No124 チェイサー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-17 (土) 21:09:29
所属民間→United States Navy→Royal Navy
艦種・艦型客船→ボーグ級航空機搭載護衛艦→補助航空母艦(1942)→護衛空母(1943)→アタッカー級護衛空母(1943)→商船
正式名称Mormacgulf→USS Breton (AVG/ACV/CVE-10)→HMS Chaser (D32)→Aagtekerk→E Yung
名前の由来?→Breton Sound アメリカ合衆国ルイジアナ州にある海岸→
英語で追撃者、狩猟家→
起工日1941.6.28
進水日1942.2.15
イギリス海軍就役日(竣工日)1943.4.9
イギリス海軍除籍日
米海軍返却
1946.5.12
アメリカ海軍除籍日(除籍後)1946.7.3(1948年商船Aagtekerkとして売却、1967年E Yungに改名、1973年解体)
全長(身長)151.1m
基準排水量(体重)9800英t(9957t)
出力Foster Wheeler式重油専焼缶2基Westinghouse式蒸気タービン1基1軸 8500shp(8617.9PS)
最高速度18.5kt(34.26km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/26340海里(48781.7km)
乗員646名
装備5inch38口径単装両用砲2門
ボフォース40mm機関砲x16
エリコン20mm機関砲x20
艦載機x28
装甲無し?
建造所Ingalls Shipbuilding,Pascagoula, Mississippi
(インガルス造船所 アメリカ合衆国ミシシッピ州ジャクソン郡パスカグーラ市)
  • イギリスで使用されたアタッカー級護衛空母。
    元となったアメリカ海軍のボーグ級護衛空母であり、同艦45隻のうち34隻がイギリス海軍へと引き渡されている。
    ボーグ級自体に関する説明はボーグのページも参照。
  • 当時、アメリカが行っていたレンドリース法によって貸与された艦の一つである。
    同法は、第二次大戦中にソ連・イギリス等に対して行われたプログラムの一つで、武器・兵器を含む物資をアメリカから貸与するという法律であった。
  • イギリス海軍は第二次大戦当初から護衛空母不足に悩まされており、ドイツ軍の通商破壊に頭を悩まされていた。
    海面下にはUボートからの雷撃、上空にはドイツ空軍機の空襲と船団は脅威に晒され、PQ17船団*1のような悲劇も実際に発生した。
    こうした船団を航空戦力で守ることが出来る護衛空母は、イギリスにとっては非常に重要な存在であった。
    排水量わずか1万トン、対潜護衛で使用するのが精一杯の超量産型空母であったが、イギリス海軍の大きな助けとなった。
    レンドリース法で貸与された護衛空母は活躍を果たし、結果的にドイツ海軍の通商破壊能力は弱体化していった。
  • アタッカー級護衛空母には646名の乗員が勤務。元々輸送船だったためか、内装が通常の軍艦より豪華。カフェテリアスタイルで仕上げられた食堂が存在し、
    他にも艦内には近代的な洗濯屋と理髪店が存在した。伝統的にイギリス海軍の艦ではハンモックが使用されていたが、チェイサーには二段式ベッドが装備されていた。
     
  • チェイサーは1941年6月28日にミシシッピのインガルス造船所にて起工。元々はC3-S-A1型戦時標準貨物船として建造され、翌1942年1月15日に進水した。
    アメリカ海軍に籍をおいていた時代は「ブレトン」の艦名を与えられている。
    1943年4月9日、竣工と同時にレンドリース法に基づいてイギリス海軍へ移管。
    艦名を「チェイサー」に改めてアタッカー級護衛空母としてイギリス海軍にて使用されている。
    余談であるがアメリカ海軍時代の「ブレトン」の艦名は、その後完成した別のボーグ級護衛空母に引き継がれた。
  • 1943年4月23日、ノーフォークへ回航。若干の訓練を行う。6月26日から初の任務として輸送に従事。往路では第845航空隊用のアヴェンジャーをイギリスまで運んだ。
    現地でアヴェンジャーの発着艦訓練を行ったが、3回事故が発生した。1回目は飛行甲板の障害物に艦載機が衝突、2回目は着艦時の衝撃でドリフトしてキャットウォークに突っ込み、
    3回目は同じく着艦時の衝撃で尾翼を損傷。踏んだり蹴ったりな訓練となってしまった。
    復路はHX245船団をニューヨークまで護送。チェイサーは途中で分離するが、船団は一隻も欠ける事無く入港した。しかし7月、ボイラー室で爆発事故が発生し、損傷。
    急遽ロサイスで修理を行う。10月に出渠し、29日にクライドへ回航。訓練に従事する。11月6日、第835複合海軍飛行隊が着任。発着艦訓練を開始する。
    ところがまたしても事故が発生。ハリケーン戦闘機が急降下中に制御を失い、チェイサーの右舷をかすって墜落した。翌日にはソードフィッシュ1機が破壊され、
    11月28日に至ってはソードフィッシュが着艦に失敗して、前のめりに転倒する事故が発生した。翌29日、構造的欠陥を改善すべく再び入渠し、そのまま年を越す。
     
