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ジャガイモ

Last-modified: 2019-09-03 (火) 21:39:13

基本データ Edit

No.186
Equip_L_186.png名称一袋土豆日本版ジャガイモ
レアリティ☆☆☆☆対潜装備
装備ステータス
火力雷装
爆装対潜+3
対空対空補正
命中回避
索敵装甲
射程+3
耐久
装備可能艦種
航空母艦軽空母装甲空母戦艦
航空戦艦巡洋戦艦重巡洋艦航空巡洋艦
重雷装巡洋艦軽巡洋艦モニター艦駆逐艦
潜水空母潜水艦砲戦潜水艦給油艦
ミサイル駆逐艦防空ミサイル駆逐艦ミサイル戦艦
廃棄時獲得資源
燃料1弾薬0
鋼材0ボーキサイト0
備考
開発不可
日本語説明「オバノンに最高の礼を、オバノンが創造的にうちが生産したジャガイモで1943年春1隻の日本潜水艦を「撃沈」したことを祝おう。」
署名:メイン州ジャガイモ農家協会
中国語説明“向奥班农致敬,为奥班农创造性地用我们出产的土豆在1943年春天“击沉”了一艘J国潜艇”署名:缅因州土豆种植者们。

入手方法 Edit

中国版
奥班农初期装備
日本版
オバノン初期装備

性能や運用について Edit

元ネタ解説 Edit

絵のモチーフジャガイモ
潜水艦の絵呂号第三十四潜水艦

 目次

ジャガイモについて Edit

  • 和名:ジャガイモ 学名:Solanum tuberosum L
    • 花言葉:「慈善」・「慈愛」・「情け深い」・「恩恵」など
  • ジャガイモは馬鈴薯(ばれいしょ)とも呼ばれるナス科ナス属の植物で、地下茎の部分を食材として用いる。
    • ジャガイモと馬鈴薯は実は別物であるという説もあり、植物学者で「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎が著した植物一日一題と言う書物の中に、「馬鈴薯は中国福建省松渓県原産の蔓草の一つを指すと「松溪県志(しょうけいけんし)」(Songxi xianzhi)と言う書物に僅かに記されている」との記述がある。しかしながら1800年頃の清朝ではジャガイモの事を馬鈴薯と一括りにしていたと言う中国語の論文もあり、真実は定かではない。*1
  • 可食部にはデンプンが多く含まれるだけではなく、ビタミンやカリウム、特にビタミンCが多く含まれており、ヨーロッパ圏では「大地のリンゴ」と呼ばれている。
    100gあたりの生ジャガイモ栄養価*24
  • 食材として広く使われるジャガイモではあるが、皮層や芽などにはポテトグリコアルカロイド*2(以下PGAと表記)と呼ばれる毒性のあるアルカロイド配糖体等を含む為、地下茎以外を食すのはお勧めできない。
    • ジャガイモによる中毒症状は、喫食後30分から12時間以内に発症する事が多く、頭痛・腹痛・疲労感・胃炎・下痢・嘔吐・食欲減退等を引き起こす。
      • 軽症で済む場合が多いが、重篤な症状を引き起こす場合もあり、錯乱・脳圧亢進・呼吸困難・頻脈・腎不全等の症状によって、最悪の場合は死に至る。
    • PGAは成人であれば200~400mg、小児だと20~40mg程度で中毒症状を発症する。PGAは水溶性の化合物であり加熱では分解が少ない為、調理の段階でPGAが多く含まれる箇所を取り除くか水に浸すなどの行為をしなければならない。ただし粉吹き芋でも中毒症状の報告が確認されているので、水に晒せば無毒になる訳ではない。
      • 特に小さなジャガイモにはPGAが多く含まれている可能性が高い。これは発育不良が原因で成長するにつれ減少するPGAが溜まってしまっているのが原因である。

