マリネラ(ストーリー)

Last-modified: 2018-09-29 (土) 23:37:16

マリネラ

2839年 「計画」

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二八一四年。マリネラが自身に課せられた治世という舞台へ上がったのは、一五歳の時だった。
一般的にはまだ就業準備段階の年齢であるが、マリネラはそうではなかった。
 
「B-4地区に発生させた武装集団による暴動ですが、国家保安局第八機動部隊によって予定通りに鎮圧されました」
執務室に入ってきたレッドグレイヴに、国家保安局から上がってきた一報の報告を行う。
「わかった。では、B-4地区の発展係数について事前のシミュレーション結果と照合し、検証結果を報告せよ」
レッドグレイヴはモニターに映し出されている鎮圧報告に目を通しながら、次の指示を出す。
「承知しました」
マリネラは一礼して執務室を退室した。
レッドグレイヴの命令を関係各局に通達し、上がって来た報告に手早く対応する。そして日々変動する市民の欲求を数値化して正確に把握し、人類を繁栄と進歩へ導くための補佐を行う。それがマリネラの職務であった。
マリネラはレッドグレイヴの側近として、今後三十年、四十年と彼女を補佐し、人類の繁栄の礎となる。
その筈だった。
 
二八三七年。この年に発生したオートマタの一斉蜂起による動乱は、世界が一変する端緒であった。
動乱を収束させるために、ケイオシウム研究の第一人者であるメルキオールによって新兵器が開発された。そしてその兵器は、動乱を完全に収束するのに成功した。
だが、この兵器は急造のために不完全であった。完全な兵器を動乱の収束まで酷使し続けた結果、動力としていたケイオシウムコアの暴走を引き起こしてしまったのだ。
 
――世界の境界は歪んだ。そしてその歪みは、《渦》となって地上に出現した。――
 
《渦》は自然災害と比べようもない程の脅威となり、人類に多大な厄災をもたらした。
テクノクラートの頭脳を総動員して、どうにか《渦》の進行を妨げる『障壁』の技術は完成を見ることができた。しかしこの技術を具現化する装置はあまりにも複雑化してしまい、量産速度の向上は困難を極めた。
工業都市インペローダに建造した施設で昼夜を問わない生産を行っているものの、未だローゼンブルグなどの主要都市に配備するだけの数を揃えるのが精一杯だった。
そしてついには、約七十年に渡って人間世界を統治し続けたレッドグレイヴも、《渦》から 世界を救うために、長い旅路へ出立せざるを得ない事態に至ってしまった。
 
「マリネラ様、選分課からパンデモニウムに移住する市民の第一次リストが到着しています」
「モニターに開示してくれ」
世界各地から選定された市民のリストが映し出される。
マリネラはレッドグレイヴの後継として、世界を統治する指導者の一人となっていた。
指導者には三人が据えられた。これは、レッドグレイヴの代わりを務め、且つあらゆる事態に備えるためには、到底一人では足るべくもないためであった。
三人の指導者は職務の殆どを《渦》の災害から人類を守ることに充てていた。だがそれでも、いつどこに出現するのか予測不可能な《渦》に対応するには限界があった。
 
レッドグレイヴは出立の直前、《渦》の災害から人類を守るための最終手段として、空中都市建設計画であった『パンデモニウム計画』の転用を策定していた。
それは、空に浮かぶ巨大な空中都市パンデモニウムを、人々と技術や研究を残すための守護都市として運用するというものであった。
だが、パンデモニウムがいくら巨大であるといっても、全人類を収容することなど到底不可能だ。統治局は『選分課』と呼ばれる新たな組織を設置し、様々な審査の上で移住者を選定するしかなかった。
 
