No434 ハンティントン/元ネタ解説

Last-modified: 2022-12-14 (水) 21:00:44
所属United States Navy
艦種・艦型ファーゴ級軽巡洋艦
正式名称USS Huntington (CL-107)
名前の由来City of Huntington アメリカ合衆国ウェストバージニア州キャベル郡ハンティントン市
起工日1943.10.4
進水日1945.4.8
就役日(竣工日)1946.2.23
除籍日(除籍後)1961.9.1(1962.5.16売却・解体)
全長(身長)185.95m
基準排水量(体重)11744英t(11932t)
出力Babcock & Wilcox重油専焼缶8基蒸気タービン4基4軸 101387PS(100000shp)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/11000海里(20372km)
乗員1255名
装備6inch47口径Mk16三連装砲4基12門
5inch38口径Mk12連装両用砲6基12門
ボフォース40mm機関砲x28(4x4,6x2)
エリコン20mm機関砲x10
艦載機x4
装甲舷側:3.5~5inch 甲板:2inch 砲塔:1.5~6inch バーベット:6inch 艦橋:2.25~5inch
建造所New York Shipbuilding Corporation, Camden, New Jersey
(ニューヨーク造船所 アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡カムデン市)
  • ハンティントンはファーゴ級軽巡洋艦の2番艦。ハンティントン以降のファーゴ級は未成に終わった。
  • 就役後、グアンタナモ湾での整調訓練ののちハンティントンは1946年7月23日にフィラデルフィアを出航し第6艦隊に合流、地中海での任務に当たる。
    この巡航でハンティントンはナポリ、マルタ、ヴィラフランシュ、アレキサンドリアを含む様々な港に親善訪問を行い、不安定な戦後ヨーロッパの安定化に貢献した。
    1947年2月8日にジブラルタルを出発して、グアンタナモ湾沖での訓練に参加、ノーフォークおよびロードアイランド州ニューポートに停泊し、1947年5月20日に出航、再び地中海での任務に就く。
    1947年9月13日に巡航を完了し、ハンティントンは10月24日にフィラデルフィアを出航、海軍予備役兵の訓練をバーミューダとニューファンドランドで1947年11月14日まで行う。
    その後フィラデルフィア海軍造船所入りし、1948年4月12日まで広範囲なオーバーホールが行われた。カリブ海での回復訓練の後4月27日にノーフォークに帰還する。
    その後1948年6月1日にニューポートを出航、地中海で新たな任務に就く。
    ハンティントンは1948年6月から8月にかけて様々な港を訪問し、9月22日にスエズ運河を通過、アフリカ及び南アメリカへの親善訪問を行う。
    11月6日にアルゼンチンのブエノスアイレスに到着、フアン・ペロン大統領がハンティントンへの公式訪問を行った。11月10日にはウルグアイを訪れ、ベレス大統領の公式訪問を受ける。
    その後も巡航は続き、リオデジャネイロとトリニダードを訪問し、1948年12月8日に巡航は終了した。
    その後ハンティントンはフィラデルフィアからカリブ海への短期巡航を行い、1949年1月22日にニューポートに帰還、1949年6月15日に退役する。
    予備役として保管後1961年9月1日に除籍、スクラップとして処分された。

-ハンティントン市があるウェストバージニア州は、熊が象徴動物に指定されている。
ウェストバージニア州の象徴動物(英語)
ハンティントンのデザインに熊が含まれているのも、これに由来するのだろう。