No501 ラフォーレイ/元ネタ解説

Last-modified: 2021-12-17 (金) 15:39:57
所属Royal Navy
艦種・艦型L級駆逐艦
正式名称HMS Laforey (G99)
名前の由来Sir Francis Laforey, 2nd Baronet(1767-1835)イギリス海軍提督 戦列艦艦長としてトラファルガーの海戦に参加
起工日1939.3.1
進水日1941.2.15
就役日(竣工日)1941.8.26
除籍日(除籍理由)1944.3.30(独潜水艦U223の雷撃を受け沈没)
全長(身長)110.5m
基準排水量(体重)1920英t(1951t)
出力Admiralty式重油専焼缶2基Parsons式蒸気タービン2基2軸 48000shp(48665.7PS)
最高速度36.0kt(66.67km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/5500海里(10186km)
乗員221名
装備4.7inch50口径Mk.XI連装両用砲3基6門
ヴィッカース2ポンド機関砲x4(1x4)
ヴィッカース0.5inch機関銃x8(4x2)
21inch四連装魚雷2基8門
爆雷投下軌条2基
爆雷投射機2基
装甲なし
建造所Yarrow Shipbuilders, Scotstoun, Glasgow
(ヤーロウ造船社スコットランド国グラスゴー市スコッツタウン)
  • ラフォーレイはイギリス海軍のL級駆逐艦の1隻、L級における嚮導艦*1として建造された。
    J駆逐艦以降のイギリス駆逐艦は嚮導艦とその他の姉妹艦の仕様をほとんど統一してきており、ラフォーレイも同様の要目であった。
  • L級はラフォーレイを含め8隻が建造された。
    新型で重量のかさむ両用砲を搭載するためにJ級の拡大版として計画されたのであるが、肝心の両用砲の製造が複雑で遅れてしまったがゆえにリージョンなど4隻は既存の4inch連装砲4基を載せることとしていた。
    この主砲の差異から、L級は前期建造型と後期建造型に分類される(ラフォーレイは後者)。
    • ちなみにこの主砲は両用砲でこそあるものの、対空性能はそこまで高くはなかった。
      弾薬供給の流れが砲塔と直通でなく、給弾速度の面から不十分であったと言われる。
      駆逐艦搭載の十分な両用砲はC級(3代)やバトル級4.5inch砲を待たねばならない。
  • ラフォーレイは1938年3月に起工、41年2月に進水、8月に就役した。
    就役後早速駆逐隊の嚮導艦となり、地中海のH部隊に配属、「ハルバード作戦」(マルタ島増援輸送作戦)の護衛を始める。
    最初の作戦は問題なく遂行され、10月をほかの輸送船団の護衛に費やす。
  • 11月に再びマルタ島への輸送作戦へ。
    アーク・ロイヤルアーガスの護衛として出撃する。
    輸送作戦は成功裏に終わりその帰途、不審な潜水艦をソナーで感知するも、対潜攻撃は総て空振りに終わる。
    結局潜水艦(=独潜水艦U81)の撃退ができないまま、アーク・ロイヤルへの雷撃を許してしまう。
    傾斜してゆくアーク・ロイヤルに対して外部電源の供給と排水作業を行ったラフォーレイであったが、その甲斐むなしく沈没してしまい、そのままジブラルタルへ帰還する。
  • 1942年3月まではジブラルタルを拠点に、海峡を通過しようとするUボートの迎撃に努める(潜水艦1隻共同撃沈)。
    4月に入ると地中海艦隊を離脱しアフリカ行の輸送船団の護衛につく。
    一月ほどかけて南アフリカに到着したラフォーレイは、そのまま「アイアンクラッド作戦」(マダガスカル侵攻作戦)に参加。
    上陸船団の誘導や艦砲射撃、付近海域の哨戒を3か月続け、その後再び地中海艦隊入りが命じられる。
  • 8月はじめにジブラルタル入りしたラフォーレイは、すぐさま「ペデスタル作戦」(マルタ島増援輸送作戦)に参加。
    フューリアスを護衛するさなか、同作戦に参加中撃沈された空母イーグルの乗員救助にあたったり、不審な潜水艦を掃討したり、空襲をやり過ごしたり…と忙しかったが、1週間ほどで作戦を遂行しジブラルタルへ帰還した。
    さらに航空機輸送を行うフューリアスの護衛のためにもう一往復し、8月を終える。
    9月に入ると本国での改修工事のためにジブラルタルを離れ、サウサンプトンへ。
    2か月の改修工事の後、ジブラルタル行の輸送船を伴いつつ地中海に戻った。
  • 1943年からは拠点をジブラルタルからボーヌ(現・アルジェリア)に移し、北アフリカ沖を中心に哨戒活動を展開した。
    このころからちょくちょくEボート(Sボートとも、高速戦闘艇のこと)への対処にも投入され始め、傷を増やしてはマルタ島で修理を受けることの繰り返しであった。
    イタリア本土に向けて着実に歩みを進めていく中で、6月の「コークスクリュー作戦」(パンテッレリーア島上陸作戦)や翌44年1月の「シングル作戦」(アンツィオ上陸作戦)といった諸作戦で艦砲射撃や船団護衛の任をこなし、ラフォーレイも次第にイタリア沿岸海域に進出していった。
  • イタリアが降伏した後、1944年に入ってからは枢軸側の抵抗も激しく、前年から実戦投入の始まっていた滑空式誘導爆弾「フリッツX」やロケット推進装置付誘導爆弾「Hs 293」*2による連合国側の被害が大きくなっていた。
    ラフォーレイもイタリア侵攻作戦や船団護衛、対潜哨戒に励む傍ら、こうした兵器によって撃沈された諸艦艇*3の乗員救助に駆け付けるなどした。
  • 44年3月に至ってもラフォーレイはイタリア西方海域に展開していたが、友軍駆逐艦によって発見された独潜水艦U223の撃沈のため出撃する。
    他に5隻の駆逐艦を引き連れての出撃となり、ラフォーレイは無事U223を発見、爆雷攻撃により浮上せしめることに成功した。
    すぐさま駆逐隊による集中砲火でU223は沈められたが、その直前、魚雷が3本放たれていた。
    運悪くラフォーレイにそのうちの1本が直撃、轟沈してしまったのであった。
  • L級は激戦区に度々投入されただけあって、8隻中6隻が沈没し、2隻のみが戦後を迎えるにとどまった。

*1 駆逐艦隊の旗艦任務を帯びる艦
*2 対艦ミサイルの始祖的存在
*3 J級駆逐艦ジェーナス、ベローナ級軽巡洋艦スパルタン、I級駆逐艦イングルフィールド