ジャガイモの歴史

  • ジャガイモは南米アンデス山脈高地が原産の植物で、紀元前8000年頃にはラテンアメリカの先住民族であったインディオ達には知られていたとされる。
    またチチカカ湖を中心に発達したインカ帝国の人々は、ジャガイモを「生命を吹き込む植物」と考え、ジャガイモの女神である「Axomama(アソママ)」を崇拝していたとされる。
  • Axomamaは創世神話に登場する豊穣を司る大地の神Pachamama(パチャママ)の娘の一人で、王の呪いから地上の子供たちを守る為に生まれたとされる。
    • 小話だが、チチカカ湖は60%がペルー領、40%がボリビア領となっている。その内のボリビアは今でこそ内陸国となっているが、1884年までは海岸線を持っていた。
      1879年から1884年にペルーおよびボリビアチリの間で生起した「太平洋戦争(硝石戦争)」が原因で、チリに敗北したペルーとボリビアはともに領地を失い、結果ボリビアは内陸国となってしまった。*3
      • この戦争により、ペルーはアタカマ(詳細不明)、アリカ(1929年に600万米ドルをペルーに支払いチリが併合)、タクナ(1929年ペルーに返還)、タラパカ(現・チリ共和国タラパカ州)を、ボリビアはアントファガスタ(現・チリ共和国アントファガスタ州)*4を含むリトラル県を失った。
    • そうして海岸線を奪われ、行き場を失ったボリビア海軍はチチカカ湖に海軍基地を移している。
  • インカ帝国では有名な食物であったジャガイモだが、そのジャガイモが別の大陸へ伝えられたのは15世紀から16世紀ごろ。はっきりとした資料こそ存在しないが、スペインの探検家によるインカ帝国の征服は1524年(インカ帝国に辿り着いたのは1526年)から計画、実行されており、征服を試みたスペイン人が1537年に現・コロンビア共和国サンタンデール県ベレス州にて栽培されているのを発見し、その後にヨーロッパ大陸に齎されたとされる説が有力とされている。
  • こうしてヨーロッパ大陸へ伝わったジャガイモだったが、現代のように食用として使われる事は主流ではなかった。17世紀までは植物学者による菜園栽培が主で、あくまで花を見るために植えられていたとされている。
    • そうなった原因は、運搬中の船内で芽が出たジャガイモを食べ、毒に当たったからとされる。またその出来事がきっかけで「悪魔の植物」と呼ばれるようになった。
  • 観葉植物となったジャガイモが食されるようになるきっかけが訪れたのは1618年。ボヘミアでのプロテスタントの反乱を機に、神聖ローマ帝国を舞台にプロテスタントとカトリックの争いが発生した。それは後に「最後で最大の宗教戦争」と呼ばれる事となる三十年戦争の始まりだった。
    • この三十年戦争の間に幾度となく飢饉に見舞われ、飢えを解消する為に目を付けられたのがジャガイモだった。当時のヨーロッパで暮らす農民の間では、年貢を納めるためにムギを植える事が多かったが、踏み荒らされると収穫量が激減するという欠点があった。しかしジャガイモは地下茎が食用の部分であり、かつ地下にできる為に踏み荒らされる事による収穫量の影響を受けにくい植物だったため、ローマ帝国に暮らす農民に容易に受け入れられたとされる。
    • また国によってはジャガイモの作付けを奨励したり、勅命によって強制的に作付けを行ったりしていた。
  • 1648年に三十年戦争が終結し、それから約50年後。ロシア・ツァーリ国統治者であったピョートル1世は1697年3月から1698年8月にかけ、ヨーロッパに約250人の使節団を送り、さらに自身も偽名を用いてその使節団の一員としてヨーロッパ文明を視察した。視察中に長期滞在したオランダのアムステルダムにて彼はジャガイモと出会った。ピョートル1世は種芋を一袋入手し、ロシアのサンクトペテルブルクに居たシェンメチェフ男爵へロシア内で栽培するよう命じた親書と共に輸送したものの、ピョートル1世が死去する1725年1月28日までの間に叶う事は無かった。*5
