所属 | Regia Marina |
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艦種・艦型 | ナヴィガトーリ級駆逐艦(偵察艦) |
正式名称 | Alvise da Mosto |
名前の由来 | Alvise Cadamosto, Alvide da Ca' da Mosto 大航海時代の初期における人物 エンリケ王子によって派遣され、1456年にガンビア川を遡上し交易を行なった |
起工日 | 1928.8.22 |
進水日 | 1929.7.1 |
就役日(竣工日) | 1931.3.15 |
除籍日(除籍後) | 1941.12.11(英海軍K部隊との交戦で沈没) |
全長(身長) | 107.3m |
基準排水量(体重) | 1900英t(1930t) |
出力 | 水管ボイラー4缶蒸気タービン2基2軸 55763PS(55000shp) |
最高速度 | 32.0kt(59.26km/h) |
航続距離 | 18.0kt(33.33km/h)/3800海里(7037km) |
乗員 | 222~225名 |
装備 | 120mm連装砲3基6門 40mm単装ポンポン砲2基2門 ブレダ13.2mm機関銃x8(4x2) 533mm三連装魚雷発射管2基6門 機雷x86~104 |
装甲 | なし |
建造所 | Cantieri Riuniti del Quarnaro, Fiume (リウニーティ・デル・クウァルナロ社5月3日造船所 クロアチア共和国プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡リエカ(伊称フィウメ)) |
- ナヴィガトーリ級の一隻。
公試の際に本級最速の42.7ノットを記録した。 - 1930年代には南アメリカへの公式訪問を行ったり、1936年から1937年にはスペイン内戦でフランコ側への兵員や補給物資輸送の護衛を行った。
- 1940年8月に同型艦アントーニオ・ピガフェッタ、ジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノ、ランツェロット・マロチェッロ、ニコロ・ゼーノとともに第15駆逐隊に所属した。
1940年9月1日、2日にはイギリスのハッツ作戦、同月末にはMB5作戦に対して出撃した。
1941年4月から8月にかけてはシチリア海峡やトリポリタニア沿岸への機雷敷設に従事した。また、この期間にはリビアへの補給船団の護衛にも従事している。
1941年11月、ドイツ製のSゲレート・ソナーを搭載した。 - 1941年11月30日、アルヴィーゼ・ダ・モストは北アフリカの枢軸国軍向け燃料8600トンを詰んだタンカーを護衛してトラーパニからトリポリへ向け出航した。
だが12月1日にタンカーが英空軍爆撃機の攻撃により損傷し、曳航しようとしたが更なる空襲によりタンカーは炎上した。
続けて2隻はイギリス海軍K部隊(軽巡洋艦オーロラ、ペネロピ、駆逐艦ライヴリー)の攻撃を受け撃沈された。