  • 1944年1月、相変わらず修理が行われているチェイサーの下に、11機のソードフィッシュと第816航空隊の隊員が配備される。翌2月、ようやく修理完了。
  • イギリス海軍へ移管後は、護衛空母の本懐である船団護衛に従事した。チェイサーの任務地は北極海であり、Uボートやドイツ空軍機の脅威に悩まされた海上輸送でその実力を発揮した。
  • 2月10日、商船42隻からなるJW57船団を護衛してロッホ・イーヴを出港する。24日、道中でドイツ空軍のフォッケウルフFw200爆撃機の触接を受ける。
    これを追い払うためチェイサーからマーレット戦闘機が飛び立ったが、妨害に失敗。ずっと追い回されたが、幸い爆撃を受けることなくコラ湾に到達。船団を守りきった。
  • 3月2日、コラ湾を出港。復路はRA57船団を護衛した。二日後の3月4日夜、コラ湾付近で雷撃してきたドイツ潜水艦U-472を、艦載の第816飛行隊所属のスォードフィッシュ雷撃機が攻撃。
    続いて駆逐艦オンスロートの砲撃によって自沈に追い込んだ。翌5日、北岬西方で同じく第816飛行隊所属のソードフィッシュ雷撃機がU-366をロケット砲で撃沈。
    1隻たりとも戦果を挙げる事無くU-366はその生涯を閉じ、乗員は全滅した。さらに6日には北ノルウェー西方でU-973を発見。浮上中だったU-973は4つの20mm砲で攻撃してきたが、
    発進したソードフィッシュ雷撃機がロケット砲で攻撃。砲塔下に命中し、撃沈。51名の死者を出し、15名の生存者が救助された。復路で3隻ものUボートを葬ってみせた。
    10日、出発地点のロッホ・イーヴに帰投。
  • 3月13日、姉妹艦のアタッカーと衝突事故を起こす。航行不能となったチェイサーは曳航され、ロサイス入港。また修理を受ける羽目になってしまった。
    修理中の4月、イギリス太平洋艦隊への航空機輸送を命じられる。
     
  • 1945年2月、修理完了。20機のシーファイアを積んでジブラルタル、スエズを通過。その後、チェイサーは対日戦に参加。3月6日、護衛空母ルーラー等とともに
    沖縄攻略を行うイギリス空母への補給に従事した。5月、シドニーに到着。第112任務部隊に加わり、マヌスへ航空機を輸送する。14日にはレイテへ寄港し、使用に耐えない機体を回収。
    7月、インドのマラバル海岸に到着。飛行甲板にはシーファイアやアヴェンジャーが満載されていた。同月24日、マヌスを出港し硫黄島とルーラに航空機を届けた。
  • この護衛任務をあわせて戦果も幾つか残しており、チェイサーは44年3月4日にU-472、翌5日にU-973、U-366の撃沈を支援した。
    イギリス海軍の護衛空母として活躍を果たしたチェイサーは、その後ドイツの敗戦を見届け第二次世界大戦を生き抜いた。
    終戦後、チェイサーは極東でしばらく活動。役目を終えるとシドニーに寄港し、修理を受ける。そして本国への帰路についた。
     
  • 第二次大戦終結後の1946年5月12日にチェイサーは生まれ故郷であるアメリカへと返還された。
    戦争後は保管船や予備役として海軍に残される空母もいる中、チェイサーは民間へと払い下げられている。
    同年12月20日、民間に買い手がついたチェイサーはアーテカーク(Aagtekerk)と名を改め、飛行甲板と武装の撤去、艦橋の変更などの改修を経て貨物船として使用された。
    さらに時を重ね1967年にはエ・ヤン(E Yung)と改名されている。
    元々、ボーグ級は貨物船をベースとした護衛空母であり、チェイサーと同じく戦後は貨物船へと改造され民間で使用されたボーグ級(アタッカー級)は数多く存在する。
  • チェイサーの最後については資料によって状況が異なるが1972年に台湾で火災により廃船となり解体、もしくは1973年末に沈没により喪失と2つの説が存在する。*2

*1 1942年6月に出航した援ソ輸送船団。商船22隻が沈没した事により大量の物資と船舶を喪失。事実上、船団護衛は失敗に終わった。
*2 商船時代の資料が少ないため判別は難しいが、多くの資料では1970年代初めに何らかの形で退役した事は確かである。また、前者を採用している資料も比較的多い