    • その後、1730年代に入ると徐々にその存在を知られるようになり、サンクトペテルブルクの上流階級の人々にとってごく普通の食べ物として認知されるようになった。1765年には当時ロシアの最高統治機関である元老院*6がジャガイモの栽培と利用に関する法令を議決し、ジャガイモ栽培を奨励する特別通達を発した事によって、ロシア帝国全土にジャガイモが広がったとされている。
    • レシーテリヌイを入手した際に「怠け者はシベリア送りにして、じゃがいも掘らせるわよ!」と言われるが、シベリアにジャガイモが普及したのは1826年以降とされている。1825年12月14日、サンクトペテルブルクにある元老院広場にて発生したデカブリストの乱*7によって121名がシベリア流刑に処されたが、シベリアには飢餓に苦しむ原住民達が居た。デカブリスト達は自らの食料源の確保や原住民を救う為に故郷からジャガイモを取り寄せ、シベリアで栽培を始めた事がジャガイモがシベリアに定着したきっかけとされている。
      • シベリアはロマノフ王朝の時代から帝政に反抗する者は秘密警察によって逮捕され、シベリア流刑としてラーゲリグラグと呼ばれる強制収容所に収容する為の土地の一つとして使われていた。*8第二次世界大戦時はソ連内の反政府者に加え、枢軸国側の捕虜や政治犯が数百万人単位*9でシベリアに抑留されたとされている。ソ連は1929年のジュネーヴ条約を批准せず、独自の捕虜規定を定めていたが、殆ど守られなかったとされている。*10
  • オランダにてピョートル1世はジャガイモの存在を知ったものの、当のオランダにはいつ頃ジャガイモが伝わったかは定かではない。1600年当時オランダはネーデルラント連邦共和国と言う国であり、1663年に書かれた書物(詳細はドイツの項を参照)の中に「オランダのジャガイモ」という記述がある為、それよりも前に伝わり、かつ栽培が行われていたと思われる。また当時のオランダは貿易が得意な国家であり、スペインから輸入したという説も存在する。
  • 18世紀半ばにはアイルランド移民によってジャガイモは北アメリカへと渡り、アメリカ独立戦争の際に飢えを凌ぐ貴重な食糧源の一つになったとされる。
    • 当時のアイルランドでは、国民の大半が農業によって生計を立てていた。アイルランドの小作農家も、ヨーロッパで暮らす農民と同じようにムギを栽培していた。しかしムギは地代として地主に収める必要があり、地主に収める必要がなく、かつ自らの空腹を満たせ、さらに生産性も良い事から農民はジャガイモに目を付け、自身らが住む小さな庭地にジャガイモを栽培をする農家が増えた。そうして19世紀半ばの1844年にはアイルランド人口の3割がジャガイモに依存する暮らしを営んでいた。
    • しかし1845年にヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が発生し、アイルランドではグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の国家政策*11の結果ジャガイモ飢饉が発生し、当時のアイルランド人口の20%が死亡し、10%から20%が国外へ脱出したとされる。
      • 元々アイルランドから北アメリカへ渡る移民は、18世紀半ばから起こった産業革命によってプロテスタント系を中心に現れるようになり、この頃にジャガイモは北アメリカへ伝来したとされている。しかしジャガイモ飢饉を機に100万人以上のカトリック教徒が北アメリカへ押し寄せる事となった。こうして数を増やしたアイルランド移民はアメリカ社会に置いて大きなグループを形成し影響力を持つのだが、またそれは別のお話。
