No481 仁淀/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-04 (土) 19:41:31
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型大淀型二等巡洋艦(軽巡)
正式名称仁淀(によど)
名前の由来仁淀川 日本国愛媛県 高知県
起工日-(起工取りやめ)
進水日-
就役日(竣工日)-
全長(身長)192.0m
基準排水量(体重)8164英t(8295.0t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶6基艦本式蒸気タービン4基 110000shp(111525.7PS)
最高速度35.0kt(64.81km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/10000海里(18510km)
乗員782名
装備(計画時)60口径三年式15.5cm三連装砲2基6門
65口径九八式連装高角砲4基8門
九六式25mm機銃x12(6x2)
艦載機x6
装甲舷側:40~75mm 甲板:20~50mm
建造所呉海軍工廠 (現 ジャパン マリンユナイテッド社呉工場) (日本国広島県呉市)
  • 仁淀は大淀型軽巡洋艦の未成に終わった2番艦。
    ④計画(1939-)で1番艦である大淀と共に計画され、姉ともども呉にて建造予定であった。
    しかし④計画自体がアメリカの第2次ヴィンソン案*1成立を受けて1年前倒しで着手されており、駆逐艦や潜水艦などはともかくとして中・大型艦の起工が計画策定時から遅れ気味だった。
    それに加えて、世界的な情勢悪化や対米開戦機運の高まりを受けて策定されたマル臨計画の艦艇などの整備が割り込むことにもなっていた。
  • 実際のところ、大淀は計画年から2年遅い1941年2月に起工、翌年4月に進水となっており、同じ場所で建造する予定であった仁淀に至ってはさらに遅れが見込まれることが確定的であったためか、41年11月6日に建造計画が中止とされ、42年8月3日に正式に建造キャンセルとなってしまった。

*1 サウスダコタ級3隻・エセックス級1隻・ほか中小艦艇多数、事実上の無条約時代における最初の建艦計画