所属 | Marine nationale→Forces navales françaises libres(1943)→Marine nationale(1944) |
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艦種・艦型 | ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦 |
正式名称 | Gloire |
名前の由来 | Gloire フランス語で「栄光」の意 |
起工日 | 1933.11.13 |
進水日 | 1935.9.28 |
就役日 | 1937.11.15 |
除籍日(除籍後) | 1958.1(売却後解体) |
全長(身長) | 179.0m |
基準排水量(体重) | 7600英t(7722t) |
出力 | Indret式重油専焼缶4基Parsons式蒸気タービン2基2軸 84000PS(82851shp) |
最高速度 | 31.0kt(57km/h) |
航続距離 | 12.0kt(22km/h)/7000海里(13000km) |
乗員 | 540名 |
装備(建造時) | 155mm55口径M1930三連装砲3基9門 90mm50口径M1926連装高角砲4基8門 M1925 37mm機関砲x8 オチキス13.2mm機関銃x12 550mm連装魚雷発射管2基4門 艦載機x2-4 |
装備(1941) | 155mm55口径M1930三連装砲3基9門 90mm50口径M1926連装高角砲4基8門 M1925 37mm機関砲x9 オチキス25mm機関銃x2 オチキス13.2mm機関銃x16 550mm連装魚雷発射管2基4門 艦載機x2-4 |
装備(1943) | 155mm55口径M1930三連装砲3基9門 90mm50口径M1926連装高角砲4基8門 ボフォース40mm機関砲x24 エリコン20mm機関銃x16 550mm連装魚雷発射管2基4門 艦載機x2-4 |
装甲 | 舷側:20-105mm 甲板:38mm 砲塔:40-100mm バーベット:95mm 艦橋:50-95mm |
建造所 | Forges et Chantiers de la Gironde, Bordeaux (ジロンド社ボルドー造船所 フランス共和国ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県ボルドー郡ボルドー) |
- グロワールはフランスのラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の1隻。実装されている同型艦にジョルジュ・レイグがいる。
- ラ・ガリソニエール級は前級のエミール・ベルタンの拡大改良型として計画され、ダンケルク級戦艦や大型駆逐艦部隊と共に敵通商破壊艦隊に対処する高速部隊を構成するために計6隻が建造された(戦艦1・軽巡3・駆逐6を1グループとして2部隊整備)。
仮想敵として設定されていたのは、イタリアのコンドッティエリ級軽巡洋艦の第3・第4グループ(ライモンド・モンテクッコリ級およびエマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級)。
仏軽巡としては初の舷側装甲や、水上機の収容機構として知られるハイン・マットが特徴的といえる。
- ラ・ガリソニエール級は前級のエミール・ベルタンの拡大改良型として計画され、ダンケルク級戦艦や大型駆逐艦部隊と共に敵通商破壊艦隊に対処する高速部隊を構成するために計6隻が建造された(戦艦1・軽巡3・駆逐6を1グループとして2部隊整備)。
- グロワールは1933年11月起工、35年9月進水、37年11月就役。
就役後まもなく仏領インドシナへの派遣や英米への派遣任務に充てられた後、第二次大戦が勃発。
当初の計画どおり戦艦ダンケルクと行動を共にして襲撃部隊を結成、カナダへの金塊輸送任務の帰途の傍らカナダ軍の輸送船団護衛を行った。
- そこから1年弱は大西洋での哨戒任務に就いていたが、40年6月のフランス降伏時にはグロワールは北アフリカのアルジェ港にいた。
その時点でグロワールはヴィシー寄りの立ち位置を示していた第4巡洋艦部隊に属していたため、枢軸国海軍艦艇としての任務が与えられるに至る。
フランス降伏後、自由フランス側についたチャドおよびカメルーンの騒乱に対処すべく、第4巡洋艦部隊を中心とするY部隊が仏領赤道アフリカへ派遣されることになったのだ(ほかにジョルジュ・レイグ、ル・ファンタスクなど)。
Y部隊はジブラルタル海峡は難なく通過できたものの、その後豪重巡オーストラリアと英重巡カンバーランドの追撃を受けてしまう。
グロワールはこの際機械故障の影響もあってこの2隻を振り切ることができずに捕捉され、カサブランカまで護送されていった。
カサブランカ移送後、1942年9月にはU156が撃沈した客船ラコニア号の救助作戦に参加した(詳しくは「ラコニア号事件」)。
- 42年11月、グロワールは連合国軍に復帰し、自沈によって失われなかったグロワール含む同型艦3隻はアメリカにて航空兵装撤去のうえ対空兵装の増強などを行った。改装後は44年年明けごろまでドイツの封鎖突破船の捜索任務に就いた。
- 44年2月から終戦までは、フランス・イタリアの沿岸部を中心として複数の上陸作戦における支援砲撃や兵員輸送を度々繰り返した。
- 戦後、グロワールはインドシナへ3回ほど派遣されたのち、1955年2月に予備役入り、58年年明けに売却された。