  • 同じく18世紀半ばの1740年、プロイセン王国の第3代プロイセン国王フリードリヒ2世は、農業政策の重要項目の一つとして観賞用として栽培されていたジャガイモを食用として「ジャガイモの栽培」を促進しようと考えた。
    • しかし当時のプロイセン国民はその外見からジャガイモを嫌っており、農民はジャガイモの栽培を行おうとはしなかった。大王は考え、毎日ジャガイモを食べたり、旧約聖書「創世記」に記されている禁断の木の実の故事に倣い、ジャガイモ畑を軍隊に警備させる事で民衆の目を引かせ、かつ夜間は警備を手薄にし盗ませていたと言う逸話が残っている。
    • 逸話の真偽はともかく、フリードリヒ2世の政策や1771年から1772年にザクセンなどで発生したとされる飢饉などの時代情勢、また知識人による啓蒙活動よって、18世紀後期から19世紀には手引書が普及し、それに伴いジャガイモの栽培は飛躍的拡大を見せ、貧農や都市労働者を飢えから救ったとされる。
      • 余談だが、ドイツで初めてジャガイモが栽培されたのは1647年頃とされ、フランケン地方のピルグラムスロイト(現・バイエルン州オーバーフランケン行政管区ホーフ郡レーアウ市ピルグラムスロイト地区)に植えられたのが最初とされる。また1649年から1656年までの間にベルリン中心部に作られた博物館島の庭園「ルストガルテン」でも栽培が行われるようになったとされる。*12ルストガルテンは当時のブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ・ヴィルヘルムの指示によって任された宮廷庭師のミヒャエル・ハンフと宮廷植物学者のヨハン・ジギスムンド・エルスホルツがオランダ庭園に模倣して造られた庭園とされるが、その内のエルスホルツが1663年に著した「FLORA MARCHICA*13の中でHollaendische Tartuffeln(オランダのジャガイモ)という単語を用いている。
    • そしてプロイセンにジャガイモが普及してから暫くした1846年。この国も例に漏れずジャガイモ飢饉の被害を受け、ジャガイモが不作の年となり、国内の食糧価格が高騰した。その結果、1847年4月にベルリンにてジャガイモ蜂起が発生し、プロイセン軍によって3日で鎮圧された。この結果として約100人が逮捕されたが、大半はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世の生誕日である10月15日に恩赦を受け解放されている。
      この一連の騒動は、後に三月革命が起こる原因となった出来事の一つとして数えられている。
  • 少しだけ時を遡り、同じく18世紀の1756年。ヨーロッパ全土やヨーロッパの植民地を巻き込んだ七年戦争が勃発。フランス王国の衛生兵として従軍していたアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエは開戦早々にプロイセン軍の捕虜となったとされ、収容所にてジャガイモの食料としての価値を知った。その後1763年にパリに戻った後、彼はフランス国内にてジャガイモの普及に努めた。しかしプロイセンと同じように農民は抵抗した為、パルマンティエは当時アメリカ合衆国の外交官だったベンジャミン・フランクリンやフランス王国の化学者アントワーヌ・ラヴォアジエなどの有名人を夕食会に招き、ジャガイモ料理を振る舞ったり、当時フランス国王であったルイ16世に提言し王妃のマリー・アントワネット*14の髪飾りとしてジャガイモの花を飾らせたり、上記のフリードリヒ2世と同様の手段を用いてジャガイモの知名度を向上させたとされている。
    • 当時のフランスではジャガイモは「豚の餌」と見做され、またジャガイモがハンセン病を引き起こす原因と考えられ、1748年にジャガイモの栽培を禁ずる法律が制定されていた。しかしながらパルマンティエの努力により1772年パリ大学医学部はジャガイモの食用利用を承認した。だが議会や農民の抵抗は続き、薬剤師として勤めていた病院に苦情が寄せられ、試験農場の利用を禁じられた。
