No325 レキシントン/元ネタ解説

Last-modified: 2024-04-07 (日) 16:05:17
所属United States Navy
艦種・艦型エセックス級航空母艦→攻撃航空母艦(1952)→対潜航空母艦(1962)→練習航空母艦(1969)→航空機着艦練習特務艦(1978)
正式名称USS Cabot→USS Lexington (CV/CVA/CVS/CVT/AVT-16)
名前の由来Giovanni Caboto イタリアの航海者 北アメリカ大陸を発見したことで知られる
→Battles of Lexington and Concord アメリカ独立戦争 レキシントン・コンコードの戦い
愛称The Blue Ghost, Lady Lex
起工日1941.7.15
進水日1942.9.23
就役日(竣工日)1943.2.17
退役日(除籍後)1991.11.8 同日除籍(テキサス州コーパスクリスティで記念艦として保存)
全長(身長)266.0m
基準排水量(体重)27100英t(27535t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基Westinghouse式蒸気タービン4基4軸 150000shp(152080.5PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15kt(27.78km/h)/20000海里(37040km)
乗員2600名
装備(建造時)5inch38口径Mk.12両用砲連装4基単装4基12門
ボフォース40mm機関砲x32(8x4)
エリコン20mm機関砲x46
艦載機90~100
装備(1945)5inch38口径Mk.12両用砲連装4基単装4基12門
ボフォース40mm機関砲x80(20x4)
エリコン20mm機関砲x60
艦載機90~100
装甲舷側:2.5~4inch 甲板:1.5inch 操舵室上:2.5inch
建造所Bethlehem Shipbuilding Corporation, Fore River Shipyard, Quincy, Massachusetts
(ベスレヘム造船フォアリバー造船所 アメリカ合衆国マサチューセッツ州クインシー市)
勲章Presidential Unit Citation
Meritorious Unit Commendation(1 star 2 awards)
Navy Expeditionary Medal
American Campaign Medal
Asiatic-Pacific Campaign Medal(11 stars)
World War II Victory Medal
Navy Occupation Service Medal(ASIA clasp)
National Defense Service Medal(2 awards)
Armed Forces Expeditionary Medal(3 awards)
Coast Guard Special Operations Service Ribbon
Philippine Presidential Unit Citation
Philippine Liberation Medal(2 stars)
誕生と第二次世界大戦
  • 1941年7月15日、マサチューセッツ州クインシーのベスレヘム造船にて起工。
    当時の艦名はカボットであったが、翌年の6月16日に珊瑚海海戦にて沈んだレキシントンの名前を授かる。
    二代目レキシントン、CV-16の誕生である。愛称として「ブルー・ゴースト」の名がある。
    1942年9月23日、他の姉妹艦と同じく水餃子のごとくドカドカと進水した。
  • 1943年9月、習熟訓練の後に実戦へと投入され、タラワ環礁とウェーキ島を攻撃しデビューを飾る。
    11月にはギルバート諸島攻略準備を行い、19日から24日にかけてマーシャル諸島で探索や出撃任務を行い上陸作戦を支援。
    ギルバート諸島沖での航空戦では、所属艦載機が29機の日本軍機撃墜を記録した。
  • 同年12月4日、クェゼリン環礁攻撃へと参加。艦載機による貨物船撃沈や巡洋艦への攻撃などの手柄を上げた。
    また、計30機にわたる敵機撃墜などを行うも、日本軍の航空隊による反撃が発生、後にマーシャル諸島沖航空戦と呼ばれる戦いである。
    この日本軍の反撃によりレキシントンは右舷に被雷。操舵装置の故障や浸水の被害を受ける。
    ダメージを負ったレキシントンは撤退し、修理のため真珠湾経由でアメリカ本土へと帰投した。
  • 1944年2月の復帰後、レキシントンは劣勢に経たされる日本軍を追い詰めるかのように精力的に作戦へと投入された。
    サイパン島の戦いなど、主要な作戦へと投入されたレキシントンは、続くレイテ沖海戦でも活躍。
    こと10月24日の戦闘では艦載機による小沢艦隊への空襲で活躍し、所属艦載機は日本艦隊へ大ダメージを与えた。
    さらに敗走する艦隊への追撃を行い、11月5日に重巡洋艦那智を沈める戦果を上げている。
  • 終戦間際には日本本土攻撃にも参加、艦載機による本土空襲を度々行っている。
    1945年8月15日、日本のポツダム宣言受諾による終戦を迎えた後も、レキシントンはまだ活動を続けた、日本国内に残された米軍捕虜の支援である。
    本州に存在する捕虜収容所へ艦載機による消耗品などの物資投下任務を行い、同胞への支援を行ったレキシントンは12月にサンフランシスコへと凱旋した。
  • 終戦までに日本軍による執拗な攻撃を受けたレキシントンは、3度に渡り日本軍で撃沈を報告されたという逸話がある。
戦後のレキシントン
  • 第二次大戦後もレキシントンはアメリカ海軍で引き続き運用された。
    1952年10月1日、分類を攻撃空母(CVA)に改められたレキシントンはその後の55年に近代化改修を受ける。
    この改修で蒸気カタパルトの装備、発着艦装置の変更、飛行甲板エレベーターの変更、そしてアングルド・デッキ化が施された。
    これらの改修によって、より近代空母としての性能を持つに至ったレキシントンは太平洋艦隊へと配備。
