No485 イングラハム/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-02 (木) 12:25:33
所属United States Navy
艦種・艦型アレン・M・サムナー級駆逐艦
正式名称USS Ingraham (DD-694)→Μιαούλης (D211)
名前の由来Duncan Nathaniel Ingraham(1802-1891) アメリカ海軍大佐 海外の合衆国への帰化民保護に努めた
Ανδρέας "Μιαούλης" Βώκος(1765-1835) ギリシャ独立戦争時のギリシャ海軍司令官
起工日1943.8.4
進水日1944.1.16
就役日(アメリカ/ギリシャ)1944.3.10/1971.7.16
退役日(アメリカ/ギリシャ)1971.6.15ギリシャへ売却/1992.(2001.10.9 標的艦として撃沈)
全長(身長)114.76m
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS)
基準排水量(体重)2100英t(2235t)
乗員336名
装備(建造時)5inch38口径Mk.12連装両用砲3基6門
21inch五連装魚雷発射管2基10門
ボフォース40mm機関砲x12(2x4+2x2)
エリコン20mm機関砲x11
爆雷投射機x6
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所Federal Shipbuilding and Drydock Company,Kearny, New Jersey
(フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社 アメリカ合衆国ニュージャージー州ハドソン郡カーニー町)
  • イングラハムはアレン・M・サムナー級駆逐艦の一隻。実装済みの同型艦にラフィー(DD-724)がいる。
    1944年の就役から25年近くアメリカ海軍艦艇として活動し、その後ギリシャに籍を移して更に20年ほど活躍した。
  • 1943年8月に起工、44年1月に進水、同年3月に就役。
    就役してまもなくイングラハムは、フィリピン・ルソン島への空襲を行う空母の護衛についた。
    12月のミンドロ島上陸作戦まで哨戒任務や対潜活動を中心として活動し、貨物船撃沈の功を挙げる。
  • 45年に入ってからは、リンガエン湾への派遣や硫黄島への攻撃部隊参加で艦砲射撃任務にあたる。
    5月の沖縄侵攻にもレーダーピケット艦として参加したが、そこで日本軍機複数からの集中的な航空攻撃を受ける。
    4機までは撃墜できたものの、5機目が左舷喫水線部に衝突、発電機室に爆弾が直撃し大破。
    51人の死傷者を出してカリフォルニアまで撤退することになり、結局終戦までに戦線復帰できることはなかった。
  • 戦後、46年から47年にはビキニ環礁での原爆実験立ち会いののち、各種演習をこなしつつ極東に向かった。
    フィリピン独立記念日にマニラを訪問して米国代表となったほか、オセアニア方面を歴訪、珊瑚海海戦の戦地に献花してサンディエゴに帰還した。
    49年から52年には大西洋方面に移り演習に参加、地中海の第6艦隊にも一時的に派遣されている。
    53年の朝鮮戦争時には、空母レイク・シャンプレインの護衛艦として地中海・スエズ運河を経由して日本の横須賀へ駆けつけた。
    韓国駐留中の国連軍の航空支援任務を帯びる空母機動部隊の一員として、砲台や補給地の破壊を行った。
  • 朝鮮戦争以降ベトナム戦争までは、主にノーフォークを拠点として世界各地で演習をした。
    中東方面での情勢不安に対応するために第6艦隊とともに地中海や紅海に展開し、そのさなかで数回のオーバーホールを受けている。
    母港をニューポートに移してからは、マーキュリー・アトラス8号のポッド回収やキューバ危機当時のキューバ島封鎖にかかわった。
  • 65年から66年にはベトナム戦争に参加。
    空母タイコンデロガの護衛艦として出撃し、南シナ海への展開前に補給基地として日本に立ち寄った。
    南ベトナムではサイゴン川を遡行し、敵の補給基地を直接砲撃してもいる。
    66年2月にはベトナム海域から撤退。
  • ベトナム戦争以降は、再び大西洋や地中海を中心とした訓練に明け暮れ、1971年6月にアメリカ海軍を退役した。
  • だがイングラハムはまだここで終わらない。
    同年7月にギリシャへ売却され、名を「ミアオウリス」に改めて第2の艦歴をはじめる。
    「ミアオウリス」とは、ギリシャ独立戦争時の英雄「アンドレアス・ヴォコス」のあだ名である。
    SA 316やAB-212といったヘリコプターを搭載する艦となり、都度改装を経ながら冷戦終結後の1992年までギリシャ海軍に在籍し続けた。
    退役後すぐさま解体されることはなく、およそ退役から10年弱経った2001年10月に標的艦として撃沈された。
    • ちなみに、同時期にギリシャ海軍に売却、標的艦として撃沈された艦としてフランク・ノックスがいる(USS Frank Knox (DD/DDR-742)→Themistoklis(テミストクレス) (D210)、71年2月ギリシャに売却、01年9月被撃沈)。