所属 | United States Navy→Marina Militare Italiana |
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艦種・艦型 | ガトー級潜水艦 |
正式名称 | USS Barb (SS-220)→SS-220→Enrico Tazzoli (S 511) |
名前の由来 | Barbus 英語でコイ科バルブス属の小型魚の総称 →Enrico Tazzoli イタリア統一以前の墺領マントヴァ市(現イタリア)におけるイタリア独立派の神父、オーストリア軍により絞首刑とされた「愛国的殉教者」として知られる |
起工日 | 1941.6.7 |
進水日 | 1942.4.2 |
就役日(竣工日) | 1942.7.8 |
除籍日(除籍理由) | 1972.10.15 (47.2.12退役/51.12.3再就役/ 54.2.5再退役/54.8.3再々就役/ 54.12.13イタリアに貸与/1972.解体) |
全長(身長) | 93.3m |
基準排水量(体重) | 1525英t(1549t) |
出力 | General Motors製V16ディーゼルエンジン4基(ディーゼル・エレクトリック推進) 水上:General Electric製電気モーター4基2軸 5400shp(5474.9PS) 水中:General Electric製電気モーター2基2軸 2740shp(2778PS) |
最高速度 | 水上:21.0kt(38.89km/h) 水中:9.0kt(16.67km/h) |
航続距離 | 水上:10.0kt(18.52km/h)/11000海里(20372km) 水中:2.0kt(3.70km/h)/96海里(177.79km)/48時間 |
乗員 | 指揮官6名 乗組員54名 |
装備(建造時) | 3inch50口径単装砲1門 21inch魚雷発射管10門(前方6門後方4門) ボフォース40mm機関砲orエリコン20mm機関砲 |
建造所 | General Dynamics Electric Boat, Groton, Connecticut (ジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボート社 アメリカ合衆国コネチカット州ニューロンドン郡グロトン町) |
勲章 | Presidential Unit Citation Navy Unit Commendation Asiatic-Pacific Campaign Medal with eight battle stars World War II Victory Medal National Defense Service Medal |
- アメリカ海軍ガトー級潜水艦。艦名は鯉の近縁種であるバルブス(Barbus)属の魚の総称から。
ガトー級の特徴については、姉妹艦でもあるアルバコアの元ネタ解説を参照のこと。 - バーブは1941年6月7日に起工、42年4月2日に進水、同年7月8日に就役した。
- 海上公試と作戦準備期間の後、バーブはトーチ作戦(42年11月の連合国軍によるモロッコ・アルジェリア上陸作戦)支援のため、モロッコ沿岸に展開した。
現地にて事前偵察を行い、11月8日の作戦決行日以降もフランス艦の襲撃を警戒し、沿岸にて哨戒活動を続けた。 - トーチ作戦従事後、バーブは極北での活動のためスコットランドのロスニースに身を寄せ、ノルウェー海に幾度か出撃した。
しかし現地での4回の哨戒中一度も船舶撃沈破の成果を得ることができないまま、43年7月に本国帰還が下命され、アメリカに帰還した。 - 43年9月末には真珠湾に拠点を移し、台湾北方の中国沿岸域に展開した。
戦争初期のアメリカ潜水艦の弱点とも言えた魚雷の深刻な欠陥についても、真珠湾寄港時に改良済みの魚雷を満載することで解決、以降のバーブの活躍を確実なものにした。 - 1944年5月に指揮官が変更となるまで、バーブは台湾沖からマリアナ諸島にかけての海域にて哨戒活動を実施、日本貨物船1隻(福成丸)の撃沈に加え、沖ノ鳥島に対する艦砲射撃も行った。
- 5月に指揮官が変わってからは、バーブは哨戒海域を千島列島・オホーツク海・北海道北岸に移した。