    1962年に大西洋艦隊へ配備されるまでに、日本への複数回に渡る寄港や、58年の第二次台湾海峡危機を受けての活動などを行った。
  • 1962年10月、3ヶ月前に大西洋艦隊へ配備されたレキシントンは分類を対潜空母(CVS)へと変更。
    さらに、練習空母アンティータムの退役にあわせ、その後継として抜擢されたレキシントンは練習空母としての活動を開始した。
    この間、多くの新人パイロットの育成や、トレーニングへ使用されたレキシントンは1967年10月17日に計20万回の着艦記録を更新した。
    1969年1月1日、分類を対潜空母から練習空母(CVT)へと変更し武装も撤去したレキシントンは、その後も練習空母として活動を続けた。
  • 1976年、エセックス級航空母艦オリスカニー*1が退役。
    これによりレキシントンはアメリカ海軍で活動する最後のエセックス級航空母艦となった。
    もっとも、練習空母としての役割を担ったレキンシントンはそれ以降も酷使稼動を続けていく事になる。
  • 1978年、レキシントンは練習空母から着艦練習艦*2(AVT)へと分類を変更。
  • 1980年8月にはアメリカ海軍では初となる女性が乗組員として乗艦した航空母艦として名を刻んだ。
  • 1989年10月29日、レキシントンの艦上でT-2練習機*3の事故が発生。
    乗員4名と1名の民間人(民間の保守作業員)が死亡、負傷者17名という惨事となった。
  • 練習空母として長らく使われたレキシントンであったが、かつてのアンティータムと同じように、退役により練習空母の役割を終えようとしていた。
    しかし89年に彼女の任務交替を担うはずであった空母フォレスタルが湾岸戦争勃発に伴い改装延期となり、結果、退役は先延ばしにされた。
    このため1991年までレキシントンは現役で使用され、エセックス級では最も長い艦歴を持つに至った。
    その活動期間は48年間にも及び、約半世紀もの間、空母とした活動したのである。
    そして同年11月8日、ついに航空母艦としての役目を終えたレキシントンは退役した。
  • 1992年6月15日、レキシントンは博物館として寄贈。
    テキサス州のコーパスクリスティにて一般公開されており、現在でもその姿を間近で見る事が可能である。
    この博物館としての公開にあたり、撤去されたWW2当時の武装が一部復元され、当時と同じ箇所に配置されている。一部の装備は重巡洋艦デモインの物を流用したものである。
    • 退役したエセックス級にはレキシントンと同じく博物館として余生を送る艦が何隻が存在する。
      有名どころではニューヨークで航空博物館として存在するイントレピッド(CVS-11)が挙げられる。
      ほか、ヨークタウン(CVS-10)やホーネット(CVS-12)も同じく博物館として保存され、現在でも乗船可能である。
  • 2003年にはレキシントンがアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。合衆国の文化遺産を保護する制度の一つである。
    主な登録条件としては、アメリカの歴史的・考古学的に価値がある物が条件を満たすと言われている。冷戦時に改装しまくったミズーリは対象外だったりする。
  • 「ブルー・ゴースト」の愛称を持つレキシントンだが、博物館での公開後は幽霊に関する目撃情報も残っている。
    機関室で度々目撃されており、目撃者の証言曰く「ハンサムな20代の水兵で、機関の仕組みやレキシントンの戦歴について教えてくれた後、目の前でスッと消えていなくなってしまう」との事。
    この話はアメリカのテレビ番組「ゴーストハンターズ」で取り上げられ、2009年にはディスカバリーチャンネルの「ゴーストラボ(邦題「心霊スポット調査隊」)」で再び取り上げられた。
余談 女優としてのレキシントン
  • 戦後、レキシントンは意外な方面でも活躍している。それは映画出演という女優としての仕事である。
    レキシントンは様々な戦争映画の空母役として銀幕に登場した。今現在でもDVD等でその姿を確認可能である。
    • 続く1976年公開の映画「ミッドウェイ」*4ではヨークタウン級航空母艦として出演。
      ようやくWW2以来初となる“米軍空母役”として銀幕に出演し、米軍艦載機の発着艦を劇中で行った。
      また、この映画自体は「トラ・トラ・トラ!」の反省から米軍視点で描かれた作品となった。
    • 1988年のTVシリーズ「戦争と追憶」(原題「War and Remembrance」、国内では未ソフト化)にも出演。
      このTVシリーズではWW2当時の航空機を載せて出演を果たした。
    • 退役後の2001年には物議をかもした「パール・ハーバー」において赤城役として出演。
      この際は艦載機の発進方向を逆にする事で、艦橋の位置を正しく映すことに成功している。
      もっとも、この出演作はゴールデンラズベリー賞*5にノミネートされる程の出来であり、粗末な考証や事実無視の展開などで袋叩きにされた。
      あまりにも酷い出来だったため、皮肉にも興行的には失敗した「トラ・トラ・トラ!」の再評価に繋がったというオチすら付いた。
      • なお、この「トラ・トラ・トラ!」も彼女の出演作とされる事があるが、実際には「トラ・トラ・トラ!」においては姉妹艦のヨークタウン(CV-10)が赤城役として出演している。
  • また、映画の出演のみならず、現在博物館として公開されているレキシントンの艦内にはIMAXシアターが併設されている。
    彼女はゲーム内実装艦の中でも、一番映画という存在に縁が深い艦であるとも言えよう。

*1 艦番CV-34、2006年に漁礁としてメキシコ湾で沈没処分された事で有名。
*2 航空機の支援能力を廃し、発着艦訓練のみに使用する空母
*3 自衛隊の同名練習機ではなく、ノースアメリカン製の着艦用練習機T-2バックアイの事。
*4 日本国内でもソフト化されているが、誤訳まみれの日本語字幕から悪い意味で有名。
*5 その年の 最 低 の映画を選出するアメリカの映画賞。