No439 冬月/元ネタ解説

Last-modified: 2020-08-16 (日) 16:54:21
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型秋月型(冬月型)駆逐艦→工作艦(1946)
正式名称冬月(ふゆつき)
名前の由来冬の月
起工日1943.5.8
進水日1944.1.20
就役日(竣工日)1944.5.25
除籍日(除籍後)1945.11.20(1948.5一部解体、船体は北九州市若松港の防波堤に)
全長(身長)134.2m
基準排水量(体重)2701英t(2744t)
出力ロ号艦本式缶3基艦本式タービン2基2軸 52721PS(52000shp)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/8000海里(14816km)
乗員263名/307名/343名
装備(1944)10cm65口径連装高角砲4基8門
九六式25mm機銃x27(5x3,12x1)
61cm四連装魚雷発射管1基4門
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷54個
21号電探1基
13号電探1基
九三式探信儀1基
九三式水中聴音機1基
装甲なし
建造所舞鶴海軍工廠 (現 ジャパン マリンユナイテッド社舞鶴事業所) (日本国京都府舞鶴市)
  • 冬月は秋月型駆逐艦の一隻。冬月以降、船体各部形状の簡略化・艦橋の大型化などの変更が加えられたため、冬月型に分類されることもある。
  • 1944年5月に竣工して、第十一水雷戦隊に所属した。
    6月末から7月初旬にかけて第五艦隊各艦とともに小笠原諸島および硫黄島方面への緊急輸送作戦に従事した。
    7月中旬には軽巡洋艦長良や練習巡洋艦鹿島等とともに、沖縄方面輸送作戦に従事した。
    7月15日、秋月型駆逐艦2隻(冬月、霜月)で第41駆逐隊が編制される。
    8月10日、第41駆逐隊は空母雲龍、軽巡洋艦五十鈴と共に東京湾方面の警戒任務に従事した。
    10月中旬、第41駆逐隊は軽巡大淀の横須賀~内海西部回航を護衛するが、10月12日に米潜水艦に襲撃され、被雷した冬月は艦首に損傷を受けた。
    10月17日には姉妹艦の涼月もアメリカ潜水艦の雷撃で艦首を損傷し、2隻ともレイテ沖海戦に参加できなくなった。またレイテ島増援作戦(多号作戦)支援のため第二遊撃部隊に編入されていたが、戦闘には参加していない。
    11月15日、第61駆逐隊の解隊により、姉妹艦涼月が第41駆逐隊に編入され、 また空母機動部隊と第十戦隊の解隊により、第41駆逐隊も第二艦隊麾下の第二水雷戦隊に所属した。
    本艦の修理は11月18日に完了し、その後冬月と涼月は空母隼鷹のフィリピン輸送作戦を護衛する。
    戦艦榛名と駆逐艦槇を加えた内地への帰路では米潜水艦の集団に襲われ、隼鷹と槇が被雷して損傷した。
  • 1945年4月上旬、第41駆逐隊は第二艦隊の沖縄水上特攻作戦に参加する。4月7日の戦闘で冬月の損傷は軽微だったが、涼月が大破する(坊ノ岬沖海戦)。
    4月20日、第二水雷戦隊の解隊にともない、第41駆逐隊は第三十一戦隊に編入される。また第二艦隊の解隊により、第三十一戦隊も連合艦隊附属になった。
    5月20日、第三十一戦隊は新編の海上挺進部隊に編入された。 冬月は小規模な対空戦闘に参加したあと、終戦の日を迎える。
  • 8月20日、門司港で機雷により損傷、艦尾を切断する。特別輸送艦に指定されたが復員航海には従事せず、工作艦として掃海作戦を支援した。
    任務終了後、佐世保に回航され上部構造物を撤去する。1948年5月より、秋月型の冬月と涼月、桃型の柳は北九州市若松区若松港の防波堤として利用された。