所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | アレン・M・サムナー級駆逐艦 |
正式名称 | USS Laffey (DD-724) |
名前の由来 | Bartlett Laffey(1841-1901) アメリカ海軍水兵 南北戦争での英雄的行動でMedal of Honorを授与された |
起工日 | 1941.1.13 |
進水日 | 1941.10.30 |
就役日(竣工日) | 1942.3.31 |
退役日(除籍後) | 1975.3.9 同日除籍(パトリオッツ・ポイント海軍&海洋博物館に記念艦として保存) |
全長(身長) | 114.76m |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS) |
基準排水量(体重) | 2100英t(2235t) |
乗員 | 336名 |
装備(建造時) | 5inch38口径Mk.12連装両用砲3基6門 21inch五連装魚雷発射管2基10門 ボフォース40mm機関砲x12(2x4+2x2) エリコン20mm機関砲x11 爆雷投射機x6 爆雷投下軌条x2 |
装甲 | なし |
建造所 | Bath Iron Works, Bath, Maine (バス鉄工所 アメリカ合衆国メイン州サガダホク郡バス市) |
勲章 | Presidential Unit Citation 不明 WWII(5 stars) Korean Presidential Unit Citation 不明 Korean War(2 stars) Meritorious Unit Comme1tion Navy E Ribbon |
- フレッチャー級の後継であるアレン・M・サムナー級駆逐艦の一隻。DD-724。
艦名ラフィーは南北戦争時の英雄で名誉勲章を授与されたバートレット・ラフィーに因み、戦没したベンソン級駆逐艦ラフィー(DD-459)の後継でもある。
その激しい戦歴から実在の殺人事件被害者マイケル・マロイの異名(The Man That Would Not Die)にひっかけて「不死身の艦」(The Ship That Would Not Die)の愛称を持つ。 - 1944年就役後ノルマンディー上陸作戦の支援を行った後、太平洋戦線へ送り出される。フィリピン近海での作戦に従事した後、沖縄戦にてレーダーピケット艦任務を行っていた。
1945年4月16日、沖縄北方で2隻のLCSと共にレーダーピケット任務を行っていたところ、4機の九九式艦爆に襲撃されこれを撃退する。
ところがこの日は日本軍による大規模特別攻撃、菊水三号作戦の発令された日であり、陸海合わせて特攻機200機を含む500機以上が出撃してきていた。
直後、50機からなる大編隊が接近し、ラフィーは直掩を要請しながらこの大編隊と渡り合ったが多勢に無勢。
九九式艦爆一機が側面から特攻し、40mm機銃と20mm機銃を破壊しクルーを殺傷。
さらに艦尾5インチ砲にも別の特攻機が突っ込んで破壊された。
3機目の特攻は寸前で主翼をへし折ったため、すでに破壊された5インチ砲へ突っ込んだ。
護衛空母は50機がすぐに艦隊の主力めがけてやってくると踏んでいたため、
直掩機の殆どを上空待機させ、ラフィーの救援に4機のF4F(FM-2)を向かわせたが、4機が目撃したのは40機以上の敵機と渡り合うラフィーの姿だった。
4機は直ちに増援を要請すると果敢に突撃し、機銃がなくなるまで撃ちまくり、弾切れ後は特攻機の進路を必死に妨害した。
やがて増援のF4U12機が到着すると燃料不足でF4Fは撤退したが、日本軍機は全く諦めずラフィーを攻撃し続け、さらに2機が特攻、彗星による通常爆撃で3発(4発とする資料も)が命中し、さらに1式戦隼の機銃掃射を受けた。
結局特攻機5機命中、爆弾3発命中によりラフィーは大損害を受けたが沈まず、2隻のLCS(こちらも特攻機1機が突っ込み損害を受けた)とともに後退した。
応急修理を受けたラフィーは本国へ回送され、修理中に終戦を迎えた。 - その後ラフィーはクロスロード作戦の実験艦として参加。作戦終了後、艦の被爆状況のチェックと放射能洗浄テストを受け、その結果艦の塗装をすべて剥がし、冷却水を交換して放射能が除去された。
1947年一度不活性化されるも、朝鮮戦争で再び従軍。その後は主に東海岸で哨戒任務をこなし、1975年除籍されると、記念館として現在まで余生を過ごしている。
小ネタ
不死身の元ネタマイケル・マロイとはマーダー・トラストに付け狙われたアイルランド系アメリカ人。
保険金殺人により殺された禁酒法時代のアル中ホームレスだが、この人物は最終的にガス中毒による肺炎の悪化で殺害されるまで30回余りの殺人計画が実行された。
マロイはアルコールの多量摂取や毒物に金属片の経口投与を何度行っても死なず、さらに時速72キロで走るタクシーに轢かれても全治3週間の骨折で済むといったエピソードを持つ。
現場を度々目撃されていたがゆえに、巷ではアイアンマイクと有名になっていたため当然のごとく警察が犯人をすぐに捕まえ、1名を除き電気椅子行きとなった。
解剖における死因判定は大葉性肺炎訳が分からない