No489 オピトヌイ/元ネタ解説

Last-modified: 2021-09-07 (火) 16:38:33
所属Военно-морской флот СССР
艦種・艦型45型駆逐艦
正式名称Серго Орджоникидзе→Опытный
名前の由来Серго Константинович Орджоникидзе ロシアの革命家、ソ連の政治家
革命時代からのスターリンの友人としてコーカサス地方で活発に活動
→Опытный ロシア語で「経験豊富な、実験的な」という意味の形容詞
起工日1935.6.26
進水日1935.12.8
就役日(竣工日)1941.9.28
除籍日(除籍理由)1949.(1952.解体)
全長113.5m
基準排水量1707英t(1734t)
出力Рамзин式重油専焼缶4缶Wagner式蒸気タービン2基2軸
70000PS(69042shp)
最高速度42.0kt(77.78km/h、計画時)→35.0kt(65km/h)
航続距離18.0kt(33km/h)/1370海里(2540km)
乗員262名
装備(計画時)130mm50口径Б-2ЛМ連装砲3基6門
45mm46口径21-K単装高角砲1門
ДШК12.7mm機関銃x2(2x1)
533mm四連装魚雷発射管2基8門
機雷x60
装備(竣工時)130mm50口径Б-13単装砲3門
45mm46口径21-K単装高角砲4門
ЗАУ37mm61-K機関砲x2(2x1)
533mm四連装魚雷発射管2基8門
機雷x60
装甲なし
建造所ПАО Судостроительный завод<Северная верфь>,Ленинград\Санкт Петербург
(PAO造船社北部造船所(ソ連 第190号海軍工廠) 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク)
  • オピトヌイはソ連の建造した実験駆逐艦。イタリアの援助のもと整備された7型(グネフヌイ級)駆逐艦と異なり、将来的なソ連主要駆逐艦のプロトタイプとして自国設計のもと生まれた。
    しかしながら搭載機器や安定性に難があったため同型艦が量産されることもなく、45型と称された当艦型は彼女一人のみになった。
  • オピトヌイは、ドイツで開発された新型高圧蒸気ボイラー(7型駆逐艦搭載ボイラーの3倍近くの気圧)を載せた駆逐艦の実験艦として建造された。
    また重量削減のため、7型での主砲配置(単装砲を艦前部に背負配置で2基、艦後部に1基)を改め、日本の特型駆逐艦を参考にした前1基・後2基の主砲配置とした。
  • 1935年6月に起工、同年12月進水。起工時には「セルゴ・オルジョニキーゼ」の艦名とされたが、進水後に行われた各種試験や改造のさなか1940年9月に「オピトヌイ」へ改名され、1941年9月に正式に就役した。
    • オピトヌイ(Опытный)はロシア語で「経験豊富な、実験的な」の意味を持つ形容詞であり、中国語名「历战(歴戦)」から前者の意味合いと解釈できるが、実際の経歴からすると後者の意味合いにも取れる。
  • 就役後、オピトヌイはレニングラード包囲戦に浮き砲台として参加、主砲門数は計画時から半減してはいたものの艦砲射撃で活躍したが、ドイツ軍の反撃を受け大破する。
    幸いなことに沈没は免れたため終戦まで生き残り、戦後は再び実験艦としての役割を担った。
    1949年に役目を終えて退役、1955年以降解体された。