呼ばれるそれは、同志達のケイオシウム研究の全てが詰め込まれた装置だ。
その装置の中に、顔色の優れない女エンジニアが大きなバックパックを背負って入っていた。
「ゆりかごを使用して帰ってきた者は、彼女以外に存在しない。考え直せないのか?」
ケイオシウムを『制御できる暴走状態』へ移行させるこの装置は、未だ完成には至っていない。
特に生体実験は研究途上であり、生命体が中に入った状態で『ゆりかご』を動作させると、七割が物理法則を超越した死体となった。
残り三割の生命体は、いずこかへと消え去った。推論では異世界へ行くと言われているが、それを証明できるのはたった一人、マルグリッドというテクノクラートの存在だけだった。
彼女以外が装置を使えばどうなるのか。本当に異世界に行くのか、それとも次元の狭間に飲み込まれてしまうのか。
それを証明できる者は、マルグリッド以外には存在しないのだ。
「どうせこのままでは、数年のうちに消え去る命だ。今ここで死んだところで何の問題もあるまい?」
「……そう、か」
女は自身に残された時間が少ないことを知っていた。
そのことについて男は深く聞かなかった。踏み込んではならない領域であると理解していた。
「勘違いはするなよ、ラーム。私はなー」
女はニィと唇をつり上げ、心底楽しそうな顔を作った。
「私はカウンシルを欺いて旅立てることが嬉しくて、そして楽しくて仕方がないんだよネ」
『ゆりかご』の扉が閉じた。暫くして扉を開けると、女は消え去っていた。
これが、男が聞いたその者の最後の肉声であった。
 
男……ラームは一人で異世界へ旅立った同志のことを思い出しながら、送られ続けてくるメールをメインフレームへ送り続ける。
送信者の名前は『ジェミー・ドーリー』。
ラーム達の同志であり、今もどこかで己の知的欲求を満たしているエンジニアの名前であった。
「―了―」

3385年 「渡航者」

画像なし

深夜、レジメント技官としての仕事を済ませたラームは、ジェミーのデバイスの修理を行っていた。
モニターが映らないという些細な故障であったが、ジェミーから定期的にメールが送られてくる都合上、早めの修理をしたかった。
ラームは、ジェミーから送られてくるメールをそれなりに楽しみにしていた。
彼女のもたらす情報はどれも目新しい知見に溢れており、好奇心をくすぐるのだ。
 
■■受信:三三八五年 風月一日 11:06
過日実施した次元干渉実験によって、高度文明を持つ生命体が存在する世界を発見。すぐにそこへ渡航し、新たな居住地と定めた。
この世界ではケイオシウムによる平行世界観測及び渡航研究が非常に盛んであり、研究者は、定められた法に則って次元渡航を行っている。
そのお陰だろうか、別の世界からの次元渡航者である私も、いくつかの技術提供を条件に快く受け入れてもらうことができた。
 
暫くは、この世界と知的生命体の観察を続けようと思う。
■■
 
修理を終えたデバイスを起動させると、多数の新たなメールが届いていた。
今回のものは報告書というよりも、日記や手記に近い。
しかし、ジェミーのように『ゆりかご』を使って異世界へ行かなかった開放派にとって、これは貴重な異世界の資料となる。
ラームは受信している未読メールを読み進めることにした。
 
■■受信:三三八五年 風月十二日 16:34
この世界の支配種族は外見上は人間と同じ二足歩行の姿をしているが、例外なく全員が鎧のようなものを着込んでいる。
詳細を尋ねたところ、この鎧は彼らの本体たる頭脳を守るための外殻のようなものであるとのことだ。
彼らは人間に似た姿の内側に平均して六~八個程度の頭脳を内包し、それぞれを神経バイパスで複雑に繋ぎ合わせることで高度な知能や演算思考を持ち得ている。その複雑かつ繊細なバイパス接続を振動や衝撃などから守るための外殻らしい。
さらに二足歩行型である意味も問い掛けると、人間で言うところの『手』を使った作業を効率よく進めるためであるとのことだった。
彼らにとって、腕とは身体の一部ではなく作業を進めるための道具である。そのため、職業によっては二対、三対と腕が増えていくようだ。
一つの身体に複数個の頭脳を内包しているため、腕が増えることによる問題はないとのこと。
複数腕を持って働く者がいる現場を見てみたい。
 
本文の他に、支配種の詳細な身体調査報告書を添付する。
■■
 
■■受信:三三八五年 風月二十五日 07:45
支配種族は、元は我々の世界で言うところのバクテリアのような存在だったようだ。
生命が生きるには苛酷な環境であったこの世界を生き抜くために群れとなり、いつしか互いの身体を接続して巨大な個体を形成するようになった。
そういった接続を繰り返すうちに、賢い個体が頭脳を連結するようになり、至大な知能を得るに至る。
この世界の環境を生き抜く術としてそれこそが最適だったようで、世代を経るに従って頭脳の大きな固体が増えたのだという。
『個』と『群れ』という非常に大きな違いがあるが、知性体としての進化プロセスに近似が見受けられることについては、興味深い研究ができそうである。
 