    • 時は流れて1785年。この年は不作の年でフランスでは飢饉が発生した。しかしジャガイモ栽培が普及していたフランス北部は飢饉を逃れた事から、フランス全土にジャガイモが伝わるきっかけとなったとされている。
      • さらに85年後の1870年7月19日普仏戦争が勃発し、同年9月11日、パリにて「パリ二十区共和主義中央委員会」(以下パリ中央と略す)が発足した。パリ中央は挙国一致による徹底抗戦を呼びかけ、結果同年9月19日から翌71年1月28日までの132日間、パリはプロイセン軍に攻囲された。この際の飢餓対策としてジャガイモが用いられ、フランスにジャガイモ料理が定着したとされている。
  • 日本にジャガイモが伝来したのは1600年(17世紀)頃で、オランダ領ジャワ島に伝わったジャガイモがオランダ船によってジャカトラ(現・ジャカルタ)港より運ばれたのが最初とされている。ジャカトラから伝わった植物であった為、当時はジャガイモではなくジャガタライモと呼称されていた。
    • 日本もヨーロッパと同じように、初めは観賞用の植物として栽培が行われていた。そのジャガイモが食用栽培されるようになったのは18世紀末。ロシア人の手によって蝦夷(現・北海道)や東北地方で飢饉対策として植えられた事が始まりとされ、1801年には甲斐国黒平村(現・山梨県甲府市)に於いて本草学者の小野蘭山がジャガイモの栽培を行っていたと言う記録が存在する。
      植物学本草学の違いについて
      • 小野蘭山は1808年、「ジャガイモと馬鈴薯は同じ植物である」と、自身の著した耋莚小牘にて記載した事がきっかけで、ジャガイモと馬鈴薯は同じ植物であると民衆に周知されるようになった。しかしこの説に異論を唱える者もおり、1813年に蘭学者の大槻玄沢が疑問を呈したのを始めとして、上記の牧野富太郎のように幾人もの蘭学者や本草学者がジャガイモと馬鈴薯は別種の植物であると主張している。
      • 本格的に食用栽培されるようになったのは明治維新後とされ、ジャガイモは北海道の開拓に利用されたとされている。
        • 蝦夷で初めて作付けがされたのは1798年で、江戸幕府普請役であった最上徳内が蝦夷地出張の際に虻田(現・洞爺湖町)附近に作付けがされたとされているが、資料によっては「その92年前の1706年に瀬棚場所(現・久遠郡せたな町)で高田松兵衛という人物がジャガイモや大根を撒いたという記録がある」という記述がある。*17
    • 日本人の手によって最初に定着したジャガイモは男爵薯(だんしゃくいも)とされている。1906年、函館船渠会社専務取締役に就任した川田龍吉男爵が1908年、アメリカやイギリスから様々な種のジャガイモを取り寄せ自営農場にて栽培し、北海道の地に適したジャガイモを見つけ出し普及に努めた。
      1911年、函館船渠を勇退した後は渡島当別(現・北斗市)に農場を建設し、機械化農業を試み、北海道農業の近代化に余生を捧げた。
      • 川田が選んだ品種は、1876年にアメリカにて発見されたアイリッシュ・コブラーと言う品種だった。アイルランドの靴直し屋によって発見された事からこの名が付けられた。この種は元々、1861年にチリー・ガーネットの実生から育成されたアーリーローズと言う品種の突然変異種であるとされていた。しかし近年の研究によってその説は否定されており、何らかの雑種ではないのかとされている。
        • 余談だが、アーリーローズは雪片(ゆきがた)と言う品種と共に一世を風靡し、明治末期の北海道ではこれら二品種がジャガイモの中で最も作付けがなされていた。しかしどちらも各種病害虫に弱く、かつ別々の問題点があった為、どちらも昭和10年頃には殆ど栽培されなくなり、男爵薯に取って代わったとされている。
           
