所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | コロラド級戦艦 |
正式名称 | USS West Virginia (BB-48) |
名前の由来 | State of West Virginia アメリカ合衆国ウェストバージニア州 |
愛称 | Wee Vee, The Mountaineer Battlewagon |
起工日 | 1920.4.12 |
進水日 | 1921.11.19 |
就役日(竣工日) | 1923.12.1 |
退役日(除籍後) | 1947.1.9 1959.3.1除籍(1959.8.24売却後解体) |
全長(身長) | 190.3m |
基準排水量(体重) | 32100英t(32615t) |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基General Electric式蒸気タービン4基電気モーター4基(ターボ・エレクトリック方式)4軸 28900shp(29300.8PS) |
最高速度 | 21.0kt(38.89km/h) |
航続距離 | 10.0kt(18.52km/h)/8000海里(14816km)→15.0kt(27.78km/h)/12100海里(22409.2km)(1945) |
乗員 | 1407名 |
装備(1941) | 16inch45口径連装砲4基8門 5inch51口径砲10門 5inch25口径高角砲4門 3inch50口径高角砲8門 エリコン20mm機関砲x8 偵察機x2 |
装備(1944) | 16inch45口径連装砲4基8門 5inch38口径Mk.12連装両用砲8基16門 ボフォース40mm機関砲x40(10x4) エリコン20mm機関砲x50 |
装甲 | 舷側:8~13.5inch 甲板:3.5inch 砲塔:5~18inch バーベット:13inch 艦橋:11.5inch |
その他ゲームとの性能違い | 3番艦はUSS Washington (BB-47)(未完) |
建造所 | Newport News Shipbuilding, Newport News, Virginia (ニューポート・ニューズ造船所 アメリカ合衆国ヴァージニア州ニューポート・ニューズ市) |
勲章 | American Defense Service Medal(Fleet clasp) Asiatic Pacific Campaign Medal(5 stars) World War II Victory Medal Navy Occupation Medal(ASIA clasp) |
- アメリカ海軍が建造したコロラド級戦艦4番艦。形式番号はBB-48。3番艦にワシントン(BB-47)が予定されていたが軍縮条約を受け廃艦。
- 1920年4月12日、ニューポートニューズ造船所にて起工。1921年11月19日に進水し、1923年12月1日に竣工した。
1930年、第三砲塔上に射出機を搭載し航空兵装を強化。
1941年からバルジの装着など近代化改修を受ける予定だったが、コロラドの工事が延長し、改修工事は1942年にずれていた。 - 1941年12月7日、大日本帝國による真珠湾攻撃が発生。大型艦であったウェストバージニアは日本軍機の標的となり、魚雷6本と爆弾2発を受ける。
被害は甚大であったが防水作業が的確だったため転覆を免れ、水平に着底した。この被害で艦長のベニオン大佐を含む105名が戦死する。
よく教科書の真珠湾攻撃のページで炎上する戦艦の写真が掲載されているが、あれがウェストバージニアである。熱そう。 - 1942年5月17日、船体の浮揚に成功。6月9日に真珠湾のドックで応急修理を受けた後、本土へ回航。1943年5月30日にブレマートン工廠へ入渠する。修理と同時に、最新のMk8レーダーを搭載するなどの近代化改装を受けた。
この工事で5inch両用砲やボフォース40mm機銃を装備し、艦形もテネシー級に準じた姿に変貌した。 - 1944年7月4日、工事完了。対日戦に参加し、復讐劇が幕を開けた。9月23日に真珠湾へ入港。翌月、マヌス島で第四戦艦戦隊と合流し、艦隊旗艦となる。
フィリピン奪還作戦に参加するため作戦海域へ向かっていた10月21日、座礁してスクリュー1基を破損した。 - 損傷したままレイテ沖海戦に参加。25日のスリガオ海峡海戦に参加し、西村艦隊に対して主砲弾93発を発射した。
特筆すべきはこの時の命中精度である。この戦闘でウェストバージニアは13回の斉射を行ったが、その全てで挟叉*1を記録した。
命中弾も6斉射までに4発確実、以降の不確実なものも含めれば10発以上を記録。世界屈指の練度と謳われた最盛期の日本海軍が昼間の訓練で叩き出した命中率に相当するこの数値を、ウェストバージニアは実戦、しかも視界が利かずレーダー頼りの夜戦において叩き出したのである。
一連の砲撃で山城を撃沈、最上を大破(その後空襲で戦没)させ、太平洋戦争における最後の戦艦同士の砲撃戦を完全勝利で飾った。- この砲撃戦の前に西村艦隊は魚雷艇や駆逐艦の雷撃を受け扶桑や随伴駆逐艦を撃沈破されている。「接近する敵艦隊を空襲や雷撃で削り、戦艦の砲撃でトドメを刺す」というのは、まさに日本海軍自身が戦前の対米戦略の中核に据えていた漸減迎撃作戦そのままであり、日本海軍は自分たちの考案した戦術そのままの戦いで完膚なきまでに叩き潰される皮肉な事態ともなった。
- 11月8日、アイーズ島の浮きドックに入り、損傷したスクリューを直す。1945年1月9日、リンガエン湾に物資を揚陸。続いて2月、硫黄島攻略作戦に参加。3月には沖縄攻略作戦に参加した。
- 4月1日、沖縄近海で特攻機の突入を受け損傷。6月17日には基地航空隊の攻撃を受けた。爆弾は不発だったが4名が死亡した。この状態で彼女は終戦を迎えた。
- 戦後は復員輸送任務マジックカーペット作戦に参加し、多くの将兵を母国へと送り返した。
- 1947年1月9日、予備役に編入。1959年3月1日に除籍となり、8月17日に売却。1961年にシアトルで解体された。
小ネタ
- ウェストバージニアのスキル名は「スリガオ復讐者」と「涅槃」である。
- スリガオ復讐者はレイテ沖海戦におけるスリガオ海峡の戦いで、仇敵の日本艦隊に圧勝した経歴から名付けられた。
- 涅槃は中国の「鳳凰涅槃 浴火重生」ということわざが由来である。一見ウェストバージニアの経歴とは関係ないように見えるが、このことわざは不死鳥の鳳凰が生まれ変わる様子を表している。
鳳凰は死んで生まれ変わるとき、全身が炎に包まれ、灰の中から生まれ変わる。
ウェストバージニアもまた、真珠湾で猛攻撃を受けて炎に包まれたが、2年以上の歳月をかけて修理され、生まれ変わった。
真珠湾で傷ついた戦艦は大なり小なりの改造を含めた修理を受けたが、ウェストバージニアは特に大規模な改造を施されたため、鳳凰の言い伝えと重ね合わされ、スキル名に反映されたのである。