滝のように流れるリストを一通り見終わったマリネラは、一つの疑問を秘書官へ投げ掛けた。
「……ギュスターヴ技師とグラント技師の名が無いな。どうなっている?」
「ギュスターヴ技師とグラント技師の両名は、地上でのみ達成可能な研究があると申し出た上で、パンデモニウムへの移住を拒否しました」
この二人はレッドグレイヴと同時期に生まれた、最上位のテクノクラートだ。人類の発展に尽くす使命と能力は、選定を待つまでもなく移住が確定する類のものだ。
「わかった。では、この者達と同様の研究を行うテクノクラートの選定を急げ」
「候補のリストはすでに用意してあります。ご覧になりますか?」
「見せてくれ」
僅かではあるが、統治局による栄誉ある選定を拒む者が存在した。
彼らの優秀な頭脳と遺伝子を地上に残すことは極めて重大な損失であるが、彼らを説得するような時間は、すでに残っていなかった。
「第一次移住者の移住作業を明朝十時から開始する。各所に通達を出せ」
「承知しました」
「それと、研究技術資料の移送状況を報告せよ」
「モニターに移送状況を表示します」
秘書官の言葉と同時に、モニターの表示が色分けされた地図に切り替えられた。
「D-4地区とJ-2地区の進捗が芳しくないな。どうなっている?」
「調査します」
「時間がない。次のミーティングが終了するまでに調査を終わらせておくように」
「承知しました」
モニターから地図が消えると、別の秘書官から通信が入る。
「マリネラ様、アザト計画に関するミーティングのお時間です」
「映せ」
アザト計画に携わるエンジニアが数人、スクリーンに映し出される。
定型の挨拶を済ませると、計画の進捗報告へと移った。
「クローン製造施設の建設ですが、進捗は予定通りです」
スクリーンの映像が切り替わり、建設中のクローン製造施設の様子を写した動画が流れてくる。動画の中では特殊な作業機械が地下を掘り進め、頑丈なシェルターの中に施設を建設していた。
「この施設を管理するAIにつきましても、間もなくテストが可能な段階に入ります」
「テストには私も同席する。問題はないな?」
「はい、問題ありません。テストの日程は追ってお知らせいたします」
「わかった」
動画の再生が終わり、再びエンジニア数人の顔が映った。
「しかし、本当によろしいのですか?」
「何を今さら。全ては我々の統治を地上に残すためだ」
マリネラはエンジニアを睨むように見据えた。
 
その日の業務を終えたマリネラは、とある病院を訪れていた。
「ようこそ、マリネラ様」
病院の院長が丁重にマリネラを迎え入れた。
「あの子の様子は?」
「全て順調です。よろしければ直接ご確認なさいますか?」
「そうしよう」
院長に先導され、新生児室へと足を運ぶ。
最新の設備が所狭しと置かれているこの新生児室には、たった一人の赤子が静かに眠っていた。 その面差しは、どこかマリネラに似ている。
「では、私は席を外します。お帰りの際はナースステーションにお立ち寄りください」
「ああ、わかった」
院長は新生児室を出て行き、マリネラと赤子だけが残された。
 
眠っている様子は何処にでもいる普通の赤子と何も変わらない。だが、この子は普通の赤子ではない。この子は、社会統治の才覚を最大限に行使できるよう遺伝子調整が施された、アザト計画の要となる存在なのだ。
 
アザト計画とは、現在の世界を統治する三人の指導者によって発案された計画だ。
マリネラ達はレッドグレイヴの命によって治世の場を空中都市パンデモニウムへと移す。しかしそれは、地上に残された人々と文明を見捨てるということと同義であった。
それでも、可能な限り地上に残された人々に秩序と統治を与えよう。それがアザト計画の根幹であった。
《渦》から人々を守るために障壁という装置を置いた。これによって、地上に残された人々には生き延びる可能性が与えられた。
あとは、パンデモニウムが地上を去った後に、生き延びた人々を率いて治める能力を持った人材が必要となる。様々な議論や調査の末に導き出された答えとして、その人材にはマリネラの遺伝子を基礎としたデザイナーベビーを充てることになった。
 
小さなベッドで眠る赤子の頭を、マリネラは軽く撫でた。
自身の遺伝子を継いでいるせいだろうか。この子を待ち受ける未来を想像すると、幾許か感傷的な気分に陥った。
不測の事態にも対応できるよう、あらゆる遺伝子調整が施されたこの子は、どのように成長していくのだろうか。
「マルセウス、貴方が地上を救うのよ……」
マリネラはベッドの中にいる赤子に、祈るように語り掛けるのだった。
 
「―了―」

2839年 「火災」

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その日、マリネラは浮上前のパンデモニウムへとやって来ていた。
パンデモニウム建造計画の最高責任者であるブリアックに案内され、パンデモニウムの最下層に足を運ぶ。
「こちらがレッドグレイヴ様の居室となります」
一見すると何も無い壁であったが、ブリアックがパネルを操作すると、壁が扉のように開いて一面のガラス窓が現れる。
ガラスの中は水槽になっており、その先には、大小さまざまなケーブルが繋げられた脳髄が浮かんでいた。
今日の目的は、脳だけの存在となって眠りに就いたレッドグレイヴが正しくパンデモニウムに護送され、安置されているかを直接確認するためであった。
「居室……、か」
マリネラは僅かな溜息と共に言葉を返す。
居室と言えば聞こえはいいが、水槽とそれを囲う機械で占められたこの部屋は、実験室か何かのように見える。
しかし、その考えをマリネラは即座に放棄した。脳だけの存在となっても、レッドグレイヴ は生命活動を停止している訳ではない。
生きている者に対してそういった言葉を、ましてや尊敬して止まない絶対的な最高指導者に対して使用していい筈がない。
 