    • 平成28年度(2016年度)の日本に於けるジャガイモの生産量は2,158,000t(215.8万トン)と言われ、その内の79.47%は北海道にて栽培されている。
      以下にxlsファイルにまとめられた物を表として転記する。*18
      平成28年度春植えジャガイモの収穫量、全国比収穫割合
       
    • 世界的な生産量として考えるならば、平成25年(2013年)の情報*19によると374,460,000t(3億7446万トン)が生産されており、日本は世界で26番目に多くジャガイモを栽培している。
      • 余談だが、現在世界で一番多くジャガイモを栽培しているのは中国で、平成25年の資料によると全世界の総生産量のうちの25.62%にあたる9594万トンが中国で作られている。
         
    • ジャガイモは世界中に約2000もの品種が存在するが、日本では2017年(平成29年)4月19日現在、103種が農林水産省品種登録ホームページに掲載されている。
      103種一覧
       
    • ジャガイモは様々な料理に用いられ親しまれており、また各海軍のメニューとしてジャガイモを用いる料理が幾つも存在する*20が、日本海軍という観点で考えるなら、有名な料理はカレーライス肉じゃがだろう。
    • カレーライスは海軍カレーとも呼ばれ、当時海軍内で問題になっていた脚気の対策の為に、イギリス海軍の糧食を基に当時海軍医務局副長であった高木兼寛が開発したとされる。
      • 海軍では1883年(明治16年)から1885年(明治18年)の間に「洋食+麦飯」と言うたんぱく質を多く摂取する内容に変える兵食改革が図られ、その最中の1884年(明治17年)2月3日から287日の間、軍艦筑波の艦上にて遠洋航海を兼ねた脚気予防試験を行い、効果の実証を行っている。
      • 現在の海上自衛隊では金曜カレーという風習が存在するが、この制度自体は海上自衛隊が週休2日制を導入した後に生まれた物で、元々は土曜日の昼食として出されていた。
        現在は土曜日と日曜日は一般的に休みとされているが、週休2日制導入以前は半ドンと呼ばれる、午前中のみ勤務を行う通例があった。その為、給養員への調理の準備や後片付けの負担を減らす目的や、午後以降も残り続ける給養員への加給食にカレーライスが出されていた。
    • 肉じゃがは1878年(明治11年)までイギリスに留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューを忘れられず、艦上食として1901年(明治34年)に料理長に作らせようとして完成した物だと言われている。だが明治中期にはビーフシチューや派生形のハヤシライスが洋食屋のメニューとして存在した事*21や牛肉の調理法が牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法だった事から都市伝説の一つに過ぎないと言う意見もある。
      上記の脚気対策として兵食改革が行われたが、当時の日本人の意識として洋食はバタ臭いものと認知されており、大変不評であった。それらを解消したのが肉じゃがだったという説も存在する。
      • 肉じゃがの発祥地については、現在二つの街が名乗り出ている。
        • 京都府舞鶴市:1995年(平成7年)10月に看板デザイナーの清水孝夫氏が発起人となり、市民有志30人で実行委員会を設置した。*22
        • 広島県呉市:1998年(平成10年)3月に待ったをかける形で名乗り出た。*23
      • 東郷平八郎が、明治23年5月13日から24年12月14日まで呉鎮守府第二代参謀長として赴任し、また明治34年10月1日から36年10月19日まで舞鶴鎮守府初代司令長官として赴任していた事から、この肉じゃが論争が巻き起こっている。
         

オバノンとジャガイモ Edit

  • 1943年4月5日、ルッセル島付近でオバノンは故障して浮遊中の日本潜水艦「呂34」と遭遇。
    (当初オバノンは潜水艦の船体を見て、沈没ないし転覆して漂流した船舶と勘違いし、デッキに出ていた日本兵を救援を待つ乗組員だと思っていた)
    救助が必要かと思い不用意に接近したオバノンはようやくその船が日本軍の潜水艦と気づき呂34へ集中砲火を浴びせるものの、距離が近すぎて砲撃が全く当たらなかった。
    そうこうしていると呂34は甲板にあった8cm砲で砲撃しようと男達が集まり、オバノンへ射撃する構えを見せ始めた。
    運が悪い事に、オバノン船員の手元には銃がなく、パニックに陥った船員はたまたまあったジャガイモを呂34がいるほうへ投げた。すると呂34船員は「手りゅう弾が飛んできた」と勘違いし、パニックに陥った。
    その間にオバノンは呂34へ砲弾を当てられる程度に距離がとれ、オバノンの砲撃により被弾した呂34は転覆し、オバノンは難を逃れた。
    (潜行して逃げたと思い込み、念のため爆雷も投げ込んだという)
  • 図鑑の説明文にある実際の文章はこちら
    A tribute to the officers and men of the USS O'BANNON for their ingenuity in using our now proud potato to "sink" a Jap submarine in the spring of 1943 presented by potato crowers of the state of Maine
    June 14, 1945

