No440 アルヴィーゼ・ダ・モスト/元ネタ解説

Last-modified: 2020-08-16 (日) 16:29:48
所属Regia Marina
艦種・艦型ナヴィガトーリ級駆逐艦(偵察艦)
正式名称Alvise da Mosto
名前の由来Alvise Cadamosto, Alvide da Ca' da Mosto 大航海時代の初期における人物 エンリケ王子によって派遣され、1456年にガンビア川を遡上し交易を行なった
起工日1928.8.22
進水日1929.7.1
就役日(竣工日)1931.3.15
除籍日(除籍後)1941.12.11(英海軍K部隊との交戦で沈没)
全長(身長)107.3m
基準排水量(体重)1900英t(1930t)
出力水管ボイラー4缶蒸気タービン2基2軸 55763PS(55000shp)
最高速度32.0kt(59.26km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/3800海里(7037km)
乗員222~225名
装備120mm連装砲3基6門
40mm単装ポンポン砲2基2門
ブレダ13.2mm機関銃x8(4x2)
533mm三連装魚雷発射管2基6門
機雷x86~104
装甲なし
建造所Cantieri Riuniti del Quarnaro, Fiume
(リウニーティ・デル・クウァルナロ社5月3日造船所 クロアチア共和国プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡リエカ(伊称フィウメ))
  • ナヴィガトーリ級の一隻。
    公試の際に本級最速の42.7ノットを記録した。
  • 1930年代には南アメリカへの公式訪問を行ったり、1936年から1937年にはスペイン内戦でフランコ側への兵員や補給物資輸送の護衛を行った。
  • 1940年8月に同型艦アントーニオ・ピガフェッタ、ジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノ、ランツェロット・マロチェッロ、ニコロ・ゼーノとともに第15駆逐隊に所属した。
    1940年9月1日、2日にはイギリスのハッツ作戦、同月末にはMB5作戦に対して出撃した。
    1941年4月から8月にかけてはシチリア海峡やトリポリタニア沿岸への機雷敷設に従事した。また、この期間にはリビアへの補給船団の護衛にも従事している。
    1941年11月、ドイツ製のSゲレート・ソナーを搭載した。
  • 1941年11月30日、アルヴィーゼ・ダ・モストは北アフリカの枢軸国軍向け燃料8600トンを詰んだタンカーを護衛してトラーパニからトリポリへ向け出航した。
    だが12月1日にタンカーが英空軍爆撃機の攻撃により損傷し、曳航しようとしたが更なる空襲によりタンカーは炎上した。
    続けて2隻はイギリス海軍K部隊(軽巡洋艦オーロラペネロピ、駆逐艦ライヴリー)の攻撃を受け撃沈された。