No471 オイローパ/元ネタ解説

Last-modified: 2022-12-23 (金) 21:58:47
所属Norddeutscher Lloyd→Kriegsmarine→United States Navy→Compagnie Générale Transatlantique
艦種・艦型客船→補助航空母艦→兵員輸送船→客船
正式名称Europa→Hilfsflugzeugträger I→USS Europa (AP-177)→Liberté
名前の由来Europa ユーラシア大陸北西部の地域名、もしくはその地名の由来となったギリシャ神話に登場する女性「エウローペー」のドイツ語読みから
→Liberté フランス語で「自由」を意味する
起工日1927.
進水日1928.8.15
就役日(竣工日)1930.3.19
除籍日(除籍後)1962.(1963.解体)
全長(身長)291.5m
基準排水量(体重)43000英t(49000t)
出力メーカー不詳蒸気ボイラー24基Blohm&Voss式蒸気タービン4基4軸 101387PS(100000shp)
最高速度26.5kt(49.1km/h)
航続距離19.0kt(35km/h)/10000海里(19000km)
27.0kt(50km/h)/5000海里(9300km)
装備10.5cm65口径SK C/33連装高角砲6基12門
3.7cmSK C/30機関砲x20(10x2)
2cmC/30機関砲x28~36(14~18x2)
艦載機x42
建造所Blohm + Voss, Hamburg
(ブローム・ウント・フォス社 ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
  • ドイツ海軍の未成に終わった補助空母整備計画のうちの1隻。
    2次大戦中、ドイツの主力艦であるビスマルクの撃沈やティルピッツの魚雷ニアミスは航空攻撃によるものが大きかった。これにより空母の重要性を遅まきながら認識したドイツ海軍は、既存艦の空母への改造計画を立てることになった。オイローパはその計画のうち、最大のものとなる予定であった。
    • この補助空母整備計画ではオイローパのほかにも、客船ポツダム、グナイゼナウ*1(→ヤーデ級ヤーデ、エルベ)、アドミラル・ヒッパー級巡洋艦4番艦ザイドリッツ(→ヴェーザー)、フランス巡洋艦ド・グラース(→補助空母2号)が空母化の検討・改装の対象となっていたが、いずれも就役することはなかった。
  • 改造の対象となったオイローパであるが、そもそもこの船は大西洋航路を行き来する大型客船であった。
    北ドイツ・ロイド社(Norddeutscher Lloyd)でニューヨーク便に就航する予定であったオイローパは、大西洋最速横断便の栄誉「ブルーリボン賞」受賞を目指して設計途中で大型・高速なものに変更され、実際に1930~33年の記録保持船舶となった。
    • ちなみに装備ブルーリボン賞にはRexの文字があるが、これはオイローパの記録を塗り替えた客船レックスのものである(1933~35)。
  • 大戦が勃発するとドイツ軍はオイローパを抑留、イギリス本土上陸作戦「アシカ作戦」で輸送艦としての使用が計画された。
    しかし作戦が延期となり、そうこうしているうちに海軍内で空母の必要性が高まったことでオイローパは「補助空母1号(Hilfsflugzeugträger I)」として空母化の検討が始まった。
  • オイローパの船体は流石大型客船というだけあって非常に大きかった。正規空母であるグラーフ・ツェッペリンよりも30mほども船体長が長かったのである。
    またブルーリボン賞受賞を目指して高速化を目指しただけあって、最低限の航速は確保できていた。
  • しかし、それ以上にオイローパの空母化には難点が付きまとっていた。
    設計段階でより大型かつ高速な船舶にしようとして強度設計を怠ったがゆえに、空母にするには非常に不安定な船体になってしまっていたのである。
    加えてステータスにも表れているように非常に燃料消費量が多く、さらには仮に空母化できたとしても搭載機とパイロットについて空軍と軋轢が生じていた。
  • 結局空母化はこうした諸問題の解決ができないことから放棄されてしまった。
    そしてオイローパは客船のまま戦争を生き抜き、戦後一時的に米軍の復員船となった。
    その後フランスの大西洋横断総合会社(Compagnie Générale Transatlantique)に移管され「Liberté」(リベルテ)と名を改めると、再び大西洋航路で客船として1961年まで活躍したのであった。

*1 これら2隻の客船は日本空母神鷹の改造元、客船シャルンホルストの姉妹艦であった