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 長いだけじゃなくて高い文章力により洗練されてやがる……! -- 2017-06-10 (土) 22:54:21
  • これだからウイキペディアウォチはやめられない -- 2017-06-16 (金) 21:04:56
  • クソワロタ。そんな私もジャガイモ博士 -- 2017-06-30 (金) 06:02:06
  • 滅茶苦茶詳しくて笑ったわw ネタ装備はこうでなくては -- 2017-07-16 (日) 13:45:37
  • ネタ装備だけど6-1でMVP調整すんのに割と重宝してる -- 2017-08-20 (日) 16:13:42
  • なんだこれw 最高じゃないか!w -- 2017-08-26 (土) 16:53:57
  • オバノンが建造落ちしたらジャガイモ農園ができそう…(じゃがバターが食べたいです) -- 2018-01-19 (金) 19:41:45
  • 難関大のテーマ史問題で出そうな文章ですねこれは… -- 2018-04-23 (月) 00:38:39
  • 肉じゃがには海軍定番のカレーと同じ野菜や肉で作れるというメリットもある -- 2018-08-15 (水) 23:29:28
  • この時仕留めた潜水艦が大陸版で実装されるそうで… -- 2018-09-02 (日) 21:00:10
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White
 
 

カード一覧/種類別装備一覧表

装備一覧表 Edit

装備一覧表

装備通称リスト Edit

通称




*1 植物一日一題は青空文庫で閲覧可
*2 α-ソラニンやα-チャコニンはPGAの構成化合物を細分した物
*3 1904年の講和により、恒久的にアントファガスタはチリ領となった。
*4 1878年12月にボリビアのイラリオン・ダサ大統領がチリ系企業に輸出税を課税と硝石の禁輸、チリ企業の接収を行い、1879年2月にチリに軍事占領されている。
*5 本項では省いてあるが、ピョートル1世は1721年にロシア帝国を建国している。
*6 元老院はピョートル1世によって1711年2月に設置されたとされている。
*7 デカブリストは貴族将校を指す
*8 2月革命以前は監視の目が甘かったとされている。
*9 ポーランド侵攻以後の捕虜だけで389万9397人
*10 ちなみにジュネーヴ条約は日本も批准していない。
*11 アイルランドを統治していたアイルランド貴族や地主の殆どがグレートブリテン島に住んでおり、自らの収入を心配し彼らは島内の事情を考慮せずアイルランド外へ食糧の輸出を行い、また連合王国政府は予算の関係で食糧配給を躊躇した上で、救済処置の対象を土地を持たない者のみに制限していた。
*12 新大陸の果物やトマトなどと共に植えられたとされるが、資料によっていつ植えられるようになったかはまちまちである。
*13 Biodiversity Heritage Library(英語)にてView Volumeをクリックすれば本その物を閲覧可
*14 正確な名前はMarie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche
*15 動物学とあまり変わりないが、動物と植物は分けて考えられている。
*16 本草は「草石の性に本づくもの」という意味であり、薬草のみを指す単語ではない事に注意。
*17 参考資料:馬鈴薯に関する報告 - 北海道廳内務部 - 国立国会図書館デジタルコレクション
*18 参考資料:農林水産省 公表資料名「平成28年産春植えばれいしょの作付面積、収穫量及び出荷量」より
*19 世界のジャガイモの産地 ランキング - 野菜情報サイト 野菜ナビ
*20 参考資料1 - 「アメリカ海軍メニュー·1941年版」序幕+ハーバードビーツ - 书墓(hon-haka)
*21 当時は高価な物だった為、一部の上流階級の者しか食べられなかった。
*22 肉じゃがで街盛り上げ20年 実行委員会記念の会 海軍の味、いまや全国 ライバル呉市からもエール イベント、メディア商品開発など取り組む【舞鶴】 - 舞鶴市民新聞社
*23 こちらに関してはどういう経緯で名乗り出たか情報が見当たらず。
*24 参考資料 食品成分データベース - 文部科学省