ちょうどこの哨戒活動中、バーブには太平洋艦隊潜水艦部隊司令官が訪問しており、新指揮官も「5隻の船を沈めて見せる」とその意気を見せていた。
そして驚くべきことに、本当に5隻の日本輸送船(興東丸、まどらす丸、千早丸、東天丸、高島丸)を血祭りにあげてしまうのだった。
一度の哨戒活動で5隻=15,472トンの戦果をあげたバーブは、潜水艦部隊司令官がこの一件を広めたことによって一躍有名となり、アメリカ潜水艦部隊の歴史に刻まれることとなった。 - 8月からはタニー(USS Tunny, SS-282)とクイーンフィッシュ(USS Queenfish, SS-393)とともにウルフパックを形成、ルソン海峡に展開した。
同月末には輸送船(大国丸)を撃沈し、9月には輸送船団(=ヒ74船団)を迎撃し、日本空母雲鷹およびタンカー1隻(あづさ丸)撃沈の功を挙げた。 - 10月末からの哨戒活動では黄海に展開、輸送船(護国丸)を撃沈。
その後哨戒活動のさなか遭遇した輸送船団(=ヒ81船団)に対しても攻撃を実施し、輸送船1撃沈(鳴尾丸)1損傷の戦果を挙げる。- ちなみにこのヒ81船団は、シンガポール行きのタンカーに加えてノモンハン事件にて敢闘した第23師団をマニラまで輸送する陸軍特殊船も多く編成されていた。
マニラ到着後、第23師団はレイテ島の地上戦に投入される手はずであったが、門司出港後対馬海峡に到達した段階ですでにバーブら米潜水艦群に探知されてしまっていた。
結局、ヒ81船団は護衛空母神鷹をはじめ、陸軍特殊船あきつ丸、摩耶山丸を喪失。
大本営の期待を背負っていた第23師団は大損害を被った状態でレイテ島に投入されることとなる。
- ちなみにこのヒ81船団は、シンガポール行きのタンカーに加えてノモンハン事件にて敢闘した第23師団をマニラまで輸送する陸軍特殊船も多く編成されていた。
- 1944年年末から翌年1月末までの哨戒任務では再び台湾沖に出撃、輸送船団を捕捉するとウルフパック総出で雷撃を敢行。
浅瀬からの攻撃であったことから、輸送艦被雷時の衝撃波が反射してバーブも若干損傷したが、輸送船やタンカーを計3隻(辰洋丸、三洋丸、安洋丸)葬った。
哨戒活動終盤にさらにもう1隻(大恭丸)スコアを稼いで、西海岸に帰還した。 - 西海岸のメア・アイランド海軍造船所にてバーブはオーバーホール並びにMk51ロケットランチャーが試験搭載された。
5inch無誘導ロケット弾が発射できるもので、航海中の試験が予定されていたものの、すでに日本艦は公海上での船舶航行をほぼ行わなくなっていたことから、小型船舶や奇襲攻撃に用いられることとなった。 - 45年6月、オホーツク海方面へ出撃。これが戦争中最後の哨戒活動となった。
6月から7月にかけて、輸送船(第十一札幌丸)と第112号海防艦を撃沈、ほかにも北海道や樺太の沿岸域にロケットや艦砲で攻撃を行うなどした。 - 7月末には、バーブの乗組員8名によって樺太東線の線路爆破が試みられた。
列車通過のタイミングで起爆させ、結果として長大貨物編成および線路などに深刻なダメージを与えることに成功した。
その後も沿岸砲撃などを行い、8月初頭にミッドウェーに帰還、これにてバーブの戦時哨戒任務全12回は終わった。- 太平洋戦線に転戦してから怒涛の勢いで戦果を積み上げていったバーブであるが、その撃沈総トン数は96,628トン。
第二次大戦中のアメリカ潜水艦における撃沈トン数ランキング第3位という輝かしい功績を残した。*1
- 太平洋戦線に転戦してから怒涛の勢いで戦果を積み上げていったバーブであるが、その撃沈総トン数は96,628トン。
- 戦後、バーブは退役と再就役を繰り返しつつ大西洋艦隊に籍を置き、潜水艦推力増強計画(GUPPY)に基づく改修工事を施された。
- その後1954年年末、相互防衛援助計画下のイタリア海軍にバーブは貸与された。
名を「エンリコ・タッツォーリ」と改め、新たな母港・タラントを拠点とした。
地中海での訓練に供される日々が続いていたが、1972年には艦体の老朽化を理由に除籍、75年に解体処分となってしまった。- 太平洋戦線で武勲艦として名を挙げたバーブは、のちにパーミット級原子力潜水艦の4番艦(SSN-596)、そしてバージニア級原子力潜水艦の31番艦(SSN-804)にその名を引き継がれている。