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No294 タング/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-24 (土) 19:53:56
所属United States Navy
艦種・艦型バラオ級潜水艦
正式名称USS Tang (SS-306)
名前の由来Tang 英語で西インド諸島に生息するナンヨウハギ・テングハギ・キイロハギなど、ニザダイ科の一部の通称
起工日1943.1.15
進水日1943.8.17
就役日(竣工日)1943.10.15
除籍日(除籍理由)1945.2.8(1944.10.24沈没)
全長(身長)95.05m
基準排水量(体重)1470英t(1490t)
出力Fairbanks-Morse製V16ディーゼルエンジン4基 (ディーゼル・エレクトリック推進)
水上:Elliott Company製電気モーター4基2軸5400shp(5474.9PS)
水中:Elliott Company製電気モーター2基2軸 2740shp(2778PS)
最高速度水上:20.25kt(37.50km/h) 水中:8.75kt(16.20km/h)
航続距離水上:10.0kt(18.52km/h)/11000海里(20372km)
水中:2.0kt(3.70km/h)/96海里(177.79km)/48時間
乗員指揮官10名 乗組員68名
装備(建造時)5inch25口径単装砲1門
21inch魚雷発射管10門(前方6門後方4門)
ボフォース40mm機関砲orエリコン20mm機関砲
建造所Mare Island Naval Shipyard, Vallejo, California
(メア・アイランド海軍工廠 アメリカ合衆国カリフォルニア州ソラノ郡ヴァレーホ市)
勲章Presidential Unit Citation(2 awards)
不明(4 stars)
  • アメリカ海軍バラオ級潜水艦。艦名はニザダイ科魚類の一部通称にちなんでいる。
    1943年起工、同年8月17日に就役、10月15日に就役した。
  • リチャード・オカーン*1少佐(1911年~1994年没、最終階級は少将)が艦長を務めていた。
    このオカーン艦長は潜水艦ワフーの副長を勤め5度にわたる哨戒を経験したベテランの潜水艦乗りであった。
  • 1944年1月、タングは初陣となるトラック諸島への哨戒へ出撃した。
    この哨戒以降、タング(とオカーン艦長)は伝説的とも言うべき戦果を上げていく事になる。
     

伝説的な戦い

  • 1944年1月から10月までの計10ヶ月。それぞれ、トラック諸島、東シナ海、日本近海、台湾海峡と言った太平洋各地の海でタングは哨戒に当たった。
    この間にオカーン艦長の指揮の元、タングは数多くの日本船を撃沈していった。
  • あまりに膨大な数のため船名やトン数は省略するが、この10ヶ月間の五度に渡る哨戒で、タングは計24隻、総トン数93824トンの艦船を屠った。
  • その多くは日本の海上輸送の多くを担った戦時徴用された輸送船、タンカー等であった。
    戦闘艦などは撃沈しなかったものの、日本の通商破壊という任務にタングは貢献を果たした。
  • こうした一騎当千の活躍から一時は「31隻の艦艇撃沈、総トン数227800トン」という途方もない戦果を上げたと信じられていた。
    もっとも、この記録は戦後の調査で間違いとされ訂正されたが、それでも驚くべき記録を打ち立てている。
     

タングの最後

  • 10月25日。台湾海峡での哨戒中、ついにタングに最後の時が訪れた。
    前日24日の夕方から、台湾海峡を横断していたミ23船団を捕捉したタングは、これに対して攻撃を加えた。
    25日2時。タングは攻撃を開始し、ミ23船団へ向けて魚雷を発射。輸送船江原丸とタンカー松本丸を撃沈した。
    すぐさまタングは魚雷を再装填し、船団の攻撃へと取り掛かるも、この装填された魚雷が難物であった。舵が故障していたのである。
    発射された魚雷は針路を変えて、あろうことかタングへ向かってきた。むろん、回避を試みたが努力むなしく魚雷はタングの船体後方へ命中した。
    タングは艦尾から沈んでいき、台湾海峡へと散って行った。自らが発射した魚雷で自滅するという、呆気ない最後であった。
    • 自らの魚雷で沈むという最後は当時としては珍しい事ではなく、ガトー級潜水艦タリビーなども同類のミスで沈没している。
       

その後

  • タングの沈没後、爆発の衝撃で艦橋から投げ出されたオカーン艦長を含む乗員や、沈没後脱出に成功した乗員など複数名が生還した。
    もっとも、生存者はわずか9名、残りは魚雷命中時の爆発に巻き込まれるか、艦内の火災により窒息死、または脱出に失敗するという凄惨な結末を迎えた。
    とは言え、沈没すれば乗員が纏めて死亡するケースや沈没場所すら分からないケースが多い潜水艦の中では、まだ恵まれた最後だったとも言える。
    ミ23船団によって救助された乗員は捕虜となり、その後東京の捕虜収容所で終戦を迎えている。
    • もっとも生還した乗員は自ら雷撃した船団の乗員に救出されたため、袋叩きにされた乗員もいたという。
      皮肉にも乗員の中には救助されるまでの間、自らが撃沈した輸送船の浮いた残骸にしがみ付いて生還した者も存在する。
  • タングは比較的浅瀬に沈没していたため、日本海軍はタングを引き上げ調査する計画を実行に移している。
    計画自体は順調に進んだものの、空襲の恐れがあったため引き上げを断念している。
  • タングは4個の従軍星章・2個の殊勲部隊章を戦後に受章。オカーン艦長はその類稀な功績から名誉勲章を受章した。
    また、その功績からオカーン艦長の名は後年、アメリカ海軍のアーレイバーク級イージス艦27番艦に冠されている。
  • タングの戦果は最終的に「24隻の日本軍艦艇、総トン数93824トンを撃沈」という異例の結果となった。
    もっとも、これ以上の戦果を打ち立てた潜水艦は他にも存在しており、抜きん出て秀でた潜水艦という訳ではない。
    しかし、1隻の潜水艦、1人の艦長が打ちたてた記録としてはアメリカ海軍最大の数字であり、大戦中この記録を破ったアメリカ海軍潜水艦は存在しない。




*1 発音上「オケイン」とする資料もある。本稿ではオカーンの名前で統一