頭脳が保持する『個』はどうなるのか尋ねたところ、明確な答えは返ってこなかった。
代わりに、連結することで得られる知識の増大とそれに伴う多幸感を説かれたが、理解には程遠いというのが正直な感想だ。
彼らにとって『個』としてのあり方は些末なことなのだろう。私には持ち得ない価値観である。
■■
 
■■受信:三三八五年 花月四日 21:18
懇意となった研究者に、頭脳連結化手術の誘いを持ち掛けられた。
私が彼らに提供した技術は、彼らにとって価値あるものだったようだ。単体頭脳にしておくには惜しいという、彼らなりの賛辞も貰った。
だが、頭脳連結化に関しては丁重にお断りすることとした。
私は私という『個』を失う気はない。齢を重ねて何かしらの悟りを得ていれば違った答えが出たのかもしれない。しかし、今は時期尚早であるといえよう。
 
次元渡航者が行き来する世界であるため、彼らは『個』である種族が存在することに理解は示すが、それを良しとする価値観については理解不能であるとの見解であった。
この相違が、ここでの生活に影響を及ぼす可能性が高いことを懸念している。
■■
 
■■受信:三三八五年 花月十九日 02:06
次元渡航実験と称して、この世界から旅立たざるを得なくなった
この世界の技術にはまだまだ学ぶべきものがあるが、彼らの価値観とは決定的に相容れないということが確定した。
私の頭脳が欲しいのか、頭脳連結化に関する勧誘が勧誘ではなく強制的なものになりつつあると感じたのも、要因の一つである。
次元渡航者の中には彼らと同化した者もいるようだが、生憎と私にはその気はない。
価値観の違いによる軋轢をこれ以上深刻化させないためにも、私はこの世界から旅立つ必要がある。
 
しかしながら、『個』と『群れ』に関する価値観の違いは、相互理解を行う上で大きな障害になることを学べたのは、一つの収穫だ。
次の渡航先が『個』としての価値を重視する生命体がいる場所であることを願う。
■■
 
一通りメールを読み終えると、ラームは深く息を吐いた。
メールの内容は相変わらずであった。しかし、危機こそあったものの、内容から垣間見える元気そうなジェミーの姿に、やはり彼女は異世界へ旅立って正解だったのだと確信する。
 
『キングストン協定」がエンジニア達にもたらした混乱は大きかった。
長い年月を掛けて研究してきたものを全て破棄し、すぐに一切関連のない別分野の研究に従事できたエンジニアは少ない。殆どの者はそんなに強い心など持ち合わせていなかった。
粛正を恐れ、掌を返すように制限派と呼ばれる派閥に与した者もいた。
そのような状況に於いてもなお、ケイオシウムが持つ未知の可能性を捨てきれずに研究を続けたいと願う者達がいた。
そんな者達がレッドグレイヴら制限派の目を盗み、『開放派』として密かに活動を始めたのは、ごく自然なことだったと言えよう。
ラームもそんな開放派に属する人間だ。テクノクラートの身分故に、パンデモニウムでは表だった活動はできなかった。だが今は彼らの目が届きにくいレジメントに派遣されており、開放派としての活動はやりやすくなっている。
 
ジェミーと出会ったのは、開放派の存在がまことしやかに囁かれるようになった頃だった。
彼女は生物化学研究を専門とするエンジニアであり、その道ではそれなりに成果を挙げていた。しかし、彼女は現在の医療技術では十年程度の延命が精一杯とされる、進行性の病を患ってしまった。
「かつては根治可能であった病魔なのに、今の人間には進行を止めることすらできない。こんな情けない話があるか」
ジェミーが言い放った皮肉は、ラームの脳裏に深く刻まれた。
失われた技術さえあれば解決できたであろう事象を発見する度に、ラームはこの言葉を思い出す。
《渦》の出現による混乱で失われた技術は膨大だ。その失われた技術を穴埋めするための何かを、我々は捜し求めていた。
ジェミーは自らの病魔を克服する術を、別の可能性世界の技術を観測することによって見つけ出そうとしていた。
そのために、誰の協力も得ずに開放派に属する人物を突き止め、その一人である私に接触を果たしたのだ。
 
パンデモニウム内では表だって開放派としての活動をしていない私に接触をしてきたことは、驚嘆に値する。
と同時に、誰の助けも借りずに自ら探し当てるという慧眼と頭脳、そして飽くなき探究心。
それらは開放派にこそ相応しいと思った。
ジェミーの存在はそれだけ強烈であり、絶対にレッドグレイヴが課す厳しい制限に縛られるべき人物ではなかった。
 
過去を思い返しながら頭を休ませたラームは、いつも通りメールをメインフレームへと転送する。
「やはり彼女は、渡るべくして異世界へ渡ったのだな」
ラームの呟きは研究室に響く機械音に紛れ、誰にも届くことはなかった。
「―了―」