「お目覚めになった後はどうなる?」
マリネラは気を取り直してブリアックに問う。
レッドグレイヴの覚醒がマリネラの死後であることは確定事項だ。レッドグレイヴとこの居室の存在も、長い時間の流れに耐え切れず、ある程度失われてしまうであろうことは想定されている。
そのような状況でかつての最高指導者が目覚めた時、その時代のパンデモニウムの指導者達はどう動くのか。
古の存在としてレッドグレイヴの存在そのものを秘匿し、殺害してしまう可能性さえ考えられる。それがマリネラの懸念であった。
「お目覚めになった後は、レッドグレイヴ様のご意志一つで指導権が引き渡されるようにシステムを構築しました」
「セキュリティは?」
「この居室に関する全てのシステムは、あの扉以外全てレッドグレイヴ様の脳波でのみ運用されるようになっています。外部からの操作を受け付けることはありません」
「ハッキングへの対策は?」
「居室の管理システムはパンデモニウムのあらゆるネットワークから独立しています。この場に来ない限り不可能かと」
「だとすると、先程の指導権移譲システムと矛盾しているのでは?」
「レッドグレイヴ様の覚醒脳波を検知したシステムによって、中央統括塔を司る場所に物理的なケーブルが接続されます。それ以降はレッドグレイヴ様のご意志次第です」
ブリアックはマリネラの質問や疑問に淀みなく答える。
「管理システムのAIはすでに稼働しているのか?管理システムに不具合が見つかった場合は、どのように修復する?」
「三つのAIを稼働させており、常にAI同士とシステムを監視させています。どれか一つでもAIに不具合が見つかれば、他の正常なAIによってすぐさま修復が行われるよう、万全を期しています」
「そうか。問題は無さそうだな」
「全てはレッドグレイヴ様をお守りするためです。ですが、医療チームに言わせると、偉大な方の頭脳を保護するにはこれでも足りないと」
「クローンを使わない生命の維持は未知の領域だ。レッドグレイヴ様をいつまでお守りできるか、医療チームも不安なのだろう」
「不安は尤もですが、人類のために、我々は今できる最善の手を尽くすしかありません」
ブリアックの言葉は毅然としている。《渦》から人類を救うために旅立ったレッドグレイヴ の命を預かっている気概が感じられた。
「レッドグレイヴ様が再び統治を始められることに不都合がなければ、それでよい」
自分達の死後、レッドグレイヴの再統治に不都合が生じる可能性の排除が絶対だ。そしてマリネラの役目は、レッドグレイヴが目覚めるまでに行われる統治体制を盤石のものとしておくことだ。
「そのことは我々も承知しています」
ブリアックの言葉に、マリネラが返事を返そうとしたその時だった。
胸ポケットの中で通用デバイスが震えた。
「すまない、失礼する。どうした?」
『お忙しいところ申し訳ありません。レギーナ様から緊急通信が入っています』
秘書官からだった。レギーナはマリネラと同じレッドグレイヴの後任指導者だ。
元々政務担当のエンジニアではなく、研究職に就くエンジニア達を取り纏める研究統括担当のエンジニアである。
彼女は障壁生産の対策に注力しており、彼女からの通信が入るということは、《渦》対策において何か問題が発生した時である。
「わかった。すぐに対応する。ブリアック、これで失礼する」
「はい。それでは」
ブリアックと別れて最下層から地上へと出る道すがら、マリネラはレギーナからの通信を取った。
「何があった。手短に頼む」
『わかった。インペローダ地区にある障壁工場の一つで火災が発生した。周辺の工場も余波を受けて一時的に稼働を休止している』
「出火元は判明しているのか?」
『冷却装置を生産している区画からだ。原因は調査中。それよりも、まずは火災による障壁配備の遅れを報告するのが先だと考えた』
「そうか。遅延日数とそれのリカバリに関するシミュレート結果が欲しい」
『そちらは現在試算中だ。あと一時間ほどで報告を回せるだろう。……マリネラ』
淡々と報告を交わす二人だが、レギーナがマリネラを呼ぶ声に、緊迫した色が混じる。
「……?なんだ?」
『一度、グエンを交えて会合を行いたい。できれば今日中に』
「それは構わないが、急だな」
『この火災、人為的に起こされたものだ。それについての見解と、今後の執政への影響を話し合いたい』
「なんだと......?」
 
レギーナの要請により、各地で《渦》対策に奔走している三人の指導者が久方ぶりに顔を合わせた。三人が一堂に会するのは、指導者として選定された就任式以来のことである。
会合は統治局にあるセキュリティと音に優れた場所が選ばれ、会食の試で行われることとなった。 三人共に時間が足りない。会食の形式でもなければ時間の調整を取ることもままならなかった。
 
「さて、忙しいところ集まってもらってすまない」
会合の主催であるレギーナが口火を切る。
マリネラとグエンの表情に緊張が走った。
「インペローダ地区第二十一番工場で起きた火災については既報の通りだ。まずは火災の原因と、過去に起きていた事故の説明をしよう」
レギーナは食事に入る前に、更新された火災についての追加報告を始める。
火災は障壁の稼働装置に使われる冷却水の封入漏れによって起きた漏電が原因であったこと。それ以前にも、別の部品製造工場で漏電や製造機械を故障させかねないような異物混入などが高い頻度で起きていたこと。今までは現場作業員達の迅速な発見により未然に防げていたが、ついに火災に発展してしまったこと。
しかし今回の火災においては、火災発生の一時間ほど前に、冷却水封入設備の周辺で担当者ではない職員が監視カメラに映っていたこと。
それらを説明した。
「今回の火災が起きるまでは、そういったことは低レベルのインシデントとして報告されていた。ということでいいか?」
報告を聞き終わったグエンが口を開く。
グエンは《渦》によってもたらされた災害の救助を担当する指導者だ。元は治安局で要職に就いていたエンジニアであった。
三人共にレッドグレイヴ世代の後に生み出され、本来であれば、今よりもずっと後年の世界を担う予定だったテクノクラートである。
「そうだ。今回の火災以前は過剰労働によるヒューマンエラーの類であると処理されてきた。それ故に、私のところにまで詳細な報告が上がってこなかったのだ」
インペローダの障壁生産工場は、オートマタも使用できない上に、《渦》の被害によって人員が不足している。職員達は常に過重労働状態にあり、疲労によってミスが発生してしまうことは免れ得ない。
「しかし、過去の事例に不審な点は無かったのだろう?今回は何故不審者がカメラに映ったのだ?」
「危険度の高低こそあるが、工場現場においてミスはありふれたものだ。実際、その都度別の職員によって改善を含めた対応が行われている。今回については、それに業を煮やした可能性が高い」
「焦りが隙を生み、不審な行動を取る者がカメラに映ったという訳か」
「おそらくは。障壁工場の管理不備は私の責任に直接繋がる。つまり、それをあえて狙う必要が何処かの誰かにあったということだろう」
「事故を頻発させることで、レギーナの責任を追及するためか」
グエンが指摘する。その言葉にレギーナは領いた。
「そういうことだ。私の指導力不足を指摘して不信任案を提出、決議による指導者交代。そんなところだろう」
「我々の執政には迅速な判断と過誤のない決断が求められる。それに少しでも誤りがあれば容易に指導者の椅子を取ることができる。そういうシナリオか」
「だが、そのような輩にこの現況下での政務が勤まるとは思えんがな」
マリネラは尤もなことを言葉にする。
マリネラを筆頭とした三人の指導者は、《渦》の脅威からいかに人類を守るかに焦点を当てて決定されている。選定時の項目には、私心なく執政が行えるか否かの適正も見られていた。
自身の利益や欲望を優先するような人物に指導者が務まるとは、マリネラには到底思えなかった。
「しかし、この異常事態が発生している最中に……。一体何を考えている」
「異常事態だからこそだろう。混乱に乗じて、など、歴史上で幾度も繰り返されていることだ」
「パンデモニウムが浮上する前に、何としても原因を見つけねばならないな」
「放置しておけば、最終的にレッドグレイヴ様にも累が及ぶ可能性がある」
「ああ。反乱分子をパンデモニウムに存在させるわけにはいかない」
三人は領き合うと、議題を反乱分子への対策へと切り替えた。
短い時間で対策は練ったが、反乱分子と仮定した者達がいつどういった行動を起こすかまでは予見しづらい。
空中都市パンデモニウムの浮上が間近に迫ったこの時期に、権力の奪取を狙う反乱分子がいる。そんな不穏な空気を纏ったまま、会食は終了したのだった。
「―了―」